「この男性がジーンよ。あなたに紹介できて嬉しいわ」。170cm近くある長身のマリンダが、180cm以上あるジーンを紹介してくれた。いつもは地味な色が多い彼女が、真っ赤なドレスを着てあでやかに輝いて見える。ロスアンジェルスが誇る、白亜の殿堂ゲッティ美術館でボランティアを始めて4年。今夕は、ボランティアを慰労するための恒例の夏のパーティーだった。
洒落た生バンド、各所にアレンジされた花々、絶品のワインや食べ物。因みにギョウザがメニューにあったのは驚き。若いカップル、中年カップル、老年カップル、親子たちが幸せそうに場内を行き交う社交の場だ。1ヶ月前に招待状が届くと、誰と同伴するかが話題になる。私は主人と2年続けて出席したので、昨年からは日ごろお世話になっている方を同伴することにしている。今年は、レバノンとスウェーデン出身の両親をもつジェイミーを誘った。今月7月9日から17日までの私の訪日で不在の折、子どもがお世話になったからだ。
約600名の美術館のボランティアが、それぞれ同伴者一人と出席。合計1200名にもなる中で、マリンダがやっと私を見つけてくれ、初めて夏のパーティに彼女が同伴した男性に、会わせてくれたのだった。
ゲッティーのボランティアで知り合った女性たちはたくさんいるが、その中でも彼女は、私にとって特別の存在だ。悲劇を乗り越え勝った人生を生きているからだ。相思相愛で結婚し、待望の初めての子どもを出産した8時間前に、最愛のご主人を心臓発作で亡くしたのだ。医師であったご主人は、長女が生まれた同じ病院に運ばれ、娘の誕生の前に一言も残さず、この世を去らねばならなかった。「宿命は残酷だけれど、彼の命日と娘の誕生日が違ったことは救いだった。」という彼女は、自身の不幸に負けず、精神的に病む人たちのために尽くす仕事を天命と、他者に貢献する人生に徹している。
突然主人を奪われた慟哭、腕の中で微笑むように眠る我が子。悲しみと喜びが交錯して、自分で自分がわからなくなったのよと、マリンダは涙ひとつ見せず、私に語ってくれた。33歳から一人身で、何度か恋したくて相手を見つけた時もあったけれど、「お母さんを私からとらないで」と訴えるような娘の眼差しがつらくて、マリンダは女性盛りの時代を一人で通した。
その愛娘マリサがこの6月、高校を卒業。卒業生中で最優秀生として表彰された。9月から進学する大学も最高額の奨学金が支給される。「娘が受ける盛大な拍手を聞いた時は、これまでの苦労が報われたような、万感迫る一瞬だった。あなた。私は頑張ったわよ。」 そう卒業式で、亡くなったご主人に語りかけた心境を、喜び満面に語ってくれた。そして、娘が巣立つこれからは、女性としての幸せをゲットすると、大いなる心意気も私に披露してくれた。
「マリサが大学の寮生活のため、家を出るからさみしくない?」と、私が聞くと、「全然!」「ヤッター!」の一言よと彼女。母としての責任は一生だけれど、50歳になる女性の人生はいよいよこれから。これまで寂しさに耐えた何百倍もの喜びを、自分にあげたい。行動あるのみ!と、今夕の同伴者にジーンを誘う目標をかかげていたマリンダだったのだ。
長身でお似合いのカップルを前にして、私は無償に嬉しくなった。例え17年つらく苦しくても、人生残りの30年40年が最高に満ち足りた喜び一杯の一生なら幸せじゃないか。必ずそういう人生にしてみせるわ!そんな強気のアメリカ女性の真髄?に触れた気がした。目の前の問題にすぐ悲観して不安がる癖はやめて、悲しみの時代、我慢の時代、成長の時代。それらの時代を潔く一切引き受ける癖、苦労の後は喜びに満たされると想像する癖をつける。マリンダの生き方を知って、自分の人生の物差しがグーンと長くなった気がする。それにしても、恋は女性を美しくするものだ。ロマンスの力は莫大である。