「ワー、スゲーでかいビル」「ワー、広い道路」「オー、全部英語の標識だ」と、15歳の彼はロス国際空港を出るなり一声を放った。先週土曜日8月3日にロスを初訪問した彼は、私のもと職場の先輩の次男だ。「成田空港でお父さんと弟(三男)が、見送ってくれたんだ。僕、ロスに着いてまだ10分なのに、アメリカが大好きになっちゃった」と、ご本人は超ご満悦。
一人旅に怖いのかけらもなく、あるのはワクワク・ドキドキの15歳。日航の飛行機の中で映画を3本見て、一睡もしなかったとは思えない次男のエネルギーに、こちらも若返って背筋がピンと伸びた。今日でロス滞在4日目。日本とはここが違う。アメリカはこうだからいい。日本だったらこうする。彼は見て感じる事を喋る喋る。短期でも今回のロス訪問は、きっと彼の将来に強い影響を与え、日本の国際化に貢献する人物になるだろうな、私は内心ニンマリ嬉しくなる。
15年前、結婚でロスに向かう飛行機で「アメリカン・フィーリング」を私は聞きまくっていた。「あなたからのエアーメール、、、」で始まる、当時人気だったサーカスの歌。主人とは古風な写真見合いで、出会いが私らしくないと言われた。が、太平洋を渡ってロスから会いに来て初めて会った人物と、12時間後には結婚を決めた。という決断の速さ、潔さ、無謀、ムチャクチャ、ワイルド、おっちょこちょいは、私らしいと言われた。「心洗う旅の日々、、もう何も迷わない、、、抱きしめるアメリカ、、」と、歌詞は続く。
家族もいない、親戚もいない、友達もいない、主人も知り合ったばかり、あるのは強気の確信だけ。アメリカでも絶対大丈夫!と陽転思考を決め付けた私を「アメリカン・フィーリング」が、渡米航路を励まし続けてくれた。その懐かしい曲のCDを、7月17日秋田駅前のイトーヨーカ堂で見つけた嬉しさは格別だった。
今回7月10日から18日まで訪日したが、テーマは「恩人に会って感謝を表現する」。東京、川崎、仙台、秋田、大曲と、台風6号・7号直撃の中、無事に目標を達成した。川崎時代の恩人は88歳になられ、私との25年ぶりの再会を喜んで下さり感激だった。大曲の母の墓参はどしゃ降りの雨の中だったが、37歳で逝った自分より若くなってしまった母と心で対話した。4年前亡くなった大曲高校の同級生の健一君には、生前彼の勤めていた南外村役場の前まで行って、「健一君から結婚祝いにもらった又五郎のこけし、ロスで大事に飾ってるよ」と心で話した。大曲西中の同級生たちとも再会、伊藤編集長には、かの有名な六郷町「湧太郎」でアメリカン・コーヒーをご馳走になった。
人の心の故郷は、親や家族であり、母校であり、職場であり、師であり、先輩であり、友人であると思う。今ある自分を育ててくれた、その故郷に大恩を感じ、感謝を忘れず精進し、恩返しできる一生でありたいものだ。
前述の職場の先輩は、6年間ガンと懸命に闘って2年前の6月、当時長男15歳、次男13歳、三男10歳の3勇士を遺して逝いた。享年46歳だった。同じ職場で、聖心女子、上智、青山学院、学習院、津田塾大など一流大学卒の同僚に囲まれ、私ひとり高校卒で夜間の語学学校を卒業しただけの学歴。農作業で多忙だった母を高三で亡くし、下に3人の弟妹をかかえ、おけいこも何も経験せずの自分。
そんな経歴の自分を卑下しては苦しんでいた時、「心が一番大切よ。環境じゃないわよ。自分を信じて強気で人生きり拓くのよ。勇気と感謝の心があれば怖いものはないわ」。そう、彼女は私を励ましてくれた。この先輩がなければ、私が日本を出ることはなかったと思う。
アメリカが大好きだったこの先輩は、仙台の近くの墓園に眠っている。2年前の8月、墓参して私は感謝の手を合わせた。その年のクリスマス、彼女の長男をロスに招待した。「悲しみにこもらないで、お母さんが大好きだったアメリカを見て元気になろう」と、3勇士を励まし力になって、亡き彼女に恩返しがしたかったからだ。
今夏は次男の番。次は三男がロスアンジェルスを初訪問する。「いずれ最後は僕がロスに行くから、これからがっちり働いて稼ぐ」、悲哀を超えた3勇士の父は、昨夜、決意溢れるメールをくれた。「今、私はコバルトの風、、、、Feeling
in America、、、、」「きらめく季節の中で、、、抱きしめるアメリカ」と、今、部屋にあのCDが流れている。たまらなくアメリカン・フィーリングで、伊藤ご夫妻の訪米決心の、読者の広場の文面を嬉しく、ウキウキして読み返している。