<Vol.40>「封印された‘ウルトラセブン’」(02・6・1)
| 封印された‘ウルトラセブン’
1960年代後半の少年の楽しみは、日曜夜7時からの‘ウルトラシリーズ’を、家族と夕餉(ゆうげ)を共にしながら見ることだった。ウルトラQをはじめ、ウルトラマン、ウルトラセブンなど円谷プロ隆盛の基礎を築いた名作が、この頃に集中していた。今ではビデオも出ているから、あの頃を懐かしみながら子供といっしょに見ることも可能である。しかし当時放送されたウルトラセブンシリーズの中で、唯一ビデオ化されていない回があることを知っている人は、マニアを除けばそれほど多くない。1967年12月に放映された第12話「遊星より愛をこめて」は、ビデオリストに無く、解説本にも「欠番」とある。隠されているものを見たいのは人間の性(さが)、マニアの間ではこのビデオがひそかに出回り、高い値段で取り引きされているという。いったい何があったのか、その経緯を調べてみた。 ・・・地球から核兵器が全廃されたある日、宇宙空間で爆発が起こりウルトラ警備隊が調査に向かい、「放射能が検出された」と報告。その直後東京で相次いで人が倒れるという事件が発生、警備隊は倒れた人が共通に身につけていた腕時計が怪しいとにらむ。調査の結果地球上にない金属で作られており、身につけていた人から白血球を吸い出していたことが判明した。そしてついにある一団が組織的にこの時計を配布していることを突き止め、アジトに駆けつけた。そこにはすでに時計ほしさに子供たちが集まっており、隊員が必死に押し返しているところに、スペル星人が姿をあらわした。彼らは宇宙核実験の影響で血が汚染され、地球人の血を狙って時計を配っていたのであった。そしてセブンが登場し・・・というのが「封印された」ストーリーである。放映された時点では何の問題もなく、その後再放送もあったが苦情や抗議は一件もなかった。 しかし70年に入って事態は一変する。小学館の小学生向け雑誌が付録としてウルトラシリーズの怪獣カードを作製した際、血を狙ったスペル星人を「ひばく星人」という肩書きをつけたことに発する。このことを知ったある被爆者団体が「差別的だ」「被爆者を怪獣にするのか」などと、出版社、放送局、プロダクションに抗議したのである。この事件は新聞でも取り上げられ、社会問題化していく。抗議を受けた側は謝罪し、その後第12話に関する写真や記述はすべて削除され、フィルムも封印されたのである。 では、なぜこれほどまでヒステリックな状況になったのか。70年当時は米ソの冷戦がもっとも深刻だった時期で、核兵器の際限ない開発競争、ベトナム戦争での核使用の恐怖、沖縄返還の条件を「核抜き本土並み」とした政府方針といった現実的な問題が影を落としていたであろうことは容易に想像できる。さらに中国が水爆実験に成功し、当時国交のなかった共産主義国の脅威が、盛んに宣伝されていた。日本国内においては革新勢力が主要自治体を席巻していた時期で、それに呼応するかのように、どちらかというと革新系に近いと目されている被爆者団体が盛んに活動していたのである。こうした情勢を背景に、国内において‘核アレルギー’が頂点に達していたとみることはできないであろうか。 シナリオを読む限りでは、一人の地球人の被爆者も出てこないが、スペル星人にはやけどやケロイドと思われる部分があったようである。もうひとつ、倒れた人の状況を聞いた主人公モロボシダンが、「すると原爆症によく似た症状ではないですか」と話すシーンが出てきているところからみて、放射能被害を念頭においたストーリーであることはまちがいない。ところが番組内では一度たりとも「ひばく星人」という言葉は使われておらず、出版社側が勝手につけた「肩書き」が問題にされたのである。 「差別的だ」と批判された製作者側はどうみているか。ウルトラシリーズの脚本を数多く手がけてきた佐々木守氏は「原爆反対を訴えている」と語り、この作品の監督を務めた実相寺昭雄氏は「叙情的に核兵器の恐ろしさを訴えた作品」と評している。少なくとも製作サイドには差別の意図やそれを匂わせる表現は見られない。むしろ逆に、核兵器をめぐる当時の日本人の心情を捉えているように思える。 ここにおもしろい事実がある。アメリカのケーブルTVのアニメ専門チャンネルでは‘セブン’も放映されているのだが、2000年1月には、この幻の第12話も放送されたのである。実は今出回っている‘幻のテープ’の多くは、これを録画したものといわれている。差別的表現に厳しいアメリカのTV局が、日本での騒動を知っていたのかどうかは定かではないが、少なくとも問題があるという認識はなかったものと推察される。 事件からすでに30年以上が経過し、核を取り巻く状況には大きな変化がみられる。被爆者団体や被爆者の意識も積極的に被爆の実情を訴えていこうという姿勢になり、‘ヒバクシャ’という言葉も国際語として通用するようになるなど、タブーはかなり取り除かれている。この「遊星より愛をこめて」が単に少年向けの特撮物という枠を越えて、強いメッセージを持っているのではないだろうか。作品の中で、恋人が実はスペル星人だったことを知った女性は、最後に「地球人も他の星の人も、おんなじように信じあえる日が来るまで(この事実を忘れない)」と語っているところからもうかがえる。被爆者もそうでない人もお互いを知ることが大切、と訴えているように聞こえる。‘封印’を解く条件は整っているように思えるのだが、肝心の円谷プロにはその予定はないという。(Q) 参考資料;「朝日新聞」2001年8月3日号、『DVD&ビデオ探偵団vol.1』(ビジネス社) |
<Vol.39>「ラグビーに期待するその2」(02・5・25)
| ラグビーの復権に期待する-その2
世の中はすっかりW杯モードに突入。TVも新聞も雑誌も、巷の世間話もすべて「サッカー、サッカー」である。しかし‘もうひとつのW杯’を忘れてはならない。来年10-11月に豪州で開かれるラグビーW杯のことである。世間のサッカーフィーバーに棹さして、ここはあえてラグビーの話をしてみたい。 2001-02シーズンは、サントリーが持ち前の高速展開ラグビーで‘常勝軍団’神戸製鋼を破るすばらしい活躍を見せた。かつて「接近・展開・連続」という‘大西理論(※)’が、欧州・オセアニアに比して体格の劣る日本選手が対抗できる方法論として浸透したことがあった。相手の防御体制が整わないうちに連続攻撃を仕掛け、奇襲攻撃やあっと驚くサインプレーを絡ませれば、強豪と堂々とあたりあえることを証明したのである。しかし、その戦術を徹底しないままに大型化を進めた日本は、国際試合での惨敗を繰り返し、スキルとフィットネスでラグビー先進国に追いつけないことを思い知らされた。そういう点で、大西理論の原点に戻ったサントリーのラグビーが頂点に立った意義は大きく、今でもこの戦術を徹底すれば十分戦えることを示したのである。 とはいえ、いまだ日本のレベルが世界のB-Cクラスにいることは否定できない。かつて小欄でラグビー復権のカギとして▽大学の「対抗戦」グループと「リーグ戦」グループを統一する▽企業チームから脱したクラブチームへの再編▽プロ化の促進▽スポーツ少年団と女子チームの組織化をあげた。(Vol.18参照)このうち▽プロ化の促進とスポーツ少年団と女子チームの組織化は大きく前進し、企業チームから脱したクラブチームへの再編でも具体的な動きが見られる。いわばこれらは「ラグビー底辺の強化・拡大」という意義付けだが、何といっても社会人リーグを全国レベルに再編することが、トップの力を引き上げることにつながる。Jリーグ効果で、世界でも戦えるレベルになってきたサッカーがいい例であろう。 そしてこのほど日本ラグビーフットボール協会は、ついに「全国リーグ(仮称スーパーリーグ)構想」を打ち出した。‘ラグビー版Jリーグ’である。現在のリーグ編成では、関東リーグ所属のサントリーと、関西リーグにいる神戸製鋼は社会人選手権や日本選手権でないと試合が組まれない。トップレベルにいるチーム同士が絶えず切磋琢磨する環境作りが、スーパーリーグ構想の眼目である。この改革が、来るW杯で日本チームが活躍するステップになるのを期待したい。(J) ※当時の早大監督、全日本チーム監督の大西鉄之祐氏(故人)があみだした戦術
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<Vol.38>「21世紀ニッポンのモラルハザード」(02・5・18)
| 21世紀ニッポンのモラルハザード
犯罪を糾弾すべき裁判官が少女売春に手を染め、脱税を取り締まる任にあった元税務署長が巨額脱税を平然と行い、社会正義を実現する立場の検察幹部が暴力団とツルんで手数料をだましとる。弁護士は依頼者の預かり金を横取りし、警察官の犯罪や不正はもはや日常茶飯事と化した。大学研究室という密室では教授のセクハラがまかり通り、教師のわいせつ事件などニュースにもならなくなった。政治家のうそや不正は与野党問わず蔓延しきっているし、エリートと呼ばれた官僚はたかりの精神構造に蝕まれて血税を食い物にした。完全な主権侵害を侵害とも思わない領事館は、さっさと閉鎖すべし。一流銀行は自分のところのシステムひとつ制御できずに経済停滞の一因を作り、名門食品会社が平気で産地を偽装してはばからない。 これまで「権威」「あこがれ」「立身出世の代名詞」として国民から信頼と敬意を集めてきた一連の職種の人たちが、枕を並べて討ち死にしている姿が、そこにある。だがモラルハザードは、これほど地位の高い人ばかりに蔓延しているわけではない。 破綻しても国が救ってくれると今でも信じ込んでいる無能力ゼネコン経営者、特殊法人改革阻止のために資料集めと理論作りに日夜励むエゴ小役人、破綻寸前の国に対していまだに「道路を造って、橋をかけて」と陳情に日参する哀れな自治体首長は、合併で地位が危なくなっているね。ご愁傷様。 「生活習慣をしっかり叩き込んでください」と恥ずかしげもなくPTAで発言するアホ親、電車内で平気で化粧する恥知らず女子学生、あたりかまわず携帯でおしゃべりを続ける能天気OL、高齢者に席を譲ろうともしないバカモノいや若者。「駅への行き方くらい覚えろよ」とどなりたくなる地理を知らない急造新米タクシー運転手、教えられた通りの受け答えはりっぱだが応用がさっぱり利かないファーストフード・アルバイト店員、上司の命令がないと動く気配すら見せない指示待ち社員。子供を車にほったらかしにしてパチンコに興じる育児放棄ガキ親。公共の場所で人目もはばからずイチャつくバカップル。社会常識を一から学習してこい。 分数、小数の計算方法を教える短大、中学レベルの漢字が読み書きできない学生を卒業させる大学はただちに閉鎖せよ。注意するとすぐ食ってかかってくるキレモノ高校生、抵抗できないホームレスに暴行を加えても罪悪感を持たない暴れん坊中学生は、司直の裁きを受けて社会の厳しさを味わってくれ。そして学力低下の最大戦犯=文科省は、今すぐ週5日制を6日制に戻せ。 構造改革の掛け声だけは高いが、何が変わったのかさっぱり理解できない。ただ失業者、自殺者と倒産企業が確実に増えたことは実感できたが、モラルハザードの深刻さもまた確実に強まっている。(Q)
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| 「機能しない国」ニッポン
世界経済の‘お荷物’になりつつある国が世界に3つあるという。アルゼンチン、トルコ、そしてわがニッポンだという。アルゼンチンはすでに経済破綻をきたし、昨年12月にデフォルト(債務不履行)を宣言した。今度はトルコが危ない、そして次は・・・80年代に飛ぶ鳥を落とす勢いで世界経済を席巻した国が、なぜいまや不良債権に苦しみ、改革も進まず国家経済破綻寸前の状態になってしまったのか、英エコノミスト誌2月16日発行号が興味深いニッポン分析を試みている。 同誌は小泉首相の政治姿勢、自民党‘抵抗勢力’との暗闘、そして国民自身の対応について分析を進め、特に既得権益を侵される側の抵抗がすさまじいと指摘する。それは改革に異を唱えている‘恐竜族’だけではない。実は、有権者自身が「痛む」ことに内心恐怖を覚え、肝心なところで拒否反応を起こすことを見切っているから、恐竜は強硬に抵抗するのだという。狡猾な彼らは小泉人気をただ見逃すはずもなく、選挙対策のために彼を首相に据えておくに過ぎないのだ。そして議論百出とサボタージュで何も進まないままに、いつのまにか改革の熱が下がるのを待っている。分析では、官僚組織の抵抗にメスが入っていない弱点はあるが、現実にはこの通りの状況になっているかに思える。 既得権益を見直さなければならないのは頭でわかっていても、実際に「なくします」「減らします」といわれると反発、抵抗するのが人の常である。日本の政治の不幸な点は、利益誘導、予算ばら撒きが蔓延した結果、「予算はもう増えません。国家再建のために痛みを分かち合ってください」と胸を張って選挙で言い切る政治家、公約に掲げる政治勢力がいなくなってしまったことである。そして利益誘導型政治を良しとしてきた有権者自身も、その責めを負う必要があるだろう。しかし一方で、財政再建団体から立ち直った福岡県赤池町の例(本欄vol.21参照)のように、指導者の確固とした信念とそれを信頼して痛みを分かち合う覚悟を持った有権者がいることも忘れてはいけない。 ここで日本は2つの選択肢を突きつけられる。世界からは二流国家とみなされるが、痛みを避けながら坂を下っていく道と、痛みはともなうがすべての既得権益を捨て去って新しい国家秩序と経済再生を模索していく道である。エコノミスト誌は、「日本では国民も既成政治家も、国が長い衰退の道を歩むことを受け入れているとしか見えない」とのべ、日本経済復活は悲観的との結論を導いている。‘エコノミックアニマル’ニッポンは、ついに機能しない国の仲間入りをしてしまったのだろうか。(A) 追補;本欄を書き上げたあと、たまたま目にした雑誌で、アメリカの日本経済分析専門家リチャード・メドレー氏が、「日本のオーストリア化」という言い方で、これと同じ見方をしていることを知った(「日経ビジネス3月25日号」に掲載されたインタビュー)。氏によれば、かつてヨーロッパの大国だったオーストリア・ハンガリー帝国は、第1次大戦後、国の今後を「帝国」という世界からの注目を集めるが政治・経済とも背負う責任が大きい方向を目指すか、そういった‘重荷’を下ろして普通の国として立ち振る舞うかの選択を迫られ、結局後者に落ち着いたのである。その後オーストリアは、ナチスドイツに併合された時代を除いて世界の第一線にたつことはなくなったが、人々の暮らしや文化はそれなりに水準が高く、きちんとした生活を維持できている。日本もこれまで稼いできた外貨で、当分の間ある程度の生活は維持できるだろうが、いずれ国力の衰退は避けられないだろうという見方をしている。「日本沈没論」はもはや主流になってしまったかに思われる。
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| マキコパフォーマンスの真髄
マキコさんの周辺が相変わらず騒がしいようで、週刊誌やワイドショーへの話題提供に事欠かないということでは、ご同慶の至りです。ともに天下を抱かないムネオさんと、自身に激しく抵抗した外務官僚と相討ちする形で大臣を更迭されてから、国民、特に女性からの同情が集まり、そのあおりで内閣支持率を20ポイント以上下げてしまうほど大きな影響力の持ち主だったことが、あらためてわかりました。 彼女はマスコミ操縦術、世論操作術がまことに巧みです。エリート官庁・外務省を「伏魔殿」と言いのけて国民の喝采を浴び、本音は外国マスコミにしか語らず、日本のマスコミへは大衆の溜飲を下げる巧みな言葉だけを流します。「軍人、変人、凡人の争い」とかつての総裁選を喝破し、自民党きっての実力者を「モナカだかノナカだか知らないが」とバッサリ切り捨て、カブを高く掲げて「株よ、上がれ」とオヤジギャグを飛ばした元首相を「おダブツさん」扱いにし、つい最近まで2人3脚で歩んできた変人首相を「スカートを踏んづけていた張本人」と断定して決別しました。でもウケ狙いが過ぎて、自党の候補者に「触らないでよ、あなたのこと知らないんだから」とつい本音を漏らし、落選させてしまったのは、少々反省の余地がありそうですね。とにもかくにもコピーライターとしては、まちがいなく天才的な能力です。これで十分食べていけるでしょう。 そして肝心なことはあいまいにするか煙に巻く、あるいは責任転嫁、場合によっては完全否定するという政治家に最も重要な能力を、これまた見事なまでに発揮しています。アフガニスタン復興会議にNGOの参加を拒否したとするムネオ発言をめぐって「言った、言わない」の論争に巻き込み(巻き込まれ?)、ブッシュ大統領歓迎晩餐会の招待状を「受け取っていない」と突っぱねて首相官邸を怒らせた手法は、まことに見事。攻守が反対になるとどうでしょう。自身が身内にした問題発言がリークされると、一貫して「言っていない」と全面否定になるのはご愛嬌でしょうか。会議に遅れた理由が指輪を無くしたことだったにもかかわらず、官僚からの連絡が悪かったという口実を見つけて反官僚の機運が高まっている国民の同情を買った作戦は、誰にも真似できるものではありません。そして今回大問題になっている秘書給与流用疑惑でも遺憾なく能力を発揮、「だんまり」「責任転嫁」「完全否定」の3大作戦で乗り切ろうとしています。でもこれって、自分が今まで言ってきたこととムジュンしません? それでも彼女はエライ!王様自慢の耳を「ロバの耳」と平気で言いのけた少年だからです。構造改革の時代には、こういった人物の登場が欠かせません。おかげで政界のパンドラの箱が開き、ツジモトさん、コーイチさんが辞表を提出、ムネオさんも風前の灯、参議院議長の首も飛びました。自身を追及しようとする自民党に徹底抗戦を宣言したマキコさんは、‘変態’幹事長の女性問題をヤリ玉にあげ、時の総裁の秘書問題をからめてYKK一掃の戦いにまい進しているかのように見えます。何せあなたにとって周りは、「家族」「使用人」「敵」の3種類しかいなくなるのですから、数から言えばどうしても「敵」が多くなります。したがってその代償は大きく、自身にも大量の返り血が降りかかってきますので、今後の身の処し方、発言にはご用心のほどを。(H) ※おことわり;次回の時流彩々は5/11アップロードの予定です
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| クジラを食う民、イヌを食う民
W杯を前に、韓国の食文化がちょっとした論議を呼んでいる。補身湯(ポシンタン)という犬肉料理が野蛮だとして、西側メディアから批判を浴びているという。実は同じような議論が1988年のソウル五輪を前に起こり、このとき韓国当局は犬肉料理を事実上禁止にしている。しかし今回は、欧米の批判を受け付けなかった。「他国の食文化になぜ口を出すのか」という国民感情に配慮した結果と受け止められているが、そこには、経済発展を遂げてオリンピックやW杯を開催した韓国国民の自信が見て取れるだろう。 一方日本のクジラを食べる文化に対しても、昔も今も同じような批判がある。クジラの個体数(特にナガスクジラ)が減少していた時期はそういった国際世論に配慮せざるを得なかったが、現在では頭数は十分に回復し、むしろミンククジラなどは増えすぎて他の漁業資源に影響を及ぼしているという証拠もあるようだ。クジラ肉はかつて国民の重要なタンパク供給源であり、学校給食の定番として毎週必ず出た。夏休み前に学校が子供に勧めた「肝油」という食品も、クジラの油が主原料になっていた。そして町全体が捕鯨によって成り立ち、祭りがクジラと海に感謝する性格を持つところだって一つや二つではなかったのである。根拠薄弱な欧米の捕鯨批判は、こういった文化をも否定する性格を持つ。 牛や羊を殺してその肉を食べることは批判されずに、犬やクジラはなぜだめなのか。イスラム教徒にとってみれば豚肉など、この世で最も忌むべき食べ物になってしまうのに、なぜ西側の人間は平気で豚を殺すのだ。ヒンズー教徒に、神聖なる牛を屠殺する残虐性をどう説明するのだろう。つきつめるところ、欧米の食文化こそが基準で、そこからはみ出すものがいわれなき批判と迫害を受けるという構図になってしまう。これこそ‘白人食文化帝国主義’の横暴である・・・ こういった議論が起こるたびに、他国の食文化に口を出すことの難しさを感じる。他人の食事情を論評するときは、少なくとも自分の食卓を基準にすべきではないことは肝に銘じておいたほうがよさそうだ。(Q)
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<Vol.34>「‘翼の統合’の是非」(02・4・14)
| 翼の統合’の是非
日本航空と日本エアシステムが、2002年10月に経営統合すると発表したものの、公正取引委員会がクレームをつけ、両社は統合の細部を見直しているというニュースがあった。公取委の懸念は、国内路線が事実上2社に集約されると価格競争が阻害される恐れがあるということらしい。国内路線はその半分を全日空が抑えており、残り半分を2社および中小の航空会社が分け合っている構図だ。公取委の見解は一見うなずけるものがあるが、海外航空会社との競争という観点に立つと、やや問題があるようだ。 1980年代にアメリカで始まった‘空の自由化’は、その後世界各地に広がり、航空会社の合従連衡と淘汰が進んで、1社あたりの規模の拡大が飛躍的に強まってきている。この分野でもアメリカ発のグローバルスタンダード化が見られるのであるが、日本の航空会社も否応なくこの流れについていかなければならなくなっている。ナショナルフラッグキャリア(国策航空会社)として長年君臨してきた日本航空といえども、経営体質を強めて激しいサバイバル競争に打ち勝たなければならなくなっている事情がある。昨年9月11日のアメリカ同時多発テロで、各航空会社は大きなダメージを受け、スイスやベルギーのフラッグキャリアが倒産に追い込まれるほどの厳しい状況になったことにも、危機感を覚えたであろう。 国内線はいまや自由化されて、北海道に本拠をおくエアドゥや羽田発着のドル箱路線に特化するスカイマークエアラインズ、仙台を基点とするフェアリンクなど、いわゆる「空のカテゴリーキラー」が参入して価格競争が激しくなっている。国際線でもアメリカが強硬に路線の開放を迫るとともに、アジア系航空会社が低料金を武器に日本に乗り入れてきている。こうした‘内憂外患’とも言うべき厳しい経営状況における両社の経営統合は、必然的な動きであった。しかし国内の「競争の公正化」が、逆に国際競争力を阻害するという新たな矛盾が生じている。公取委としては、激動する航空業界の情勢をタイムリーに判断する必要があるだろう。(A)
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<Vol.33>「‘祭り’の後始末」(02・4・6)
| ‘祭り’の後始末
W杯サッカー開幕まであと2ヶ月たらず、全国各地の開催都市では最後の準備に追われているところに違いない。5万人近くをのみ込む巨大スタジアムが、熱狂の嵐に包まれる日は間もなくである。しかし、世界最大級の‘祭り’の後始末に向けられる眼はまだ開かれていない。
日本国内開催10都市に造られたサッカースタジアムの総建設費は、3390億円以上と見積もられている。祭りをするにはこれくらいの投資は必要だとする意見があったし、すべての自治体がそれを認めてスタジアムを建設してきた。しかし、W杯以降の施設のランニングコスト(維持費)をどうするか、ほとんど議論されないまま造られてしまっているのは問題があろう。日本のサッカー人気は盛り上がってきたとはいえ、J1の試合でも1〜2万人の観客がせいぜいである。しかも一スタジアムでは年間20回も試合があればいいほうだから、純収入は1試合当たり1千万円としてざっと2億円と見積もられる。年間維持管理費は札幌ドームの18億円は別格として、決勝戦が開かれる横浜国際総合競技場では8億7千万円と見られており、毎日でも試合やイベントを開催しない限りはこの金額を稼ぎ出すことはできない。地方にあるほかのスタジアムでは、さらに状況は厳しくなる。 1998年に開かれた長野オリンピックの主会場となった「エムウエーブ」は、維持管理費に年間4億2000万円かかるのに対して、収入は3億円にしか過ぎない。赤字は税金で補填されているのが実情である。そして競技人数が少ないボブスレー・リュージュ会場も年間1億円以上の赤字が出ているという。 W杯組織委員会は大会が終わったらその任務を終えるが、スタジアムの赤字はそのまま残され、誰かが負担しなければならない。しかもそれは永久に埋めることができない可能性が強いのである。もっとも過激な意見は「大会終了後直ちに壊すべし」とするものであるが、あながち一笑に付すべき意見ではないと思う。壊すにせよ、残すにせよ‘祭り’の代償は、紛れもなく一人一人の国民が支払わなければならないことを忘れてはならない。(J)
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| ナニワ女の引き際
答弁を拒否する首相に「ソーリ」の連打を浴びせ、「疑惑の総合商社」ムネオさんに「ウソつき」の千本ノックを加えて国民の喝采を浴びたキヨミさんが、3月26日辞任しました。相手陣地に切り込むときの迫力は向こうをうならせるものがありましたが、相手からの攻撃にはあっけなく討ち死にしたのでした。野球にたとえれば、相手投手陣を震え上がらせる超強力打線を持ちながら、守備の練習をまったく怠って思わぬ攻撃を受け大失点を喫したチームといったところでしょうか。 同じように疑惑を持たれながら、いまだに辛抱強く追及を切り抜けてきているムネオさん、秘書の脱税容疑や自身の政治資金流用疑惑で窮地に立たされたコウイチさんとの違いはいったい何なのでしょう。ここで気づくのは、ムネオさん(北海道)、コウイチさん(山形)は雪国出身なのに対して、キヨミさんは生粋の大阪出身だということです。「雪国の怨念」を胸に秘めた北国出身の政治家は粘りが身上で、挫折や蹉跌(さてつ)が自らを鍛えてきたことでしょう。そのうたれ強さがのし上がっていく原動力になっているのかもしれません。だから守備も堅く、容易にその地位を去ろうとはしないでしょう。 一方のキヨミさん、学生時代から市民運動を主宰してきたカリスマ性、その関西弁で政権を攻撃する小気味よさで人を引きつける能力に長けていたのでしょうが、いかんせん防御の仕方を知らず、週刊誌の疑惑報道には真っ赤なウソで墓穴を掘ってしまったのでした。そして真相が明らかになるにつれて「絶対不利」の状況に陥り、関西人にありがちなあっさりした諦めで議員の座を去ったのでした。これって、大阪・近鉄バッファローズが昨シーズン、12球団一の攻撃陣を持ちながら、抜群の投手陣を持つヤクルトスワロ?ズにもろくも敗れ去ったのと似た構図がありませんか。 バッファローズのように打って打って打ちまくって、最後はパーッと散る・・・ナニワ女の美学を彼女に見たのはボクだけでしょうか。(H)
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| 敗者復活戦 |