いい空だった。真っ青な空に白い雲がポツリ、ポツリと浮かんでいた。大きな布団を膨らませたような柔らかで、優しい雲もあれば、翼を広げたようなスマートな雲もあった。鳥の羽のような繊細な雲もあれば、クジラのような巨大な雲もあった。そして雲が群がる雲の林から忽然と離れたはぐれ雲もあった。奥羽山脈を背景とした千畑町の大台野の台地から雲を眺めた。近くにあるラベンダー園は紫色のジュウタンを敷きつめたような風景だった。その美しい風景よりも青い空と白い雲が慰めになり、励ましになった。
犬を連れてこのごろ思ったのは「あの緑の山の麓まで行けたら」という願いだった。横手川の堤防まで歩くと、川向こうの田んぼを超え、さらに遥か向こうの森を超え、遠くに薄緑色に霞む奥羽山脈が見える。幼いころから慣れ親しんだ山であり、風景であって、格別変化があるわけではないのに、このごろ「あの山まで行けたら」と思った。それはまだ幼いころ、暗くなっても家に戻らない母を追って探し歩いたあの時の寂しさを織り交ぜた甘えに近い感情だった。母なら許してくれる、そうした母への憧憬(しょうけい)に近かった。車に乗ったら直ぐ行ける。そんな距離なのに「あの山まで行けたら・・・」と心が求めた。子どものころ、虹が出るとその虹を追い、空しいほど虹を追い、あの虹の橋のたもとに立ったらきっと幸せにしてくれる宝が見つかると憧れたように「あの山の麓まで行けたら、きっとこの飢渇感から救われる」と夢想した。
「ここを過ぎて悲しみの市(まち)」
友はみな、僕からはなれ、かなしき眼をもて僕を眺める。友よ、僕と語れ、僕を笑え。(太宰治・『道化の華』より)。
そんな飢渇感があった。寂しさがあった。柴犬のアキを連れて歩いても、パピヨンことパピーを連れて歩いてもどこか孤独だった。アキは相変わらず無言でコツコツと熱心に歩き、用を足すとサッサと引き返す。パピーは相変わらずお尻を左右に振って嬉しそうに歩くが、こちらは「あの山に行けたら」と山を見つめ、山に憧れながら堤防を歩いた。
カール・ブッセの詩「山のあなた」と出会ったのは高校時代だった。教科書にその詩はさん然と輝いて掲載されていたような気がする。水を吸い込む砂のようにその詩は高校生だった自分の心にしみ込んだ。
山のあなたの空遠く
「幸い」住むと人のいう。
噫(ああ) われひとと尋(と)めゆきて
涙さしぐみ、かえりきぬ。
山のあなたになお遠く
「幸い」住むとひとのいう。
結局、その山の麓まで走っても心の寒さは変わることなく、青い空、白い雲を友に草原に腰を下ろし、しばらく眺めただけだった。そして真っ直ぐに孤独を見つめたらいい、寂しさと付き合ったらいいと開き直った。無優無風の気分だった。雲は人を無優無風にさせてくれる。嘆くまいと思った。
気になる書き込みがあった。本紙の掲示板「読者の広場」にである。oldmanさんからの書き込みだった。
「久しぶりです」との題名で書き込まれたそれは下記のような一文だった。
実は、6月17に入院してしまいご無沙汰していました。
今日は、調子が良くて数時間の予定で一時帰宅しました。
病院にはノートパソコンを持ち込んでいますが、病院からはアクセスできません。
何時再度帰宅できるかわかりません、したがってこの欄を通じてお会いできない
可能性がむしろ高いのです。
挨拶なしに姿を消すのも残念と考えていたので、今回はお別れの挨拶に近いと
ご理解下さい。
このホームページの発展をお祈りします。
oldmanさんは5月ごろからケンニチの「読者の広場」に顔を出すようになっていた。この書き込みは先週の日曜日(30日)のお昼ごろだった。読んでいて「これは何だろう」と何度も首を傾げた。どう読み返してもケンニチに最後のお別れを告げているとしか思えなかった。それだけにこのままにしておいていいのかどうかと迷った。まだお顔を拝見したわけでもなく、肉声を聞いたわけでもない。なのにご自身の病気を押してまでケンニチに顔を出し、「挨拶なしに姿を消すのも残念と考えていたので、今回はお別れの挨拶に近いとご理解下さい」との書き込んで下さったのである。このまま放ってはおけないと思った。重い病気の身でありながら、ケンニチに別れのあいさつをしなければと自宅に帰って、読者の広場に顔を出して下さったoldmanさんの律儀さに何らかの形で応えたい。そう思った。
お見舞いの花を贈りたいと思った。花なら病床のoldmanさんの心の負担にはなるまい。しかし、oldmanさんの住所も名前も分からなかった。
これまでの書き込みで分かっていたのは大曲市花館出身で、協和町在住であること。そして「oldman」と名乗るように高齢で、学校の先生を定年退職した方であること。退職後、自分で地域紙を発行していること。かなり若いころからパソコンに親しんでいること。さらに今年2月から5月まで入院したことなどだった。
雲をつかむようなoldmanさんの情報しかなかったが、教職関係者に協和町にこのような方がいないかと消息を調べてもらうようお願いした。相手は快く引き受け、協和町の教職仲間に尋ねた。間もなく「この人ではないか」と電話で回答があった。76歳になるkさんだった。やはり再び入院しているとかで、こちらが提供したoldmanさんの手がかりとほぼ一致した。しかし、入院先までは分からなかった。
高齢で、しかも再入院となれば総合病院しかあるまいと、思いつく病院数カ所にkさんの住所とフルネームを申し述べて入院を確認した。そしてoldmanさんの入院先を見つけ、花屋さんにお見舞い用の生花を注文した。
「秋田県南日々新聞の伊藤です。oldmanさん。回復をお祈りしてます。そして再びケンニチの紙面で出会える日をお待ちしてます」とメッセージも添えた。
インターネットで知り合えたささやかな縁だった。お顔も拝見せず、声も聞いたこともないままの短いお付き合いだったが、oldomanさんの書き込みにはどこか温かく、そして律儀で、人柄を感じさせるものがあった。少しでもoldmanさんの励ましになりたかった。花屋さんにはあまり派手なものではなく、心やすらぐ様なものを選んで欲しいとお願いした。oldmanさんに少しでも元気を与える花であってもらいたいと願った。花がoldmanさんのささやかな喜びになってほしい。そう祈る日々である。