こちら編集室「心の糧」(8月23日)

 この夏は毎朝、アサガオの花を楽しませてもらった。妻が友だちの奥さまから鉢植えのままいただいたものだ。それ以来、妻と共に朝夕、水をやって育てた。いや育てたと言うよりもアサガオに育ってもらった。アサガオは7月の台風で2度、風に倒された。家に帰ったら車庫前にあったアサガオの鉢が横になってしまい、妻がその度に「アラッ。アサガオが」と悲鳴を挙げた。風に倒されたアサガオは蔓(つる)が傷んでしまっていた。その傷んだ蔓をいたわるように添え木をやって「大丈夫かな。死んでしまわないかな」と妻は心痛めた。

 2度目に倒れた時はさすがにこちらも見かね、鉢の周りに重しとなるものを置いて補強した。それが功を奏して無事にアサガオは育った。そして7月下旬からアサガオは咲き出した。雨の日も、曇りの日も、かんかん照りの日も毎朝、健気に一輪か二輪、アサガオはビロードのような紫色の花を咲かせた。朝の目覚め、柴犬のアキに食事を与えながら「今朝も咲いたんだね」とアサガオと向き合い、そのはかなげな美しさを楽しんだ。アサガオがもたらす朝の幸せ。アサガオが運んで来る朝の充実。アサガオが与えてくれる朝の励まし。アサガオを見つめ、アサガオに別れを告げ、出勤する毎日だった。そのアサガオも20日過ぎからは青い葉が焦げ茶色に変わり、花も咲けなくなった。アサガオの夏は雨の中で終えた。セミの鳴き声も途絶え、朝夕の風は秋風に変わった。

 取材先から帰って原稿を書き、ケンニチを更新し、メールをチェックしたら6通のメールがあった。しかし、その中の3通までがウイルスメールだった。3通ともワクチンで検疫され、つまみ出した。つまみ出してもその後は毎日、定期便のように侵入して来る。迷惑なと思っても後を断たない。なぜこうもしつこく跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)するのか。一度被害に遭って、ひどい思いをしただけにウイルスメールには神経が高ぶる。同時に腹も立つ。

 どこのどんな人物がこのようなプログラムを作って送りつけているものか。人はウイルスの制作者を〃愉快犯〃とも比喩する。子どものころ、作家の江戸川乱歩は「探偵小説」の恐怖感を煽るイメージを募らせるため、深夜にロウソクの火を灯した部屋で原稿を書いたものだと聞かされた。嘘か、本当か、とにかくそんなこともあって、江戸川乱歩と言う人には陰湿さや、毒蜘蛛のようなイメージがあった。だが、「広辞苑」で調べたら江戸川乱歩の顔はどうしてどうして、中々の好々爺だった。太平洋戦争を起こした東条英機にイメージが少し似ているのがご愛嬌だとしても・・・。

 田沢湖と辰子像しかし、ウイルスを作り出す頭脳を持った人たちのイメージを想像してみると、どうしても〃お宅族〃と言った表情のない、暗いイメージとなってしまう。そしてなぜか江戸川乱歩がやったように暗い地下室で、しかも壁のあちこちにキノコが生えている湿っぽい部屋で、ロウソクの火を灯し、カシャカシャとキーボードを叩く陰湿で青白い青年の像がぼんやりと浮かんで来る。画面を血走った目で見つめ、口と言えば耳まで裂けたような口。その唇をゆがませ、「出来たぞ。これぞ世界最強のウイルスだ」とニヤリとする。と、ここまで〃愉快犯〃なる人物のイメージを勝手に想像したら「ああ。おぞましい」とゾッとした。外はまた雨だった。

 気分転換にと新聞を開いたら「声に出して読みたい日本語」と言う本が今、ベストセラーになっているとあった。この本なら自分も書店で見つけた時にためらうことなく買い求めた。買って随分、懐かしく、美しい日本語に出会えたと喜んだ。高校時代の古典の時間に戻ったような郷愁を覚えた。

 清少納言の「枕草子」がそれだし、孟浩然の「春眠暁を覚えず」に始まる漢詩もそうだった。杜甫の「国破れて山河あり」や朱熹の「少年老い易く学成り難し 一寸の光陰軽んずべからず」と言った漢詩にはどれほど高校時代、新鮮な感動を味わったか。孔子の「吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)う。七十にして心の欲する所に従って、矩(のり)を踰(こ)えず」は国語の先生の朗読に聞きほれ、何度も何度も暗唱したものだった。しかし、われ50にしても戸惑っているばかりだ。

 「柿くへば鐘が鳴るなる法隆寺」の正岡子規の俳句との出会いも高校時代ではなかったか。鴨長明の「ゆく河の流れは絶えずして、しかも、もとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる例(ためし)なし」には日本語の美しさに感動した思い出がある。

 そして島崎藤村の「まだあげ初めし前髪の 林檎のもとに見えしとき」の「初恋」の詩との出会い、石川啄木の歌集、三好達治の詩、高村光太郎の「智恵子抄」には何度も何度も目を通し、胸を熱くしたものだった。日本語の言葉の美しさに感動した。小説と言えば井上靖の「ある落日」や「氷壁」といった恋愛ものを多く読み、夜はその文庫本を手に友の家を訪ね「おい。おれはこんな恋をしたい。絶対、女に女々しいなんて言われるような恋はしないぞ」と熱中してしゃべったものだった。

 その友は高校こそ違ったが、いつもこちらの話に「ウン、ウン」と素直にうなずき、聞いてくれた。自宅から離れた所に独立した部屋があったせいか、夜になると自分以外の仲間も多く、そこに集まった。深夜まで好きな女優やその日、自転車ですれ違った女子高生のこと、学校での出来事、映画などを話題にしながら、タバコを吸い、無為徒食に過ごしたものだった。

 詩や小説の話題も多かった。友は詩や小説の話になると黙って聞き役に回った。こちらは夏目漱石の「我が輩はネコである」や「心」、伊藤左千夫の「野菊の墓」、そして太宰治の「人間失格」「斜陽」、川端康成の「雪国」や「伊豆の踊り子」、そして芥川龍之介の「羅生門」など高校の教科書に登場した作家の本を中心によく読んだ。そして井上靖の小説に出会い、その大人の世界の恋に酔いしれた。吉川英治の「宮本武蔵」に熱中したのも高校生のころだった。余り多くの本を読む方ではなかったが、気に入った小説があれば何度も読み返した。

 読み返してはその人物になりきってしまう癖があった。思い込みが強く、小説の世界に没頭し、自分自身が悲劇の主人公になったかと思えば、孤独な虚無主義を真似たり、武士道に生きる武蔵に成りきろうとして心底、疲れ切ったものだった。「野菊の墓」では恋のはかなさ、美しさに感動し、斜陽では「かず子」に憧れ、「雪国」「伊豆の踊り子」では川端の文章の美しさ、風景描写の見事さに堪能した。どちらも小説の出だしの数行を丸暗記するほど熱中した。

 小説との付き合いはその後、今の新聞社に入ってからさらに深まった。そして高校を卒業した時に恨みを込めるような思いで投げ捨てた教科書が手元にないことにとても悔やんだ。工業高校だったから機械工学や液体力学など専門書もあったが、それらは別として国語の本や古典の本、音楽の本、歴史、社会、倫理社会の教科書がないのにはほとほと悔やんだ。

 新聞記者になって気づいたのは中学、高校時代に学んだ知識がとても大切だということだった。取材し、原稿を書くためにはいろんな知識、能力が必要だった。軍人だった人を取材する時には太平洋戦争勃発までのある程度の経緯を知らないと「この若者は何も知らないでおれを取材すると言うのか」と口には出さないものの目で軽蔑された。新聞記者になってからは戦争文学によく目を通し、かつて元軍人だったと言う年配者を相手にする時は相づちを打てるまでに努力した。

 若者の活字離れが言われて久しい。しかし、若い人たちに押しつける気持ちは毛頭ないが、若い内に出会った小説はいずれ〃心の糧〃になるということだけは言いたい。活字を目で追い、ストーリーに没頭し、感情を起伏させることは心の成長にもつながる。少なくとも岩手県であった祖父から「遊んでばかりいないで」と叱られたことに腹を立て、祖父母を切り殺そうとするような殺伐とした心の高校生にはならないはずだ。

 本は心を育て、心を和ませ、社会の仕組みを学ばせ、人間として最も大切な言葉の勉強になった。人には言葉がある。その言葉を大切にしたい。言葉は意思疎通の大切な手段だから。「声に出して読みたい日本語」との出会いは高校生のころの思い出も運んできた。美しい言葉とも出会えた。手元に置きたい一冊となっている。