治療院に向かう時は、義母が私に韓国語を教えてくれ、帰りの車中では、朝鮮戦争前までの裕福に暮らした北朝鮮での37年間の思い出、戦争を逃れ40年以上生きた韓国ソウルでの暮らしぶりを語ってくれる。「子どもには喋らないのに、日本人の嫁に話したくなるのは不思議だね」、そう言う義母の横顔を見ながら、聞きためた話を彼女の半生記として、義母が愛し尽くした家族のために、いつか書き残したいと、私は決意を固める。
87年渡米し、アメリカ社会に溶け込むことを優先しようと、アメリカ人の中で恥じをかきかき、失敗をしーしーしてた自分に、少し余裕ができたのは10年前。韓国の文化を学ぼうと、何冊もの本を買い込んで勉強していたある日。主人がある韓国の新聞を見せてくれた。「日本で活躍する在日韓国人」というタイトルで、有名なスポーツ・芸能人の名前がずらり。
「五木ひろし、都はるみ、山口百恵、沢田研ニ、松坂慶子、岩城晃一、金田監督」などなど写真までついている。「えーこの人も、あの人も」と驚きの連続。太平洋戦争後、敗戦に打ちひしがれていた最も大変な時代に国民を勇気づけ、希望と力を与えた、プロレスの力道山や歌手の美空ひばりもそうだ。
大曲の実家にテレビが入ったころ、祖母がテレビに向かって、力道山の空手チョップに狂喜して歓声をあげていたことを思い出す。北朝鮮に生まれ、三歳のとき父を亡くし、苦労する母を幸せにしてやりたいと小さい時から願っていた力道山光浩(金 信洛)、戦後日本の精神的功労者とまで言われた彼は、北朝鮮の英雄でもあった。
10月15日の朝、ロスの日系テレビニュースでも、北朝鮮拉致事件の被害者5人が24年ぶりに家族と再会した模様が報道された。感動の涙が、ぼろぼろこぼれた。ともに、亡くなったとされながら希望をつなぐ被害者家族会の方々を思う。悲憤極まりない感情が吹き上げてくる。
それでも9月の小泉首相の訪問で、「北の扉が開いた」事実は、今後のアジア全体に軍事的脅威を緩和させる方向を与えると思いたい。アメリカ、ロシア、ヨーロッパ共同体、韓国でさえ、今回の「国交回復宣言」を歓迎すべき事態、との報道が圧倒的だった。北朝鮮が未熟で危険な国家であると認識した上での、見解であると思う。
「植民地支配時代に、日本は朝鮮半島の農村にトラックで乗りつけ、農作業中の男たちを強制連行した。何十万もの父親と息子たちだ。その妻、親、子どもたちの怒りと悲しみだって同じだ。日本中の拉致報道で私たちが感ずる嘆きと同じなのだ」と、先日入手した日系雑誌のコラムにあった。胸に温かいものが流れた。新しい風を感じた。
拉致被害者の真相究明を明かにするのは当然として、過去の不幸な歴史を乗り越えて、戦争のない友好の国としてつきあう交渉が始まってほしい。世界に緊張が高まっている時だからこそ、そう願う。
末娘夫婦と暮らす義母の家が近づく車中、「オモニ、あとどんな歌を憶えてますか?」と、私が聞いたら、「黒くてカーカー鳴く鳥、日本語で何ていったですか?」と義母。「カラス」と私。韓国語では「ガーチ」と義母が教えてくれた。
「カラス なぜなくの カラスはやまに かわいい ななつの子があるからよ、、、」 二人で大きな声で合唱した。なぜか私は胸が切なくなった。拉致被害者の方が、またご家族が、そして両国民が、何度も何度も往復できる日が、いつの日かめぐってきてほしい。
義母は、朝鮮戦争から逃れるために子ども4人と南下。北に残した自分の母親、兄弟たちと別れて50年以上。一度も、再会できていない。