花は届いた─。Kさんこと、oldmanさんの入院先に贈ったお見舞いの花が無事にKさんに届いたとのお礼の電話が8日にあった。Kさんの甥(おい)でSさんという方からの電話だった。「秋田県南日々新聞をやっておられる伊藤さんでしょうか」。その声は弾んでいた。「伊藤さんは協和町のKを知ってますか」と、ご自身の職場と名前を名乗ってからKさんこと、oldmanさんのことを尋ねた。「ああ。知ってます。知ってます」。こちらはつい2度も答えてしまった。
「実は私はKの甥に当たるもので、おじから何とか伊藤さんにお礼を言ってもらいたいと頼まれたのです」と話しだした。そして「おじはまだ電話でお礼を言える状態ではないので、代わってお礼を述べさせて下さい。本当にありがとうございました。素敵な花を贈ってもらったと、おじはとても感激してました。具合はあまり良くはないのですが、おじは秋田県南日々新聞の伊藤さんから贈られた花だよと本当に喜んでました。ありがとうございます」と丁寧なお礼の言葉だった。
そして「それにしても伊藤さん。大曲市花館出身で協和町在住の元教師、そしてパソコン歴が長い。ただそれだけの手がかりでよく、おじの住所が分かりましたね」とSさんは電話の向こうでしきりに感心していた。
こちらはその電話を受けたとき、新しく買い求めたパソコンのソフトがうまく起動せずセットしてくれたお店の方に来てもらいトラブル解決の最中だった。パソコンを新しくしても同じようなトラブルが続出するのかと、気持ちが本当に滅入っていた時だった。それだけにoldmanさんの甥のSさんからのお礼は嬉しくてたまらなかった。「よくおじの住所が分かりましたね」との質問にも「いや、それが仕事みたいなものですから」と半ば自慢げに答えてしまった。
ともかくパソコンのことで悩んでいた時だけに、oldmanさんの甥ごさんからの電話は気分転換にもなった。「花が届いたんだ。間違いなくoldmanさんの病床に花が届いたんだ」と嬉しくてたまらなかった。Sさんの話では気の毒だが、Kさんの様子は決して楽観できるものではないとのことだった。「でも、伊藤さんからの花の贈り物はおじにずいぶんと勇気を与えてくれました」。電話の向こうから感謝に満ちたSさんの温かい声が流れた。
oldmanさんとはケンニチの読者の広場を通じで知り合っただけで、そのお顔を拝見したこともまた、声を聞いたこともなかった。でも大切なケンニチの読者だったし、ケンニチに「この欄を通じてお会いできない可能性がむしろ高いのです」と病院からわざわざ自宅に帰って最後のお別れに近い書き込みをされた方である。律儀で、人間関係を大事にする昔気質の人なのだ。どうして放っておけよう。せめても花で力づけたかった。ケンニチからのささやかな見舞いを送りたかった。その心が届いた。
それにしても今回もパソコンで悩まされた。2台目のパソコンを買い求めたのは2年前の8月だった。最初のパソコンはもう限界と思えるほど使った。そして2台目。せめて3年は頑張ってもらいたいと買い求めたのだが、買ってほどなくして具合が悪くなり、マザーボードの交換となった。それでもパソコンは時々、画面が真っ青になり、フリーズ状態を繰り返した。そしてこの2月に3度目のマザーボードの交換だった。
この3度目からやっと調子も良くなったなと安心していたら、ある日、突然、起動しなくなった。また故障かと思ってハード面の管理を委託している秋田市の会社に連絡し、修理をお願いした。自宅まで来てくれたその方はいろいろ調べた結果、「今度はハード面は何でもありません。ソフトに問題があるようです。このままではリカバリーという方法でないと修復できません」とのことだった。「リカバリーだろうが何だろうが使えるようにしてもらいたい」と頼んだら、相手は「リカバリーというのはパソコンを買った時の状態に戻すということです。それでもいいのでしょうか」と不審な顔をした。
その意味が飲み込めずにいたら「買った時の状態に戻すという事は伊藤さんがこれまで使ったデーターが全部、このパソコンから消えてしまう可能性があるという事です。バックアップはやってますよね」とその人は言った。その時点で初めて気がついた。つまり2台目のパソコンでやってきた秋田県南日々新聞のソフトもデーターも全部、消滅してしまうという事だった。もちろんデーターを常に保存しておく「バックアップ」と言う方法はやってもいなかった。そのための機器は用意してあるのだが、その操作の仕方が分からないのだ。
いずれデーターが消えると言うことは事件だった。そんな事になったらこの2年間の蓄積や苦労は雲散霧消してしまう。頭の中が真っ白になるとはこのことだった。ケンニチを技術的な面でサポートして下さっている田沢湖町のわらび座「デジタル・アート・ファクトリー」の海賀孝明さんに電話した。海賀さんも「リカバリーか。ウーン。それは困るな・・・」とうなった。
その海賀さんの声を聞いてこちらも、体中から冷たい汗が流れる思いだった。七転八倒する思いだった。何とかしなければ。データーを消さずに何とかしなければ。思案を巡らして、思い出したのは我が家の家電のほとんどを引き受けている大曲市朝日町の小松電気さんだった。父と一緒に家電製品の販売を手がけているそこの息子さんがパソコンに詳しいという話を聞いていた。
息子さんに急遽、来てもらうことにした。急いで駆けつけてくれたその息子さんは、まだ自宅にいた修理屋さんから具合を聞きながら、パソコンをあれこれと操作しはじめた。そして数時間かけて、動かなくなったパソコンをどうにか回復させた。しかし、その場では回復したもののいつ再び、同じようなトラブルが起きるとも限らない。結局、その息子さんとも相談し、ハード面の管理は今まで通り秋田市の会社に依頼し、ソフト面のトラブルはその息子さんが引き受けるとの約束で新しくパソコンを買い求めることにした。
自分にとってパソコンはもう空気のようなものとなってしまった。パソコンが使えなければ原稿を書くこともならないし、もちろん県南日々新聞の更新もできない。原稿が書けないでは会社にも迷惑をかけてしまう。毎日、ケンニチが発信する地域ニュースを楽しみにしている方もいるだろう。1日900件前後の読者がケンニチを訪れてくる。そうした人たちにもケンニチの「休刊」という不便は与えたくない。ましてやスポンサーがあってのケンニチである。
結局、今まで使っていたパソコンはケンニチのデーターを集積する専用の機械として残すことにし、新しいパソコンとランで結んで使うことにした。そうすれば新しい機械にトラブルがあっても、古いパソコンを臨時に使えるという体制が整う。修理をしてくれた息子さんとの相談で話がまとまり、新しいパソコンを発注した。
新しいパソコンへのケンニチ編集用ソフトなどのデーターの移動、そして古いパソコンに入っている膨大な記事の入れ換えなど煩雑な作業をその息子さんは手がけ、7日の日曜日に我が家に持ってきてセットした。普通なら新しい機械を手に入れることになったら喜びが沸いてくるはずだが、内心は恐れでいっぱいだった。パソコンという謎の世界にはどうしても馴染めない。新しいパソコンで再び苦労するのではないだろうか。そんな不安ばかりだった。
案の定、その息子さんが我が家で新しい機械のセットを1日がかりで終え、帰った直後にトラブルは発生した。インターネットへの接続の方法、持ち運ぶ時のためのコードの取り外し、取り付けなどすべて教えて貰ったのだが、トラブルが起きたのである。教えられた通りの方法で電源を入れ、インターネット接続用のコードをパソコンに差し込むまでは手順通りだった。
しかし、立ち上がったパソコンからはセットしてもらった時の画面とは違った別なメッセージが登場したのである。それがパニックを招いた。「なんだこれは???」。メッセージの意味が分からず、恐る恐る「×印」を押して消してしまった。それが原因なのか、インターネットを接続しようとしてもパソコンからは「電話回線への接続は出来ませんでした」と言ったニュアンスのメッセージが繰り返されるばかりである。パソコンを再立ち上げしても接続は失敗だった。
もう夕方だった。「おかしい。おかしい」。どこも間違っていないはずだ。そう思って繰り返したが、インターネットへはつながらない。つい腹が立って「このヤロウ」と怒鳴ってしまった。「なんて事を言うの」。台所にいた妻が今度は怒った。「なんでそんな言葉を遣うの・・・。あなたが悪いんでしょう」。その通り、自分が悪いのだ。結局は帰ってしまった小松電気の息子さんに携帯電話をかけ、再び来て貰うことにした。
原因は簡単だった。インターネット接続用、マウス接続用の差し込み口が前の機械とは違って同じ構造となり、しかも4カ所もあり、どこに差し込んでもいいのだろうと思っていたのがミスの原因だった。しかし、戻ってきた小松さんは「いいえ。こちらが悪かったのです。差し込み口は同じでも、先程使ったのと場所が違うとパソコンが新しいカードを受け入れたと思ってしまい、その手続きを踏んでくださいと伊藤さんにメッセージを出したのです。そんなことにならないようこちらがチェックしなかったのが悪かったのです」と謝った。やはりパソコン恐るべしである。パソコン無知なものにとっては、野蛮そのものである。
トラブルはさらに続いた。翌日の月曜日。新しいパソコンを手に通勤した。原稿を仕上げ、ケンニチに新しい記事を入れようとしたら、今度はカメラのソフトが動かない。またも小松さんに電話してカメラのソフトの入れ直しとなった。そして昼ごろ、記事を完成させ、ケンニチの編集用画面を呼び出したら、今度はその編集用ソフトのコピーが全く機能しない。再び小松さんに駆けつけてもらったのである。しかし、ケンニチ編集用のコピーソフトはいくら操作しても起動しなかった。
悪戦苦闘する小松さんの顔を見ながらこちらも暗澹たる気分だった。そこへoldmanさんの甥であるSさんからの電話だった。心の中が、暗闇になっていたところへの嬉しいお便りだったのである。それが気分転換となった。「いいよ。小松さん。この問題はやはりケンニチのソフトを作ってくれた海賀さんに相談するしかないよ」と海賀さんに電話した。
運良く、その日は手が空いているとかで「機械を持ってきてみて下さい」と快く引き受けてくれた。再び家に戻って古い機械と新しい機械の2台を車に積んで海賀さんの所へと走った。海賀さんはさすがである。起動しないケンニチのソフトと向き合い「フムフム」とうなずきながら、あれこれ操作を繰り返し、新しいパソコンが抱えた難題を見事に解決して下さったのである。
そして今、ケンニチは快適なパソコン環境で作業が進められる状態となった。乏しいケンニチの財政は新しくなったパソコンで底を突いたが、背に腹は変えられなかった。後は新しいパソコンがトラブルなしで耐えてくれるのを祈るだけである。