敦子・リーさんの真心・ふれあい(8)「忘れない」(02・9・17)

 世界を変えた、あの9・11同時多発テロから一周年。その夕方、私は200人余りの近隣の人たちと一緒にいた。15年前から住み続けている、ロスアンジェルス国際空港の玄関街ウェストチェスターの公園にいた。大きなアメリカ国旗が掲揚され、地元の消防署職員、警察官も前方左側に30人。若くハンサムなおまわりさんの真後ろに席がとれた私は、日本人としてたった一人の参加者である。
 
 高校で教師をしている弟が、「人口3万9千の大曲に、花火見るために60万人も来るんだで、想像つかねべー」と、8月言っていたのを思い出すが、ウェストチェスターは人口5万人。この街には23も教会がある。私はブディストだが、「個人の宗教の違いを乗り越えて、9・11の痛みを共感し、平和のために決意をしよう」という企画に賛同して、「We Remember (私たちは忘れない)」の行事に参加したのだった。
 
 第一に最高に良かったのは式典が一時間弱(午後6時半から7時半)で短かったこと。第二に良かったのは、各登壇者がそれぞれ詩を読んで硬い話がなかったこと。第三には歌が3つあったこと。第四は式典後に参加者全員が平和への決意の寄せ書きをしたこと。第五は終了後、デザートとコーヒー・紅茶が用意され、近隣参加者と交流ができたこと。
 
 キリスト教、カトリック教、ユダヤ教、イスラム教など牧師の立場にある人。警察官、学校の先生、大学生、主婦、商工会議所の会頭など。登壇した人たちは、同じ街に住む一住民として、追悼と決意のために自らが選んだ詩を朗読した。生命の尊さ、愛の力、勇気などのメッセージが、詩を通して紹介された。言葉の美しさに、心を打たれ涙する人も多くいた。私も英語っていいなあと、しみじみアメリカを味わった。
 
 
 翌12日は木曜日で、一人暮らしの病人・老人へ食事を届けるボランティアで、私は72歳のバーバラと一緒に働いた。「昨日のブッシュのスピーチは良かったわね、素晴らしかった」と言うので、相槌に困った。世界の中で一強主義を目指すブッシュを、正直私は好きになれない。嫌いと言ってもいい。いやとても嫌いである。ひどーく嫌いなのだ。同じ日の夜、ソニー映画に勤務するタイと話した折、「ブッシュのスピーチ聞いた?一体何を考えているのか」と怒り満々。「イラク攻撃は絶対あってはいけない。アフガン再興を優先・それに集中すべきだ」と熱く語るタイ。私は思わず力強く同調していた。バーバラとタイ、同じアメリカ人でも全く逆の考えなのだ。
 
 「アパートに住んでる全員が、家族のように声をかけ合い、お互いを気遣うように変わった」と、グランド・ゼロの被災地近くに住む人が、テロ後変わったこととして、あるテレビ番組で質問に答えていた。それを聞いてとっさに、昨年9・11の後、大曲より電話をくれた大曲西中学校同窓生のケンコを思い出した。
 
 「大丈夫だが?シンペーして電話した」と、私に声をかけてくれたのだ。それからまもなくして、彼女から「なつかしいべ。さっとだども食べでけれ」と、きりこ餅と、パック入りいぶりガッコが届けられた。泣けた、泣けた。ありがたくて、嬉しくて。友情を形にして届けてくれた、忘れられない一瞬だった。そしてテロから2ヶ月後の11月、父の70歳の誕生祝い兼ね、父に安心してもらいたくて、私は搭乗率40%の飛行機で日本に向かった。
 
 ロスから成田に発つ度、もうアメリカに戻れないかもしれないと覚悟する。成田からロスに帰る度、もう日本に来れないかもしれないと覚悟する。それが私の今の心境だ。怖いというのでなく、一瞬でも真剣に大事にしたい、そんな切実な願いに近い心境。もう会えないかもしれない、もう話せなくなるかもしれない。そう感じると、できるだけ忘れないように、思い出を作りたいと行動したくなる。
 
 個人的に9・11から一年たち決意してることは、電話マメ、筆マメ。早速父に、義母に、友達にとエアーメールした。今日は神代の妹の誕生日だから、祝いの電話をした。超格安電話加入で、国際電話が1時間話しても800円くらい。ロスから日本へもヨーロッパへも同じ金額。電話料金が、世界は小さいと錯覚させてくれるではないか。
 
 とにかくいろいろな機会や思い出を忘れず「おめでとう、元気?、ご無沙汰」と、Eメール、手紙、電話でも、相手を思う気持ちを届ける習慣ができると、自分と相手の住む距離がなくなって、互いにすぐ近くで暮らしている気がしてくる。ましてや返事が来たら、私の胸のあたりが非常にぬくもってくる。因みにこれまで田舎にエアーメールして返事の確立は一割(10人手紙出して一人くらいの反応)の打率。封筒に英語で住所を書くのが障害になってるらしい。ロスの住所を書いた封筒を同封して、今後打率が伸びるように思案しているこの頃だ。
 
 今後の世界がどう向かうのか予想はつかない。文明の衝突という最悪コースか、対話で活路を開くか。私個人が力ない一人とはいえ、9・11の犠牲者のためにも、その家族のためにも、9・11後の将来に無関心ではいたくない。大きな平和行動はできなくても、究極個人の世界を形づくるのは家族であり友人であり足元だという事実を知って、お互いを気遣い、声をかけあう心に満ちて生きてゆきたい。あとは新しい友達作りだ。
 
心のふれあい、その努力が金太郎飴みたいに、自分の人生のどこを切られても、いつ突然切られても出てくる。にっこり金太郎が出てくる。そうしたらそれは、9・11のおかげだと思える。「最悪の中から、最善を創り出せる」「人間の体には希望に向かう引力が働いている」。熱弁で私を魅了した、ソニー映画でマネジャーしているタイが、私に教えてくれた名言だ。