わが家の庭のミヤコワスレは今も咲いている。薄紫の花の色は優しく、眺めているだけで心慰められる。朝夕、時間を見つけては裏に回って花を楽しんでいる。朝。木漏れ日を受けて咲くミヤコワスレは悲しみの色を秘めている。温かい思い出も秘めている。はかなくて、切なくて、そして寂しげな色あいの花。花に付けられた文学的な名前がいい。都忘れ。恋忘れ。そうであってほしい。
3年振りに平鹿町の実家に里帰りすることになったと言うアメリカ・メリーランド州在住の俊子(しゅんこ)・ポランスキーさんからメールがあり、初めて会ったのは先月29日だった。実家のお母さんと、俊子さんのご主人のアメリカ人、それに俊子さんの高校時代からの友だちで、女性歯科医の4人連れでの対面だった。前日の夜、宿泊先の田沢湖町「鶴の湯温泉」から自宅に電話があって、「明日、お時間が取れたらお会いしたいのですが」と都合を聞いてきた。透き通った美しい声の響きが印象に残った。
六郷町の新しい観光施設「湧太郎」でお昼に会うことにした。「私たち4人連れですけど、外人のダンナが一緒だからすぐに分かります」と俊子さんの声は弾んでいた。昼に合わせて湧太郎に向かった。それらしい一行はすぐに分かった。丸まると太ったアメリカ人のご主人、それに俊子さんのお母さんと友だち、そして俊子さん。「ああ。きっとこの人が俊子さん」。直感と言うか、ひらめきのようなものが走った。
俊子さんも同じような心境だったろう。こちらを見て「伊藤さんですか。伊藤さんですよね。ああ。やっぱり。俊子です」と笑顔で握手を求めてきた。その後ろにお相撲さんのような大きな姿のご主人が立っていて(俊子さんごめんなさい)「オウ。ミスター伊藤。ポランスキーです。コンニチワ」と大きな手で握手を求めてきた。
マーク・ポランスキーさんという俊子さんのご主人は、人の良さそうな、そしてアメリカ人特有の陽気なムードが漂い、優しそうな童顔が印象的だった。俊子さんのお母さんはどこか上品な雰囲気を備えた方だった。横手市の平鹿組合総合病院に勤務していると言う俊子さんのお友だちの歯科医さんは快活で朗らかな方だった。そして俊子さんは、まだ女学生のような、どこかに青春の面影を残した慎ましさとはじらいがあった。
「ネッ、ネッ。みんな伊藤さんの案内で、湧太郎をまず見学しましょう。伊藤さん、伊藤さん。時間はいいんでしょう」。俊子さんはあいさつを終えると子どものようにはしゃいで「伊藤さん、伊藤さん」と親しみを込め、こちらの名前を二度続けて呼び、案内してもらうことに体全体で喜びを表した。湧太郎に飾られている町の様々な写真にも、そして水文館の清水の写真にも全身で喜びを表した。その無邪気なほどの喜びを見せる俊子さんの姿を見ていて、おかしなことだが「ケンニチっていいなー」とまるで自分で自分を褒めるような感動が心から沸いた。
湧太郎のレストランに入ると自分の目の前に座った俊子さんは「伊藤さんとは今日、初めて会ったとは思えない。もうずーっと前からの知り合いのよう」とやはり女学生のようなはにかみを含んだ笑顔を見せた。自分の隣に座った俊子さんのお母さんも「私もそう。伊藤さんとは今日が初めてとは思えない」と素朴な口調でポツリと言った。「俊子さんのお母さんまで・・・」と、不思議に思っていたら俊子さんが「伊藤さん、伊藤さん。実家の母にはね。伊藤さんの『こちら編集室』のエッセーを毎回、アメリカから郵送してるのよ」と報告した。お母さんも「私も伊藤さんの書いてるのを読ませてもらって、ああ、今ごろは伊藤さん、犬を連れて堤防を散歩してるんだろうなーと想像してたんですよ」と親しみを込め、静かな笑顔を見せた。そして俊子さんは友だちの歯医者さんに「伊藤さんの『こちら編集室』ってそんな気分にさせるのよ。あなたにもメールで伊藤さんの新聞のアドレスを教えてやったじゃないの」と諭すと「だって、忘れてしまうんだもの」と歯医者さんはカラリと笑った。
俊子さんのご主人も含め、全員がソバを中心とした食事だった。俊子さんのお母さんは向かいに座った俊子さんのご主人を気づかって「毎日、日本食ばっかりで飽きないか」と話しかけた。片言の日本語を話すとはいえ、その意味までは通じなかったらしくポカンとしたダンナさんの表情があった。それを見ながら「大丈夫よ、お母さん。この人、日本食が大好きだから」と俊子さんは補った。
漬け物の入った皿をそばに取り寄せた俊子さんのご主人は、おもむろに醤油入れを手にすると、その漬け物にまで醤油をたっぷりとかけた。「チョッチョッ、チョッとダンナ。何すんのよ」。歯医者さんは隣で驚いた。俊子さんは「伊藤さん、伊藤さん。うちのダンナは漬け物が大好きなんだけど、どうしたわけか漬け物は醤油をかけるものだと思い込んでいるの。おかしいでしょう」と笑った。歯医者さんはそのダンナさんに「ユーはソルトを、ソルトを取りすぎ」と塩分の取りすぎを注意した。
湧太郎では「空飛ぶケンニチ」など、これまであったエピソードを話しているとあっと言う間に過ぎた。「ここはさっき見たように清水の町だから、清水でも見ませんか」と誘ったら、俊子さんは「そうだ。伊藤さんの案内で清水を見に行こうよ」と俊子さんは賛成した。全員、席を立った。昼食は割り勘にしようとしたら、俊子さんが「伊藤さん、伊藤さん」とやはり2度、こちらの名前を呼んで「ここは私たちに払わせて。伊藤さんに割り勘なんてとんでもない」といい、後ろから俊子さんのご主人も「イ・ト・ウさん。ノーノー」とお金のことは気づかうなと大きな手をソッと肩に優しく置いた。
出かける前に湧太郎のお土産店で買い物を楽しみ、それから俊子さんのご主人の希望もあってコーヒーを飲むことにした。あいにく喫茶店は休業していたが、お土産コーナーにも休憩の場があってそこでコーヒーを注文した。「オカアサン、ドウゾ」。俊子さんの実家のお母さんに敬意を表し、椅子を進めるマーク・ポランスキーさんの大きな体がかわいらしかった。アメリカの国家公務員で、日本滞在の長い経験から大の日本文化ファンとなったというポランスキーさん。俊子さんのお母さんを気づかうしぐさには優しさがこもっていた。
ホットコーヒーが届くと、ポランスキーさんは水の入ったカップから氷の塊を手にしてコーヒーに入れた。俊子さんが再びクスッとおかしそうな表情を浮かべ「伊藤さん、伊藤さん。アメリカ人って猫舌なの。コーヒーでも熱いと飲めないから、みんなこうやって氷を入れて冷やすのよ」と笑った。
「そう言えば、いつかアメリカの岩間さんも『アメリカ暮らし』で同じような事を書いて寄越したっけ」と答えた。俊子さんは友だちの歯医者さんに向かって「私は伊藤さんのこちら編集室を楽しみ、そして岩間さんのレポートを読んで、アメリカでの暮らしの参考にしてるのよ」と話しかけた。「へえー。そうなの。今度、伊藤さんの新聞を読んでみるよ」。歯医者さんは大きくうなずいた。
俊子さんたちを案内して六郷町の清水を歩いた。初夏の日差しが優しかった。静かな清水の環境は歩くだけでも心が弾んだ。ましてやそばにはいつも「伊藤さん、伊藤さん」とつかず離れずの俊子さんがいた。「この町の人たちは夏になると清水でスイカを冷し、ビールを冷やすんだ。野菜も清水で洗ったりするし」。精一杯の知識を絞り込んで清水を説明した。俊子さんは清水を見ながら「ここの町の人たちは自分のお屋敷を清水の観光のために開放してるのね」と感動しながら、清水に手を入れ、その冷たさを楽しんだ。「ワーッ。水がホラ、沸いてる。砂地から水が沸いてきているのが見える。きれいねー」。俊子さんのダンナさんが「カメラ、カメラ」と言って、清水を背景にこちら二人が並んだ記念写真を撮った。清水周辺の散策はわずかな時間だったような気がするし、長かったような気もする。「あら。大変もうこんな時間なの。伊藤さんを3時間近くも付き合わせてしまって。忙しい伊藤さんなのにね。伊藤さん、伊藤さん。本当に今日はありがとう」。俊子さんは心から感情を込めて、そうお礼を述べた。俊子さんと会って過ごした六郷町のアフタヌーンは不思議なほど時間が優しく流れた。
その俊子さんから3日後の1日、平鹿町の実家から差し出した礼状が届いた。「3年前にメリーランドに住み始め、インターネットで秋田のニュースをみるようになって、間もなくケンニチを見つけたときはなぜか田舎に帰ったようなのどかで懐かしい気持ちでいっぱいでした。以来、私の日課は毎朝、他の大手新聞とケンニチを開くことから始まってます。(略)私の母も伊藤さんの大ファンでしたから、彼女も舞い上がってました。六郷町があんなにいい町だと知らなかったので、東京の友人に勧める町が一つ増えました」とあった。文字は力強く、達筆だった。
ケンニチの「こちら編集室」は正直言って、いつも苦痛だった。毎週、毎週、何を題材に書こうか悩みのタネでもあった。時には恥をさらし、恥をかいているようで身を隠したくなることもあった。でも俊子さんのような方と会い、俊子さんのような方から励ましの声を聞き、アメリカからわざわざ故郷の実家の母にこち編のコピーを郵送しているとの話を聞いて「ああ。やっていて良かったナ」と思った。そして「ケンニチっていいなー」と自分で自分を褒めた。ケンニチは多くの方から心の温もりを送ってもらっている。俊子さんとの出会いはそうした喜びと励みを与えてくれた。