夜が早い─。9月も下旬に入って日増しに感じるのは夜の早さだ。その夜の訪れの早さに体の感覚が追いつけないでいる。仕事を終えて何もない日は午後5時過ぎには会社を出て、妻を職場に迎えに行き、そのまま帰宅するが、小犬のパピーの散歩を終えるともう外は薄暗い。パピーの散歩の間、食事に夢中になっている柴犬のアキを連れ立って歩くころには真っ暗となり、懐中電灯を頼りに堤防を歩いている。歩きながら思うのは夜が本当に早くなったという夜への恐れだ。そして月の美しさへの感動だ。
十五夜は終わったが、夕べも月は煌々と輝いていた。森は漆黒に染まり、遠くの東山は濃い紫色となり、その山頂をうっすらと照らしながら大きな月がゆっくりと昇った。月が東山から昇ってくる様子は神秘的だ。そしてその輝きは孤独で、リリシズム(感傷的)な美しさだ。悲しみを伴う美しさだとも思う。目の前を流れる横手川が月の光りを受けてオレンジ色に輝いていた。橋の上から川面に映った月を見ると、まるで月が川に入って泳いでいるようにさえ見えた。空に浮かんだ月は端正な円だが、川に映った月は波に揉まれ、ゴムのように横に伸びたり、縦に縮んだりしながら、揉みくちゃにされていた。月が川の中で笑っているようにも思えた。
月を見ていると子どものころ、満月の夜に近所の仲間たちと外に出て、「影踏み」をして遊んだのを思い出す。あのころは街灯もなく、夜は本当に暗かった。暗かったから月の光りを受けた人影が、灰色の砂利道にくっきりと落ちた。その影を追って遊んだ鬼ごっこが「影踏み」だった。逃げる相手を追って、その影を踏むと勝ちで、踏まれた側が今度は鬼となって相手を追った。追われる相手は影を踏まれまいと夢中で神社へ逃げ、木の影へ隠れる。追う側にも追われる側にもスリルがあった。単純な遊びだったが、時を忘れるほど夢中になれた。
月の夜を歩いてみたいと思う。月を眺めながら歩いてみたいと思う。しかし、酒に卑しいこのごろは「花よりダンゴ」で、酒と付き合っているうちに「名月」も遠ざかってしまい、夜も更ける。月の美しい夜をあてもなく歩いたのは高校生のころの遠い昔だ。
月を求めて歩いたのはいつも南西の方向だった。遠くの町の明かりが星のように輝いていて、その小さな明かりを求めて歩いた。歩いても歩いても近づくことは出来ず、途中であきらめて引き返した。歩いた方向は多分、大森町や沼館の方だった。片思いに終わったが、その町の方向に好きな女の子がいた。少しでもその人の住む町に近づきたかった。空しい月の夜のさすらいだった。
それでも月を見上げながらの歩行はまだ良かった。あきらめて帰る時の足どりの重さはたまらなかった。月を背にして歩くのは辛かった。月の光りを背に自分の影を追うように歩くのは悲しいものだった。思えばその当時の自分は「竹取物語」のかぐや姫に恋した5人の男たちの哀れさに似ていた。
「竹取物語」は美しくも、悲しい話だ。竹の中から生まれた3寸ほどの女の子は成長すると例えようもない美しい娘となった。かぐや姫と名付けられた。その美しさに何とか妻として迎えたいと高貴な男たち5人が姫の元に通った。まだ誰にも嫁ぎたいと思わぬ姫は男たちに「私の見たいと思っていたのを持ってきてくれた方こそ、私への愛情の最も深い方だ」と5人の男たちに5つの難題を与え、それを妻となるための条件とする。
お釈迦さまが使ったという「仏の石の鉢」とか「火鼠の皮衣」、あるいは「龍の首に五色に光る球」などだ。いずれもわが国にはなく、遠い天竺や中国のものばかりだ。男たちはその難題に頭を抱えるが、それでも何とかして手に入れようとする。恋する男たちの無意味な努力や小細工が哀れだ。男たちは姫の願望に応えようとするがどれ一つ成功せず、一人は「恥を捨て」、一人は「深い山」の中に身を隠し、魂の脱け殻のような身となる。また一人は「あえなし」と人々に揶揄され、一人は「あな、耐え難し」と笑われ、一人はかなわぬ恋にうちひしがれ息絶える。恋とは無残なものだ。
その美貌の噂を聞いた帝が今度はそのかぐや姫に興味を抱き、会いに行く。帝もその美しさに一目で恋いこがれ、姫のとりことなってしまう。無理やり姫を御輿(みこし)に乗せて連れて帰ろうとするが「この国」のものでないかぐや姫は影のように帝の前から姿を消す。泣き泣き姫をあきらめる帝だが、手紙のやり取りが出来る仲となってようやくなぐさめられる。
その美しい姫も仲秋の名月の夜、月の都からの迎え人たちと共にこの国から姿を消す。姫を育て、わが子のように慈しんだおじいさん、おばあさんの悲しみは哀れだ。その二人の悲しみを前にかぐや姫も泣きしおれ、心を痛めながら天に昇っていく。
「月の都の人は、とても美しく、年をとることもありません。また苦しいもの思いにとらわれることもございません。そのような国へまいりますのも、いまのわたしには少しもうれしくはないのです。ご両親さまの、老いて、おとろえられる時をお世話申しあげられないことが、この後、なによりも悲しく、また恋しく思われることでございましょう」。
かぐや姫がおじいさん、おばあさんに寄せたこの言葉が悲しい。かぐや姫によってお金にも恵まれたおじいさん、おばあさんだったが、姫を失った後は血の涙を流して泣き、寝込んでしまったとか。愛するものを失った時の悲しみは想像に絶する。満月の夜、月の都の人たちの手によって月に旅する「かぐや姫」の姿を想像すると絵のように美しいが、悲しい物語でもある。秋の月は昔から人を詩人とさせ、悲しい物語を生ませたようだ。
「これから寂しい秋です。時折、手紙を書きます。涙で文字がにじんでいたなら分かって下さい」。
大館市出身の歌手・因幡晃は「分かって下さい」の歌で秋の夜をこう歌った。柴犬のアキを連れながら、まっ暗い堤防を歩き、さえざえとした月を眺めていたらいつの間にか自分もセンチメンタルな気分になっていた。書いた手紙の文字が涙でにじむ。秋とは悲しいものだ。寂しいものだ。