こちら編集室「ビックリしたい心」(1月24日)

 朝、目覚めて玄関を開けた時、除雪車が通らなかった時ほど嬉しい冬の朝はない。うっすらと新しい雪が積もって、道路が真っ白に染まっていても、「今朝は除雪車が出なかったんだ」とホッとする。そうなると白い雪道もソフトクリームを広げたような優しい美しさに見える。雪寄せという労力から解放された喜びが体中にジワリと広がる。

 正月休みが終わってから毎日のように降り続けた雪だった。そしてこの3日間も連続して雪で毎朝、除雪作業が続いている。スノーダンプを押し続けた手のひらは疲労のせいか鈍い痛みがしみ込み、体全体にも筋肉痛が蔓延している。除雪車の来ない朝。解放感が広がる。「今日は雪寄せしなくていいんだ」。そんな喜びでいっぱいになる。

 新聞受けから新聞を手に家に入る。ケージではとうに目覚めた小犬のパピーが小さな口をいっぱいに広げ、「アッアッ、アッアッ」と二本足で立って「早く散歩に連れてってよ!」と叫んでいる。こちらがベッドから出て、着替えしている時から叫んでいる。台所で朝食の準備をしている妻は「パピー。今、出してもらうからねー」と呼びかける。立ち上がって必死に叫ぶパピーの横目遣いの丸い眼が可愛い。新聞を読みたいが、とにかくパピーを連れて行こう。パピーを抱き上げる。小さな柔らかい小犬のふさふさした感触が何とも言えない。新しい雪に染まった朝の景色がきれいだ。空は相変わらずの鉛色だが、木々も真っ白。こんもりと雪を乗せた家々の屋根も真っ白。すべてが白い世界だ。「今日は雪寄せもしなくていいんだ」。そんな喜びが広がる。

 柴犬のアキは暮れからの寒さがよほど身に沁みたのか、もはや散歩しようとする気力もない。ジッと犬舎の中で丸くなったままだ。朝の散歩なら、柴犬のアキの方がずーっと気分も落ち着き、思索の時間にもなるが歩きたくないと抵抗するアキを無理やり引っ張るわけにはいかない。すっかり老化したアキだ。好きにさせておこう。温かくさせておこう。

 まだ若く、生命力が躍動しているパピーは雪の冷たさもいとわず、あっちへ行ってはシー、こっちに向かってはシーと雪を小さな面積で黄色く染める。できるだけよその家の玄関前は避けているが、パピーは無頓着にあっちにシー、こっちにシー。その気ぜわしい動きにこちらも気が取られ、思索どころではない。

 雪の中の民家(大曲市内小友で)その日の朝は横手川からの眺めが良かった。横手川と出川がYの字になって合流し、白い雪原、遠くの黒い杉林を白く染めた光景はまるで〃墨絵〃のようだった。カメラを手にズームレンズを伸ばして風景を切り取った。月並みな眺めかなとも思ったが、表紙の写真説明でも書いたように雪国に住んでいる自分たちには当たり前のような風景も、そこに美を発見する感動が必要ではないかと思った。自分たちには平凡な風景でも、雪が珍しい地域に住んでいる人たちにはきっと新鮮な感動を与えるはずだ。そう思ってシャッターを切った。

 しかし、まだ早朝だっただけにカラー温度も低く、デジタルカメラに収まった写真は青白く、眼で感動した色とは異質なものとなってしまった。写真加工ソフトを使ってカラーバランスを整えようとも思ったが、この青白さも雪国の自然ではないかと加工をとどまった。

 「雪国でない地に住むものにとっては秋田の雪景色はすべてがメルヘンなのです。雪の降る景色に詩情を感じます」。年明け早々、愛知県の女性読者からこのようなメールを頂いた。まだ一度もお会いしたことはないが身近な温かみを感じさせる。パピーと横手川からの風景を眺めながら、表紙を飾った写真への感想を送ってくれたメールを思い出していた。

 新聞記者になって大事にしたいと自分に誓ったのは「ビックリしたい」という感動の心だった。明治の文学者・国木田独歩は小説「牛肉と馬鈴薯」で「びっくりしたいというのが僕の願いなんです」と語った。「宇宙の不思議を知りたいという願いではない、不思議なる宇宙を驚きたいのです。死の秘密を知りたいという願いではない、死という事実に驚きたいという願いです」とも語った。

 独歩は「毎日見る太陽も、毎夜仰ぐ星も『習慣』という『霜』が付いて不思議でなくなる。その『霜』を振るい落とし、ビックリするという感動の眼で本物を見据えたい」と訴えた。

 駆け出しのころ、まだ木造の市役所記者室で何かと面倒を見てくれた大新聞社の先輩記者は「伊藤君。取材で大切にすることは感動したり、観察するという心だと思うよ」と良く言い聞かせたものだった。「感動する心がないとせっかく読者から話題を提供してもらっても『ニュースにならない』とボツにしてしまう。感動する心、そして読者と共に喜んだり、時には腹を立てるのも必要。とにかく無感動では記事は書けない。なぜなのかと疑問に思う心、感動する気持ちがニュースや話題を見つけるんだ」と教師が生徒に諭すような口調で取材のコツを教えてくれたものだった。親子ほど年齢が違ったが、鼈甲(べっこう)のメガネが似合う素敵な紳士だった。

 その先輩記者は自分にそう諭しながら、何度も見本となるようなスクープを紙面で飾った。それは行政の怠慢を批判したり、人と動物との心温まる話題だったりした。時にはこちらも同じような「話題」を耳にしながら、「当たり前のことじゃないか」と見過ごしていた。「ニュースになる」との判断力がなかったのだ。先輩記者はそれこそ「ビックリする心」で取材し、記事にした。先輩記者のそうした記事を目にしながら、「ビックリする心」を大事にしたいと思った。

 しかし、そのビックリする心もこのごろは錆びついてきた。夜の街を歩き、目の前に坐った女性を見てはビックリする心は色っぽさにほろりと溶かされ、翌日には記憶が泡のように消えている。観察力も衰えた。雲を眺め、白く染まった東山を見つめ、美しい星空、美しい月夜に感動する心を磨きたい。除雪車の来ない、解放感の中でパピーと歩いた雪の朝の印象を大事にしたい。