田沢湖町の劇団「わらび座」からミュージカル「つばめ」のファイナル公演の取材依頼があった。自宅に「秋田県南日々新聞」宛で資料が郵送されてきていた。わらび座からの直接の取材依頼は初めてだった。わらび座とは96年12月にインターネット新聞を立ち上げて以来の縁だが、付き合いは劇団とではなく「デジタル・アート・ファクトリー」部門のチーフである長瀬一男さんとコンピューター技術者の海賀孝明さんを中心としたものだった。大きな組織だけに座員の方もインターネット新聞「秋田県南日々新聞」の存在は分からなかったと思う。
そのわらび座からの取材依頼だった。広報・宣伝担当の古崎生代さんへ26日の「つばめ」最終公演の取材に関して電話した。「つばめをご覧になったでしょうか。もしもまだでしたら、ぜひ、公演の始まる少し前にいらして下さい。お席へご案内します」と古崎さん。つばめは観たいドラマだった。しかし、ついのびのびとなってしまい観劇するチャンスを失っていた。取材を兼ねて、つばめを観劇することにした。
午後2時からの開演に合わせて向かったのだが、ファイナル公演ということもあって劇場入り口は大変な混雑だった。駐車場でさえ車を置くスペースを確保するのがやっとだった。入場客を出迎えていた座員の方に「秋田県南日々新聞ですが、取材に来たものです。古崎さんをお願いします」と告げたら「ありがとうございます」とていねいな言葉でお礼を述べ、混雑する中、懸命に古崎さんを探してくれた。その古崎さんも「取材に来て下さってありがとうございます」と言いながら、「こんなにも混んでますのでお席はもう一階は埋まってしったようなんです。二階でも構いませんか」と言いながら二階席に案内してくれた。二階もほぼ満席状態だったが、どうにか空席を見つけて観劇の場を確保した。
開演まで10分ほど時間があり、再びロビーに下りて古崎さんにこれまでの公演日数や入場者数、それに全国公演がどこから始まるのかなどを取材した。広報資料を手にしながら、こちらの質問に応えようとする古崎さんの誠意のこもった応対が嬉しかった。わらび座がケンニチを一つのメディアとして見てくれるのが嬉しかった。
ジェームス三木さんの脚本・演出という「つばめ」の舞台も、ストーリーも感動させるものだった。記事でも紹介したが、「つばめ」は豊臣秀吉の2度にわたる朝鮮出兵による〃民族の悲劇〃を背景にした愛の物語だった。春燕(しゅんえん)という人妻が豊臣軍団によって拉致され、拝領妻として殿さまから下賜を受けた武士の悲劇。朝鮮から友好使節団の一人として日本を訪れ、死んだと諦めていた妻との出会い。しかもその最愛の妻は子を成す日本人妻となっている。その悲しみと驚き。そしてその二つの愛の狭間に揺れる春燕の苦悩は涙を誘った。
国家と国家との争いは無数の無辜の民に底知れない悲しみと苦しみを味わせる。今の北朝鮮による日本人拉致問題もそうである。北朝鮮に拉致された日本人被害者家族の悲しみは未だについえないでいる。今回、帰国した拉致被害者の二組の夫婦は幸い、相思相愛の仲で向こうで結婚生活を送ってきたが、行方不明者の中には春燕のように泣き泣き、北朝鮮人の妻となっている人もいるかもしれない。「つばめ」を観ながら、そうした悲劇に思いをはせた。
二階席からは俳優の表情までは読み取れなかったが、十分にその迫力も、演技の見事さも伝わってきた。俳優一人ひとりの動きがバネ仕掛けのような機敏さだった。それに舞台美術がすばらしかった。わらび座のミュージカルを観ていて感激したのは地元にこんな素敵な劇団が存在するというぜいたくさだった。世界に誇れる劇団が、身近にあるというすばらしさだった。
終わってからも古崎さんはこちらからの質問に懸命に応え、「わらび座」を知ってもらいたい、ミュージカル「つばめ」の素敵さを読者に伝えてもらいたいと熱心だった。ファイナル公演後は会場を移してのパーティーとなった。予定表を見るとジュームスさんのあいさつは数々の来賓のあいさつの一番、最後だった。夕暮れが迫っていた。冬は事故の心配もあり、できるだけ夜道の運転は避けている。
取材には他社の記者も来ていたが、ジェームスさんのあいさつは古崎さんにメモをお願いし、メールで送ってもらうことにした。そうした注文にも古崎さんは快く引き受け、その日の夜にはもうメールが入っていた。
秋田魁新報では翌日の朝刊で報道していたが、ケンニチはその日の昼ごろまでに劇への「思い」を込めた記事を書き上げ、ファイナル公演を掲載した。古崎さんからはメールで「きれいな写真と熱のこもった記事を、嬉しく拝見いたしました。早速、社内のメール回覧でお知らせをさせて頂きました。本当にありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします」との返事があった。
社内のメール回覧で、座員の方にケンニチの記事が流されたという古崎さんからのお知らせは嬉しかった。ケンニチは小さな存在だが、大きな役目を果たした気分だった。
そうしたケンニチにアメリカ・オハイオ州在住の小林さんという主婦の方から「ネットウエーブをしていて、素敵な新聞を知り、拝読させていただきました。厚かましいのですが、お願いがあってメールをさしあげました」という依頼があった。岩間さんの「アメリカ暮らし」を読んでいて、「その人となりを信頼し、一身上のことで氏に御相談したいことがあるのです」とのことだった。オハイオ州からこの夏には岩間さんのいるサンノゼ市近くに引っ越しすることになり、サンノゼ市周辺の事情を知りたかったようだ。
岩間さんの承諾を得て、岩間さんのメールアドレスをお知らせしようとしたが、なぜか何度、返信メールを送っても「メールアドレスがない」とのことで戻って来た。自宅の電話番号とファックス番号も書いてあったので、国際電話で岩間さんのメールアドレスを教えるべきかとも悩んだが、岩間さんから「こちらの方で電話かファックスで連絡しましょう」となった。幸い、岩間さんからのファックスが届いたようで小林さんからお礼のメールがあった。岩間さんからも「ケンニチの隠れた読者、本当にすそが広いのですね。驚きです。私にできる生活情報の提供なら全面的に協力します」との返信があった。ケンニチはこうして海を超えて、読者の役にも立てた。読者のための「お節介」ならこれからも喜んで引き受けよう。そうした新聞でありたい。