こちら編集室「増上寺への旅」(10月18日)

 朝日が差し込んだ本堂はまだ薄暗いものの「これが浄土というものか」と思える荘厳な光りの美に満ちていた。良く磨かれた茶色の板の間は、朝の光りでキラキラと輝き、祭壇奥から入場してきた僧侶たちを影絵のように浮かび上がらせた。中央に座った導師とそのお弟子である伴僧、その両脇に4人ずつ「式衆」と呼ばれる僧侶が並び、さらに左手奥に10人の修業僧が座して静かな誦経が始まった。経を読むと言うより朝の本堂に響く僧侶たちのその静かな誦経はまさに妙なる〃音楽〃だった。お坊さんたちが仏さまに向けて奏でる音楽を聴いているような深く大きな感動を呼び起こすものだった。

 吉祥瑞雲居士、寿桜妙雲大姉。祭壇上の阿弥陀如来像は朝の光りに鈍色(にびいろ)に輝き、その仏さまの前に横手市と大曲市から参加した遺族の手によって運ばれてきた7つの遺骨が、僧侶の手によって静かに安置された。そのうちの2つが父と母の遺骨だった。「いつかは本山である東京・港区の芝・増上寺に父と母の遺骨を納めたい」。長い間の念願が14日朝6時にやっとかなえた。

 湘南海岸父と母の戒名が静かに読み上げられた時、仏さまにすがるような晩年を過ごした父と母も「やっとこれで落ち着ける場所に落ち着けた。マー、和子。ありがとう」。そう言って喜んでいるような気がした。そう思った瞬間、涙が滂沱(ぼうだ)としてあふれた。朝日を受けて黒光りする祭壇上の阿弥陀如来さまもあふれ出る涙でくもり、ゆらゆらとロウソクの炎のように揺れて見えた。妻も感無量だったようだ。父と母とは本当の親子のように過ごしただけに、その務めを果たせたとの思いにかられていたのだろう。ティッシュペーパーをハンドバッグから取り出し、流れ落ちる涙をぬぐっていた。

 8人の子を育てるだけで精いっぱいだった父も母も死後のことまでは手が届かず、信徒となった大曲市角間川町の「浄蓮寺」で位牌堂の建設に取りかかった時も、その場所を買いもとめることも出来ないまま、この世を77歳と88歳で去った。

 父と母とが浄蓮寺での位牌堂建設を巡ってそれを買い求めるべきかどうかで話し合い、とても「買えないな」と寂しそうな口調で諦めたのを覚えている。まだ高校生だった自分はお寺の事には関心もなく、「そんなものにお金をかけてどうなるんだ」と父と母との会話を不思議な思いで聞いたものだった。

 父の死後、仏壇を買い求め、そこに父の遺骨を納め、母の遺骨を納めていた。浄蓮寺の和尚さんからは毎月1回、お経を読んでもらうため家に来てもらうことにしているが、こちらのうっかりミスからカギを掛けたまま家を出てしまうという大変、失礼な落ち度を何度もしてしまった。それだけに父と母にはいつでもお経が聞ける「本山」に遺骨を落ち着かせたかった。増上寺では総勢20人ものお坊さんが並んでの読経となった。

 「おやじ、そしてバッチャ。どうだ。総本山の居心地は。いっぱいのお坊さんがお経を読んでくれてるね。良かったね。最高の幸せな場所に落ち着けただろう」。朝日を受けても祭殿の奥は薄暗かったものの浄土の世界を想わせる荘厳さは見事だった。

 午前6時から始まった読経は延々40分も続いた。左手の一番、手前に座った若いお坊さんの横顔は朝の光りに彫刻のように彫り深く浮かび上がった。ギリシャの美しい塑像を見るような思いだった。右手一番手前のお坊さんは優しい仏さまのような表情が朝日を受けてキラキラと輝いて見えた。延々と読まれるお経の声が心の奥にまでしみ入るような朝だった。

 芝・増上寺・鎌倉「光明寺」参拝の誘いを受けた時、妻も自分も「いい機会だから」と右顧左眄(うこさべん)することもなく賛同した。横手市の「光明寺」と角間川町の「浄蓮寺」の信徒さんたちとの旅で、東急観光の企画だった。合わせて35人の団体旅行となった。今度の旅で一番の悩みは柴犬のアキと小犬のパピーだった。旅行日程は12日から2泊3日だったが、大曲駅を発つのが12日早朝だったし、帰るのは14日夜だった。アキはこれまで何度か妻の実家に預け、旅に出たことはあるが問題はパピーだった。旅行の日程からしても、どうしてもパピーはペットホテルに4泊しなければならない。一度だけ2泊させたことはあるが4泊という長い宿泊はパピーにも経験がない。

 ペットホテルでも「ワンちゃんの宿泊は3日が限度なんです。3日を超えると犬も捨てられたのではないかと精神的に落ち込み、うんちは出せなくなるし、ひどい時は動物病院に連れていかなければならない時もあるんですよ」との事だった。しかし「まあ飼い方によって様々ですが」とそのホテルの主人は言いながら「毎晩、抱いて眠ってますか」と聞いた。「いや。夜はケージで一人で眠ってます」と答えたら「ああ。なら多分、大丈夫でしょう。可愛い、かわいいと毎晩、抱かれて寝ているワンちゃんだと見知らぬ人にも神経質で困るんです。ケージで過ごしている犬なら多分、大丈夫かと思います」。

 こんなやり取りもあってパピーの宿泊を引き受けてもらったが、パピーに少しでもそのホテルの人たちに慣れてもらおうと旅行に行く3日前にはそのホテルに預け、シャンプーで美容してもらうこともした。

 嬉しかったのは妻の実家でのアキの歓迎ぶりだった。11日夜にアキを抱きかかえ、車に乗せて妻の実家に駆けつけたのだが、実家では妻の母も含め家族全員が「アキ、アキ。来たか」と迎え入れ、アキが過ごす作業小屋に布団は敷いてくれるし、優しい声も掛けてくれた。家を離れることとなったアキは不安そうな顔も見せずすぐに落ち着いた。「アキは朝になったらビニールハウスで過ごさせるから。小屋だと暗くてかわいそう」と家族皆でアキをいたわろうとする配慮が嬉しかった。

 こうしてアキを預け、パピーをホテルに預けての旅となった。東京駅で下りて、迎えに来ていた観光バスに乗ってその日は小田原、芦ノ湖遊覧、そして箱根の湯本温泉への宿泊と言う日程だった。しかし、東京を離れ、高速道路に上がったと同時に渋滞に巻き込まれた。連休ということもあって、多くの人が車やバスでレジャーを求め動き出したようだ。バスはノロノロ運転となり、小田原では昼食を予約していたドライブインが自動車道の高架橋から見えるというのにバスはそこへ着くまでに1時間近くもかかった。午後0時半到着予定が午後3時だった。
 元箱根での「関所跡」の見学を楽しみにしていたが、遅れに遅れた時間の都合もあって関所跡の見学は10分足らずの慌ただしさで、芦ノ湖遊覧への移動となった。船の上から富士が見えた。富士は箱根の山々にその裾野は隠され、シルエット姿で浮かんでいた。スマートで美貌の富士だった。富士を見たのはこれで何度目だろう。富士はいつ見ても美しく、スマートな山だと思った。

 芦ノ湖遊覧を終えて再びバスに乗り、箱根の山のドライブとなった。夜の闇が急ぎ足で駆けつけ、月が山越しに浮かんだ。車中から「ああ。ここでも月が見られた」と感動が湧いた。「箱根」。秋田に生まれ、秋田で暮らす自分には箱根という観光地は縁のないもので、小説やテレビドラマの世界のものと思っていた。その箱根のホテルに泊まれる。そう思っただけでとても幸せな気分のバスの旅だった。ホテルには露天風呂もあり、一緒になった男性客と「何と言っても日本で最大の観光地、箱根に泊まれるんだから感動だよね」と単純に喜び合った。

 そして翌朝、少し二日酔いの頭で再びバスに乗り、小田原から平塚市、茅ヶ崎市と湘南海岸、七里ヶ浜と美しい海岸沿いを走った。渋滞は相変わらず続いた。この日も快晴だったが、海は高波で大荒れだった。サーフィンを楽しむ若者の姿が海の藻屑のように波に浮いては消えていた。自宅に帰って新聞を見て知ったのだが、高波は台風22号がもたらしたもので、海難事故があちこちであったと報道されていた。

 鎌倉では同じ浄土宗派の「光明寺」を参詣し、その日の夕方、やっと増上寺へたどり着いた。その晩はその寺の宿泊施設に泊まり、翌朝の法要への参加となった。初めて見た増上寺の構えは見事なものだった。徳川家に支えられた寺としての誇りと格式があった。朝の法要の後はお坊さんの案内で院内を見学し、朝食を済ませ、再びバスに乗って柴又の寅さん記念館や帝釈天を歩き、上野駅で自由行動となった。

 ピカソ展会場前で上野駅では妻が「ピカソ展が開かれているはず。上野の森の美術館に行ってみよう」となり、天才・ピカソの絵の鑑賞となった。ピカソと言えば抽象画の印象が強く、こちらはその不思議な世界に馴染めなかった。しかし、今回のピカソ展は少年期から青年期に描いたデッサンが中心とかで、油彩はごくわずかだった。館内は大変な混みようで、とても落ち着いて絵を鑑賞できる雰囲気ではなかった。

 結局、空いている隙間を縫っての鑑賞だったが、子どもの時に描いたと言う手のデッサンでも、父や妹のスケッチや石膏像の習作でもピカソは絵の基礎を「これでもか、これでもか」とあきれるほど繰り返し、学んだのが伺えた。そしてその基礎があったればこそ描けたと思える14歳の大作「初聖体拝領」の見事さ、神秘的な美しさには天才・ピカソの才能が存分に発揮され、しばし足を止めて鑑賞した。

 デッサンを見ているうちに馴染めなかったピカソがいつの間にか好きになっていたようだ。その感情のまま売り場に出たら、ピカソの絵のリトグラフ(石版画)が販売されていた。3万円、5万円、15万円などの値段が付いていた。そのリトグラフを見ながら「ピカソの絵を家に飾ってみたいね」とどちらからともなく言い出した。販売員がスーと寄ってきて「いいでしょう。とても明るい雰囲気を持ってますよね」と勧めた。リトグラフそのものはフランスから取り寄せ、額装してから送り届けるという。

 平和の象徴「ハト」を描いた絵など様々なリトグラフが展示され、ピカソ独特の赤や黄色の線が何とも言えぬ魅力があった。手の届かぬ値段でもないと妻とも話し合い、妻の希望を受け入れて「花束」と題した絵を注文した。こうして天才画家・ピカソの絵の片割れ(?)が我が家を飾ることとなった。

 ピカソ展を後にしてから大曲のペットホテルに電話を入れた。「あのー。パピーの家族の伊藤です」。「ああ。パピちゃんの。パピちゃん元気にしてますよ。ただ、連休なのでほかにも預かっているワンちゃんがいて、その犬を迎えに来た家族がいると『今度は自分の番かもしれない』とパピちゃん、泣くのね。かわいそうで」。ホテルの女の人の声にこちらもウッと詰まった。「お店は7時までですよね。こちらが大曲に着くのは8時近くなんです。明日の朝9時には迎えに行きますから、どうかお願いします」と行って電話を切った。

 アキは大曲に着いてその足で迎えに行った。小屋の中でぐっすりと気持ちよさそうに眠っていたアキは「アキ。迎えに来たよ」と呼びかけるとムックリと起き上がって、しっぽを振った。パピーは翌朝9時きっかりに迎えに行った。女の人に抱きかかえられて二階から降りてきたパピーはこちらを見つめると一瞬、目をカッと輝かせ、表情がパッと明るくなった。そしてしっぽを大きく振り、飛びつくように抱きついた。パピーは抱きついたまま離れようともしなかった。「パピー。パピー。迎えに来たよ。ゴメンな、ゴメンな」。パピーは車の中でも片時も膝から離れようとしなかった。犬と暮らす日々は大変だが、こうした愛情の交差するのも何とも言えない。パピーは家の中に入ると安心したように寝転んだ。犬と暮らす楽しい日々がまた始まった。
仏壇からは父と母の遺骨が消えた。少し寂しい気もするが、本山で父と母の遺骨は眠り、神秘的な読経の世界で朝夕を迎えていることだろう。今度の休日には仏壇を整理しよう。