朝夕はこのごろ半袖のシャツに半袖のズボンで外を歩いている。この半袖のシャツ、半袖のズボンという開放的な姿で歩ける日々は北国・秋田ではそう長くはない。短い期間だからこそ、せめてこの姿で歩けるこの季節を常より大事にし、楽しみたい。
犬を連れて5分ほど歩くと横手川の堤防に沿って鬱蒼とした杉林となる。夕方、その付近を歩くとヒグラシが大合唱で迎える。かまびすしいと言うより、声の一つひとつが悲しいほど美しい。林の奥から響く声もあれば、すぐ目の前の木から鳴く声もある。「カナカナカナ・・・」。澄みきった、しみ入るようなその鳴き声は命の叫び、生と死の叫びのようにさえ聞こえる。
杉林の中で生まれた短い命を懸命に燃やし、恋をし、新しい生命を育もうとしているようだ。数えきれないほどのヒグラシが杉林の中で生の喜びを合唱している。それに混じってアブラゼミも空気を震わせるような鳴き声で響く。
夏。木々の緑はよりいっそう深まり、木陰をそよぐ風の涼しさ、気持ちよさはたまらない。木陰でしずんでいたら以前に読んだ絵本「葉っぱのフレディ」を思い出した。葉っぱのフレディたちは木の幹から与えられる栄養を受けて、この夏を精いっぱい楽しんでいることだろう。そう思って木を見上げた。桜の木、アキニレ、モミジ、コナラなどの木の葉が夏の日差しを受けてキラキラと光り、弱い風を受けて歌っているようだった。
柴犬のアキは相変わらず歩く距離は短い。この夏の暑さに「ハァハァー」と大きな息を吐きながら歩き、用を足すとすぐに戻り足となる。家に帰ると後は四肢を思い切り伸ばして日陰でゴロンだ。「ああ。気持ちがいい。もう死んでもいい」。14歳となったアキの姿からはそうした老獪さを感じる。
アキが帰ったら今度は自分の番だと部屋の中で首を長くして待つパピヨンことパピーが「早く連れていって」と「アンアンアン」と大声で叫ぶ。歩かなくなったアキに代わってこのごろはパピーと歩く距離が延びた。日曜日の朝夕、アキを連れ、パピーを連れ、時間を気にせず歩けるのは幸せだ。夏独特の憂いのない幸福感に浸れる。
パピーと横手川の堤防を歩きながらヒグラシの声に耳を傾けた。赤い太陽が西山に沈もうとしている。ヒグラシは短い一日の終わりを悲しむかのようだ。美しい鳴き声が、どこか絶叫に近い悲しみを秘めている。
子どものころ、母はセミを採ってくるのを喜ばなかった。かぶと虫やクワガタ虫を捕まえてくると「ホラ、餌っこやらねば」とキュウリやスイカの切れ端をくれたものだが、セミを採ってくると「セミは一週間の命しかないんだよ」としわだらけの顔を曇らせた。
確かにセミは段ボールの菓子箱に入れておくと翌朝には亡くなっていた。その身動きしない小さな命を見たら、捕まった時のあのモノを切り裂くような絶叫が耳に響いた。硬直した小さな体は手のひらに乗せても綿毛のように軽かった。母に気づかれないようソッと裏に回って畑の土を堀り、セミの亡骸を埋めた。その時までは少しも悲しみは沸かなかったし、心も傷まなかった。ただ無言で土の中に埋めた。
母に線香をくれと頼んだら「何して?」と聞かれた。「ウウン。ちょっと」「ちょっとでは分からない。何に使うんだ。線香だなんて」。母はいぶかしんだ。「セミが死んだから、拝んでやらねば」と答えてしまった。亡くなったセミの供養をしたかったからではなく、線香を上げてお坊さんのまねごとをしてみたかった。お坊さんの真似をするのも自分には遊びの延長だった。母は怒った。「バカ。セミに線香を上げたら仏さまが怒って罰が当たる。そんなことはするもんでネ」と仏頂面となった。そして一呼吸を置いてから「セミもかわいそうだから拝んでやれ」と母は言った。
セミが埋められた裏の畑にしゃがみ、線香に火を点け、両手を合わせた。「セミは一週間の命しかないんだ」と言った母の声がよみがえった。捕まえた時の絶叫のような鳴き声が耳に響き、何かとてもかわいそうなことをしたようで両手を合わせてから「ゴメンナ」と心から謝った。小学校何年のころの夏休みだったろうか。ヒグラシの声、アブラゼミの声を聞いたら、遠くて忘れられない朝を思い出した。あれ以来、セミは採る気にもならなかった。
そのセミの鳴き声を聞きながら歩くこのごろだ。ヒグラシ、アブラゼミ。西の空には真っ赤な太陽が沈もうとしている。夏の空はつくづく天才だと思う。絵筆で掃いたような筋雲、鳥の羽のような羽根雲、布団を広げたような柔らかな雲。様々な雲が流れる。
セミの短い命を惜しんでセミを採るのを嫌った母。夏の日も朝から晩までいろり端に座って縫い物をしていた。母の縫う丹前は縫い付けがしっかりし、綿がずれないと注文先から喜ばれたものだった。
夏。ギラギラとした日差しが屋根を焼き、家中の空気が止まったように暑くなると、縫い物の手を休め、畳に寝そべって漫画に目を通している自分に声をかけ「マア。ご社さ行ってハッケー(冷たい)水、汲んできてケレ」とやかんを手にしたものだった。橋一つ越えた向こうの町の神社に行くと冷たい水がコンコンと沸いていた。夏はその水を飲むのを最高の喜びとしていた母だった。ヒグラシの声、アブラゼミの声が87歳で亡くなった母を思い出させた。