こちら編集室「顔写真の扱い」(10月25日)

 一時的なものと思うのだが、変な寝癖が付いてしまった。布団の中でバンザイしながら眠っているのである。別におめでたい夢を見ているのではない。嬉しい夢を見ているのでもない。眠っていながら、両腕を頭の上に向けてバンザイしているのである。このため肩から両腕が冷えきって、深夜に寒さで目覚める。布団からはみ出した肩と両腕は夜の冷え込みで冷たくなっている。「ウッ。寒い」と布団の中にあわてて手を引っ込め、両手を交互にさすりながら再び眠りの世界に入っている。朝までにこれを何度か繰り返すため、目覚めがどうもこのごろスッキリしない。

 今朝もそうだった。昨日も、その前の朝もそうだった。眠っていながら寒さで何度も目覚める。テレビを見て夜更かしするという習慣はもうなく、ビール、酒を飲むと10時前には床に入る。そして午前5時半前後には起こされ、パピー、アキの交互の散歩となる。眠りは深い方だが、バンザイ姿で眠って、深夜に寒さで目覚めてしまうのには参った。おかげでここ数日、慢性的な寝不足状態で、朝の出勤時、車のハンドルを握ると眠くてしょうがない。このため妻を職場に送り届けてから車内で10数分の仮眠を取っている。なぜ眠っていながらバンザイするようになったのか。困った寝癖がついたものだ。

 儒教の世界に人間を性善説、性悪説と例える言葉がある。孟子は「人間の本性は善である」と性善説を唱え、荀子は「人間の本性は悪である」と性悪説を唱えた。孟子は「人は生まれながらにして仁・義・礼・智の萌芽が備わっており、それを養い育てることで4徳(仁・義・礼・智)を実現できる」とした。一方の荀子は「人は生まれながら欲望にしたがって行動する利己的な性質を持つから、教育で矯正しなければならない」と説いた。

 孟子の言い分も、荀子の主張もどちらも正しいと思う。あえて言えば人は性善と性悪の両方を兼ね備えている動物かと思う。自分自身、欲望に従って行動する利己的な性質を持っている。身勝手で、わがままな自分の性格を余り好きにはなれない。それだけに他人に迷惑をかけることだけはしたくないと自重している。

 一方で仕事を通じてはできるだけ読者に喜んでもらえるような記事を送り届けたいものと努めている。新聞は悪質な犯罪があれば、その犯罪者の顔写真も付けて報道し、世間に警鐘を鳴らす。一方で何かの功績で表彰された人や作文コンクールや絵画コンクールなどでいい成績を取った子どもがあれば、その顔写真を紙面に掲載して家族や学校に喜んでもらえるような報道もする。しかし、このごろ子どもの顔写真の扱いはどうも考えさせられる。

 子どものいない遊園地(千畑町で)大曲市の選挙管理委員会が募集した「明るい選挙啓発標語コンクール」でのことだ。最優秀賞に輝いた子どもへの表彰状伝達の取材に同行して、顔写真を撮った。撮ってから困ったなと迷った。小学5年生の女の子だったが、その顔がとても美し過ぎると思った。女の子は最優秀賞の賞状を手に素直に喜び、嬉しそうな顔でカメラの前に立った。「おめでとう。良かったね」とこちらも声をかけ、職員室の白っぽい壁を背景に写真を撮って「ほら。こんなふうに写ったよ」とデジカメのモニターで写真を見せた。少女は嬉しそうにうなずいた。先生たちも温かい目で見守った。

 しかし、ケンニチの編集を終え、顔写真を入れる段階になって考えた。写真は縮小したとはいえ、記事に取り込んでみるとやはり美しいと言うか、かわい過ぎる。写真を入れたら少女はもちろん、家族も学校も喜ぶかもしれない。しかし、言い知れぬ不安も募った。少女一人だけでなく、ほかの子どもたちも入るのなら目立たないかもしれないが、少女だけの写真掲載は危険を伴うのではないかと思った。かなり縮小したつもりだが、少女の美しい輪郭、黒い大きな瞳はまるでタレントのようである。

 人は性善説と取るべきか性悪説と見るべきか。どちらかと言うと自分は人は生まれながらにして善人と信じたいが、今回はあえて後者を選択しようと判断した。インターネットで新聞を発行して、これまで読者から受けた印象は紛れもなく「性善説」だ。しかし、もしものことがある。顔写真と同時にその子を特定する名前も報道される。喜んでもらえると思って紙面に掲載した写真が、次から次へとコピーされ、インターネット特有のいわゆる裏社会に流れないとも限らない。同時に新潟でかつてあった少女拉致監禁事件も頭にちらついた。

 少女が中学生ぐらいになっていて、見知らぬ人から声をかけられ、危険かどうかを判断する能力が備わっているのなら別だが、まだ小学生である。とにかく顔写真掲載は止めようと判断した。報道に携わる者はまず子どもを目に見えぬ闇から守ると言う意識を最優先すべきだ。学校に電話を入れ、校長先生に事情を話し、子どもの顔写真ではなく表彰状を受け取っている写真を使うことにしたと報告した。先生からも「子どもへのご配慮、ありがとうございます」とお礼の言葉を受けた。

 使えなかった子どもの顔写真と表彰状を受け取っている写真はプリントしてもらい、市教育委員会を通じて学校に届けてもらうことにした。小さな写真だが、少女のささやかな思い出になってもらえればいい。

 それにしても15日に一時帰国した北朝鮮拉致被害者の連日の報道には泣かされる。同時に「なんてひどい国なのか」と北朝鮮への怒りも募る。親子関係を突然、打ち切られ24年間ものながきにわたって北朝鮮という見えない国家に隔離された5人の一時帰国者たち。これまでの報道では北では想像以上に好待遇を受けて暮らしてきたようだが、24年もの間、子どもたちの生存を祈り、待ちに待った父や母、兄弟、姉妹の思いはどんなだろう。ましてや死亡とされた横田めぐみさんら8人の家族の悲しみはどうだろう。

 一時帰国した拉致被害者への取材は報道関係者もかなり控えた態度で接しているようだが、新聞・テレビを見ていて取材する側の難しさにも頭を痛める。もしも自分だったらどのような取材が出来たのか。テレビの映像、新聞の写真を見ていると時には代表取材という方法も取っているようだ。祖国でふるさとを楽しんでいる拉致被害者の心の中に土足で踏み込むようなことはしまいとする今回の報道各社の節度ある態度と行動には賛同する。ただ祈りたいのは彼らの幸せ、家族の願いが達成することだ。政府は5人の拉致被害者を北朝鮮には帰さず、永住してもらうことで対処することになったと報道されている。そして北朝鮮に残された子どもらも早期に呼び寄せたいとしている。その願いがかなえることを祈りたい。小学生の女の子の顔写真一つをめぐって報道のあり方を考えさせられたこのごろだった。