自宅近くを流れる横手川から遥か遠く隔てて毎朝夕、目にしている奥羽山脈は幼いころから「東山」と呼んで親しんできた。春は残雪に覆われた白い山を眺め、その山の雪が山肌から日々、消えていく様子を見ては、春の深まりを喜んだ。夏は深い緑に覆われた山肌を眺め、山の青さを愛でた。秋は山がすっかり赤茶けていく様子を見つめ、冬への恐れを抱いた。冬は凍りつきそうな山肌の冷たさに身を震わせ、遠い春に想いを馳せた。東山は幼いころから自分の心に焼きついた墨絵であり、油絵でもり、水彩画でもあった。
「あの山の麓へ行けたら・・・」。ふとした寂しさにとらわれるとそう思う時がある。「あの山の麓まで行けたら、この寂しさは薄れるかもしれない」。そう憧れた。山は不思議なものだと思う。幼いころから東山は心の寂しい時に救いを求めた山だった。東山方向に虹の橋がかかれば、それを追って東に向かって走った。高校生になって、初めて体験した恋の辛さに耐えきれなくなれば、自転車で東山を目指して走り、傷ついた心にいやしを求めた。
虹を追って東山を目指して走った時は、その果てなき遠さにあきらめた。「虹の橋のたもとには宝がいっぱい隠されている」。兄に教えられ、それを信じて走ったものだった。確かに七色に輝く虹の橋のたもとには何か夢のようなものが埋もれているような輝きがあった。金色に輝く大地に夢を求めて走った。しかし、走っても、走っても虹には追いつけなかった。走った後には空しさと悲しみと疲れだけが残った。まだ小学生のころだった。 高校生になって初めて恋を知り、その辛さや悲しみから抜け出したいと自転車で東山目指して走った時は、その遠さに体力の限界を感じながらも、心は少しいやされ、麓まで来れた満足感や見知らぬ土地の風景に親しみ、淡い喜びに浸ったものだった。
その東山が車の時代に入ってから、随分と近くなった。近くなったが「あの山の麓まで行けたら」の想いは小さいころからちっとも変わってない。先日もそうした想いを抱きながら、コスモスの花を探し求めて東山へと走った。東山の麓に六郷町から千畑町へ抜ける新しい橋と道路が完成していた。その橋を渡って、北へ向かった。左右にリンゴ畑が広がる丘の上にコスモスの花が群れ咲いていた。なぜ寂しいのか─。人は時には理由(わけ)もなく、漠然とした寂しさに陥るものだ。
そのつかみどころのない寂しさと空虚さ、そして喪失感から抜け出したいと東山の麓を目指した。青い空が広がっていた。風に乗って流れる白い雲がさわやかだった。青い空を小さな鳥が西へ向かって飛んで行った。2羽、3羽、4羽と数えた。10数羽まで数えながら、好きだと思った。こんな日の東山の麓の空気が好きだと思った。コスモスは風を受け右へ、左へと揺れた。ピンク色、真紅のコスモスも咲いていた。真っ白なコスモスもあった。
コスモスの花をみながら「やはり野におけれんげ草」という言葉がふと浮かんだ。野の花は野原で咲いてこそ美しく、家の中に飾っても似合わないとの例えだが、昔、播磨の国(兵庫県)の「瓢水」という俳人が、遊女を落籍しようとした友人に「手に取るな やはり野におけ れんげ草」と戒めたともいう=集英社・ことわざ辞典から=。遊女の落籍。余り好きな言葉ではないが、「手に取るなやはり野におけれんげ草」はいいなと思う。野の花はやはり道端やあぜ道、山の斜面、丘に咲くのが一番いい。
それにしても「新平家物語」で平清盛は随分と、その「れんげ草」を手にした。吉川英治の「新平家物語」はこのところ読む時間が中々取れず、まだ「第3巻」の途中までしか進んでないが、読み進めるうちに自分はいつのまにか「平清盛」という武将を好きになっているのに気づいた。奈良の僧兵たちの目に余る狼藉に怒りを発した清盛は、その子たちに命じて奈良を攻めさせ、東大寺の大仏殿をも焼き尽くし、数千人もの僧兵を死に追いやると言う酸鼻極まる〃魔道〃にも走ってしまった。それでもどこか憎めず、むしろ清盛こそ豊かな人間性を備えていたのではないだろうか、とこのごろでは思うのである。そして対する源頼朝を嫌いになっていく自分に気づいた。
清盛はその勢力の全盛期、権力と金の力にもの言わせ、「白拍子」という遊女たちをそれこそ「れんげ草」を手(た)折るように落籍した。都一番の美しさと評判の高い遊女に一目惚れしたと思えばそのまま館に住まわせ、遊女の親にも、またその遊女を引き取って育てた家にも巨富を与えた。しかし、その遊女に溺れたと思えばまた新しい白拍子に目を付け、新しい側女とした。最初の遊女は泣き泣き、館から出て女であることの悲しみを忘れようと髪を剃り、尼となる。次の遊女もまた清盛の館を出ては、尼となってその後を追う。
清盛は「なぜだ?。あれほどの富を与えてやったのに」と遊女たちの悲しみも、尼となった彼女たちの矜持(きょうじ)も解せない。その間の抜けた心は憎いが、どこか漫画的で憎めない。その憎めない一面は自分の兄弟から子ども、その孫まで一族郎党すべてに対する「肉親愛」の強さから来るものからかもしれない。「金ですべてが解決する」わけではないが、武力と経済力こそ「権力」と自負し、権力を思うままに振るった清盛とその一族の華麗な日々は、その末路が哀れだけにこのごろではどこか同情を呼ぶ。
一方の頼朝はその父・義朝が「平治の乱」で平家に敗れ、落ち武者となって流れている途中、保護を求めた同族の源氏にだまされ、無残な死を遂げた。そうした不幸な体験もあって、極端な人間不信に陥る。どんなに一族のものが親しみをこめ、頼朝を崇めても自身の心は氷のように冷たく、猜疑心に燃える。最後は弟である義経さえも信じきることが出来ず彼を死に追いやる。平氏には肉親愛があり、源氏には骨肉相食む恨みがある。
奈良の寺々に潜み、平家一族に抵抗し、狼藉をほしいままに働く荒法師たちに一徹を浴びせんと、阿修羅となって東大寺をはじめとするあらゆる寺を焼き尽くした清盛の子たちだった。その子たちの犯した非道の罪を一身に受け止めようとした清盛にはどこか哀れな老人の優しさを感じる。
「罪はおれが被る。清盛は、死後の地獄などおそれてもみぬ。極楽もまた望んではおらぬ。願うことは、お汝(こと)らがみな仲よくして、一門をかため、諸民をいつくしみ、一日も早く世を泰平に」
子煩悩な清盛はその子たちの乱暴狼藉を戒めながらもこう叫んだ。このセリフには参った。「みな仲よくして、一門をかため、諸民をいつくしみ」の言葉が良かった。
「オッ。読んでますね。平家物語を」。車に乗った岩間郁夫さんが、そう言った。古里の静岡であった同窓会に参加するためアメリカから帰国し、その翌日の16日、大曲市に来てくれた岩間さんだった。大曲駅では市役所の斎藤さん、それに県立角館南高校の伊藤一郎校長先生、田沢湖町からは民族舞踊塾「万踊衆(まんようしゅう)」を主宰している菊池正平さんご夫妻、それに南外村の読者で藤原雪乃さんが迎えに来てくれた。
自分と斎藤さんを除けば、4人の出迎えの方は皆、岩間さんとは初めての対面だった。しかし、初めてとは思えないほど打ち解けたムードで岩間さんを囲んだ。そして駅の喫茶店でコーヒーを飲みながら、しばし7人で談笑してから車で移動する際に言った岩間さんの言葉がそれだった。
「ええ。平家物語はまだ3巻までしか読んでないのですが、このごろ自分は清盛こそ人間的に豊かな人物ではなかったかと思うんです」と答えた。岩間さんも「そうそう。僕もそう思うんです」と同調した。岩間さんと平家物語を車内で語り合ったのは大曲市内のホテルから自分の家までの短い時間だったが、「源頼朝は結局、何もしなかった。何もしないで鎌倉の天下人となったが、清盛はまあ随分といろんなことをやりましたよね。権力者ではあったが、清盛の心の底流には肉親愛があるから魅力なんです」。岩間さんは中々、いいことを言う。「そうなんですよね。清盛はまあ、女好きの面も天下一品ですが、それなりに女性たちにもつくした。一方の頼朝は妻・政子との出会いも、またそれ以前に付き合った女性との付き合いもどこか冷たかった」とこちらは清盛と頼朝の女性遍歴にこだわった。
六郷町に移動してからは、岩間さんと伊藤先生、そして斎藤さんと自分の4人となったが、清水を見学し、夕方には「湧太郎」のレストラン「源八亭」での酒席となった。話題は岩間さんのアメリカの生活や秋田県民気質、そして大学時代はどちらかと言うと物理を好んで学んだと言う岩間さんと伊藤先生が意気投合。熱心な物理論へと展開した。
そうした話から今度は突然、伊藤先生から「伊藤さんは工業高校でしたね。それにしても文学的だ」と話題が振り向けられ、ケンニチの「こちら編集室」へのお褒めの言葉と話は飛んだ。やがて「源八亭」の女将さんが顔を出し、「インターネット新聞を通じて知り合った岩間さんがアメリカから来てくれたのです」との紹介に女将さんも目をシロクロさせながら「わざわざうちの店を歓迎の場に選んで下さってありがとうございます」と感激した。
宴は時間を忘れさせるほど充実したものとなったが、「手に取るなやはり野におけれんげ草」の言葉だけが、音楽のように何度も流れた。その言葉を頭の中で受け止めながらも「でも、美しいものは独占したくなる。それが男の本音だ」と別な自分は答えた。その夜の二次会は大曲市だった。振替休日のため、夜のお店は休んでいる所が多かった。そのせいか幸いにも手に取りたくなるれんげ草との出会いはなかった。岩間さんと伊藤先生、斎藤さんと過ごした雨の夜は静かに更けた。
それにしても岩間さんを見送った後の17日夜のニュースはむごかった。朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)から伝わった拉致事件の結末は、あまりにも悲惨だった。拉致された8件11人のうち生存しているのはたった4人で、6人は死亡、1人は行方不明だという。テレビを見ていて「そんなバカな!」と思わず叫んでしまった。虚脱状態で記者会見する被害者の家族の姿が痛ましかった。横田めぐみさんは13歳で拉致された。まだ中学生だった。どんなに恐怖と寂しさで泣いたことだろう。
テレビを見ていて金正日総書記への怒りと恨み、そして日本政府の無力さと外務省への怒りが噴出した。今まで日本政府、外務省はいったい何をやっていたのか。国民をも守れない日本政府の情けなさに思わず、腹立ちの涙が浮かんだ。被害家族の悲しみに心が痛んだ。あまりにもむごい17日夜のニュースだった。北朝鮮の民主主義人民共和国という名の白々しさにも腹が立った。