こちら編集室「雪の朝」

 雪が来た─。10日朝の雪景色を見てそう思った。「雪か─」。真っ白な風景を眺めていたら観念したような、諦めたような気持ちが広がった。外に出たら20センチを超す積雪を見せていた。除雪車もまだ動いてない。小犬のパピーをこの雪道ではどうしようと思った。日曜日で、今日は家族も家に居るんだと判断したパピーは「遊びに行きたいよ」と家の中で「ワンワン」吠えている。「パピー。うるさい!」。妻の叱る声がした。「連れて行ってくるよ」。そう言ってパピーを抱き上げ、雪道に放した。

 パピーは雪が嬉しいのか、雪道を泳ぐように歩き出した。車が走って、雪が圧雪状態となった所はいいが、雪が積もったままの所だとパピーはお腹まで雪の中に沈んだ。その雪に埋もれながら、泳ぐように歩いた。相変わらず右へ行ったり、左へ行ったりとせわしない。男の子だから、電柱など立っているモノを見つけると自分の領域を示す〃印〃を残さなければならないのだ。柴犬のアキと歩いていたころは雪道でも〃思索〃の時間となったが、パピーと歩き始めてからは思索どころか、落ち着きのない動作に目が奪われ、季節の変化を観察する気持ちにもなれない。

 一回りして家の中に入ったらパピーの体からどさりと雪の塊が落ちた。「アレッ」と思って抱き上げたら、長い毛には雪の丸い塊が何個も付いていた。赤ちゃんの握り拳のような塊だった。抱き上げてその塊をはがそうとしたら毛もろとも引っ張られ、「キャン」と悲鳴を挙げた。雪の塊はすでにパピーの長い毛を丸め込んで凍りかけていたのだ。風呂に連れて行ってタオルを湯で温め、パピーの体にまといついた雪の塊を解かした。まだ11月なのに「冷たい、真冬のような朝なんだ」とその時、気がついた。

 パピーを居間に放し、車庫のシャッターを開けてアキを呼び起こした。アキは犬舎の中でゴソゴソともがきながらおもむろに顔だけを出した。外を見たら真っ白な銀世界。「こりゃあいけない」とアキは後ずさりし、犬舎の中に入ろうとした。「アキ。だめ!。表でおしっこをしないと」とリードを引っ張って外へ出した。抵抗しながらも雪の中へ出されたアキは寒そうなしぐさで四つんばいになり、白い雪を黄色く染めた。

 雪景色(15日・南外村で写す)14歳と老齢だが、食欲だけはまだ十分にある。用を足すと「さあ。ご飯だ」とばかりに「ウオーン。ウオーン」と催促を始める。朝食を与えるとむさぼるように食べ、すぐにまた犬舎に入ろうとした。そのアキのリードを引っ張って雪道を再び歩き出した。アキは「寒いし、冷たいし、歩きたくなんかないよ」とぼやきながら付いてきた。首を垂らしながら歩くアキの仕草がそう語っていた。アキは横手川の堤防までの数百メートルの道のりを歩くのにも随分、時間がかかるようになった。途中でなんどかしゃがんでは雪道を黄色に染めた。以前はきっちり堤防まで行かないと用を足さなかったのに、老いたアキは場所を選べなくなった。

 アキは枯れ葉が散るようになってから自分の力では便も出せなくなった。仕方なくこちらがアキの肛門を手で絞って、出すようになった。最初のうちは何とかアキが自力で踏ん張って出してくれるよう根気よく見守ったが、わずかな塊を垂れ落とすだけだった。それが次第に腸の中で固まってしまったのだろう。深夜に苦しさで何度も叫んだ。悲痛な叫び声が車庫から響き「アキ。どうした?」と寝室から妻と共に駆けつけたら、アキは犬舎の中で苦しそうにもがいていた。

 お腹の中に便がたまって苦しんでいるのがすぐに分かった。アキを横たえ、肛門を手で絞った。アキは痛さと苦しさに「ウオー」と悲鳴をあげた。そして抑えていた自分の手を払いのけるようにして跳ね起き、手を齧(かじ)ろうとした。ガブリとこちらの手首をくわえた。しかし、くわえたもののアキはかもうとする力を示さなかった。「かじってはいけない」。飼い主への本能的な愛が引き止めたのだ。

 アキは手首にかみついた口を放し、横たわった。後は唸りながらこちらに身を任せた。絞り出すとアキのお尻からは大量の便が次から次へと出てきた。横たわったアキの体の下に新聞紙を敷いて、便の始末の準備をしていた妻も「アキ。頑張れ。アキ。いっぱい出せよ」と声を掛けた。「アキは偉いよ。おれの手をかじろうとしたが、とうとうかじれなかった。やっぱりアキは偉いよ」。アキの便を絞り出しながら、アキを褒めた。冬を前にした10月の寒い夜だった。

 その日以来、アキは便の始末はこちらに任せきりだ。便の方はそれで片づいたが今度はおしっこが問題になった。車庫の中ではやることがなかったおしっこなのに、寒さが募ると車庫の中でおしっこの垂れ流しの日々となった。新聞紙を敷いているが、仕事から帰ると新聞紙はおしっこでぐしょ濡れだ。車庫内におしっこの臭いが充満した。シャッターを開けっ放しにし、風を入れて臭いを消すしかなかった。

 朝夕毎日、大量の新聞紙がアキのおしっこの処理に使われた。寒いせいかと思って10月半ばから試しに床暖房のスイッチを入れてみた。その日からアキの車庫内でのおしっこはきっぱりと止まった。「そうか。アキ。寒くておしっこを我慢できなかったんだ」。妻もホッとしてアキを慰めた。犬も人も「歳」を重ねるということはこうしたことかもしれない。寒さに耐えられなくなったアキを見てそう思った。アキの老後を静かに見守ってやるしかあるまい。

 雪が降った10日の朝。近所の人たちはスノーダンプを持ち出して、雪寄せ作業を始めていた。アキを空き地に連れ出し、おしっこが終えるのを待っていたらお隣の母さんが、玄関を開けてチラリと顔半分を出した。自分と同じ年の息子さんがいて、小さいころからお世話になった。玄関から出したその顔はおびえたように白かった。そしてたったひと言「たまげたな・・・」とつぶやいて家の中に消えた。かなりの高齢だが、一人で晩年を過ごしている。

 その「たまげたな」は雪を恐れ、雪への恨みを込めた言葉のように聞こえた。雪が降っても、玄関前の雪を寄せる力はもうない。「たまげたな」はまた「この冬もマコちゃん、助けてけれな」というメッセージを込めたものかもしれない。除雪車が走り出すと、我が家の玄関から車庫前だけでなく、隣のその母さん宅の玄関前の雪を寄せるのが毎冬の日課となっている。今年も雪寄せ作業が始まるなと覚悟した。おしっこを済ませたアキは車庫に入って「ウオーン。ウオーン」とご飯の催促を始めた。気の早い冬景色を眺めながら、アキにはもっと頑張ってもらい、暖かい来年の春を迎えさせたいと思った。

 14日朝。外に出たら積雪は50センチもあった。しかも除雪車が走って玄関前から車庫前には大量の雪が残されていた。午前5時半から始めた雪寄せ、パピーとアキの散歩、そして隣の家の玄関前を片づけたらヘトヘトだった。今年も雪との格闘が始まった。それにしても早過ぎる冬の到来だ。