ノーベル物理学賞を受賞された小柴さんが、ご自身が通われた小学校の生徒に手紙を出された記事を読んだ。小学校一年生でも読めるようにと、全文ひらがなで書かれたと知り、小柴さんの人間性が胸の中に染みとおる気がした。物理学賞と化学賞のダブル受賞者を輩出した日本と、地元のロサンゼルスタイムスにも掲載され、私の胸もスカーット!かっこよく広がった。
アメリカでは、携帯メールの普及が遅れてまだまだ浸透していないが、あちこちで携帯で喋ってる人は多い。みんな人とのふれあいを求めてる。とにかく喋りたいのだ。うちの息子も娘も携帯電話こそ持っていないが、学校から帰宅するなり自分のコンピューターに直行し、ちょっとチャットチャットに余念がない。
でもこんなデジタルな時勢だからこそ、手書きの手紙の効果は特別に大だと感じる。手紙の良さは、いつでも読み返せること。思いが込められた差出人の文字が語りかけてくれることだ。「こしばのじじから」と書かれた小柴さんの手紙の文面は、子ども達の一生に光りを贈り続けると思う。
フランス人の母親とアメリカ人の父親をもつ、息子の友達のビクターは、3ヶ月ある夏休みを南フランスで過ごすが、必ず毎夏に絵葉書を息子に送ってくれる。マカオ出身の私の友達のグレースは、毎週マカオから届いていたお父さんから娘への手紙が自慢で、お父さん亡き後、山のように束ねた手紙を宝物にしている。
離婚経験バツイチの友達マギーは、イタリアに留学している16歳年下のボーイフレンドから毎日、毎日、毎日カードが届く。「何してる?」だけだったり、「昨日電話したけどいなかったから寂しかった」とか、極めつけささやかというか、どうでもいいと思える内容と私は思うのだが。とにかく気持ちを届ける行為に、彼は自己満足してるらしい。恋は疲れを知らない。
「姉ちゃんからもらった葉書、大事にとってるよ」と、去る7月に訪ねた秋田市に住む末の妹が、そう言って1枚の葉書を見せてくれた。長女の私が上京し数年、すぐ下の妹は田沢湖町に嫁ぎ数年、弟は弘前大学に入学のため家を出た頃。実家には祖母と父と妹の3人だけという暮らしが始まったころに書いた葉書だった。
私の母が再生不良性貧血症で37歳で亡くなった時、私は17歳だったが、末のこの妹はまだ12歳だった。お母ちゃんと一緒に生きれた月日は短かった。この妹を思って、小さなイラスト付きで自分が東京から20年以上も前に送った色あせた葉書。それを手にし、私はとても妹がいじらしく感じ、涙をこらえた。
「家中探しても金庫の暗号が見つからない。結局ドリルでこじ開けることになった。中からは750通もの手紙が出てきた」と、ある方のエピソードが誌面に紹介されていた。この方は、世界でただ一人ノーベル平和賞と化学賞の受賞に輝く、ライナス・ポーリング博士。夫人に先立たれたその博士が亡くなった後、遺族も知らなかった博士夫妻の金庫が見つかった時の話である。
その750通の手紙は、博士夫妻が知り合った20代の学生のころから夫人が亡くなるまでの約60年間に書かれたもの。博士がエバ夫人宛てに送り続けた手紙だった。計算するとだいたい毎月に一度、博士が夫人に手紙を書かれたことになるという。
今、私は月に2回の割合で、父と末の妹に手紙を書いている。メールをやるすぐ下の妹と弟との交信に感謝しながらも、手紙には味わいを感じる。いつも「手紙もらったよ」と、受信を知らせるファックスが妹の手書きでロスの自宅に届く。
父は英語のあて先を書くのが障害と言い訳し、私からの片便りが続いている。自分は返事を出さないのに、次のアメリカ便りはまだかまだかと待っているだろう父。11月4日は、父の71歳の誕生日だ。その日にまにあうように明日、娘の愛情たっぷりの誕生祝いの手紙を書くつもりだ。悲しみと苦労続きの父だったから、少しでも喜びを贈ってあげたい。