こちら編集室「雲を友として」(2月21日)

 秋田県南日々新聞は一人で運営しているせいか、発足当初から読者に心配をかける新聞だった。広告スポンサーがまだ付かないころ、アラスカの読者からケンニチの苦しい台所事情を察して「こちらでは住民の寄付で運営している放送局や新聞社もあるので、伊藤さんも読者にそれを呼びかけたら」とのアドバイスを受けたこともあった。ニュースを取り上げる新聞として寄付を受けるのは日本では馴染まないと思い、せっかくのアドバイスに感謝しながらも行動は起こさなかった。いずれ読者にはこれまでいろんな面で心配をかけた新聞だった。

 今回も14日に掲載したこちら編集室「悲しみの心模様」を巡って、多くの読者に心配をかけてしまったようだ。「読者の広場」やメールを通じて、いろんな方から励ましやら慰めを受けた。同情を求めたくて書いたのではなかった。グループ活動にとけ込めなかった自分が悲しく、それを嘆きたかった。

 インターネット新聞としてスタートしたケンニチは「新聞」である以上、〃公器〃としての責任を果たさなければならない。そうした立場を常に認識し、〃不偏不党〃の立場で報道に携わっている。だが、表紙の写真コメントや「こちら編集室」は私的な息抜きの場とし、嘆きたいことがあればそれを書き、喜びたいことがあればそのまま感情をあらわにしてきた。自分自身の心を映す鏡としてきた。新聞である以上、社会の木鐸として「社説面」を設け、政治が詰まらなければそれを断じ、犯罪があれば犯罪への怒りを書き、正義が活かされる社会を目指して警鐘するべきかもしれないが、それよりも編集者の身辺雑感や喜怒哀楽をあらわにする日記風としてきた。

 横手市のミニかまくら群像その方がケンニチの独自性を出せると思った。感情をあらわにすることでケンニチの個性を知ってもらおうと思った。そうしたことが重なって読者に心配をかける新聞となってしまった。落ち込むことがあればそれを嘆き悲しみ、泣きたければ泣き、嬉しいことがあれば子どものように喜び、時には幼いころの思い出を気の向くまま摘むんできた。今回の「悲しみの心模様」もその一連の流れだった。グループ活動になじめない、自分の悲しさを嘆きたかった。

 そうしたケンニチはやはり〃幼児性センチメンタル〃から未だに脱しきれない、子どものような弱さを引きずっていると自分でも思う。愛知県で中学の先生をされているpulittuさんの目にはそうしたケンニチがまどろっこしく、泣き疲れた子どものように見えたのだろう。読者の広場に書かれた言葉には、泣いている子どもが思わずほほえんでしまいたくなるような〃裏技〃が隠されていた。

 ケンニチの悲しみを「ま、ほ〜んとに子供のような可愛いところありますね。わたしがいたらね〜。またそれはそれで夜眠れないでしょうけれど」と〃女心〃の機微で茶化しながら、7日のこち編「7種類の雪」で書いた冬の登下校シーンをコピーし、学校の授業で声を詰まらせながら朗読したと報告していた。泣き疲れた心の襞(ひだ)に優しい水がしみ入るような気分でその書き込みを読んだ。

 こち編の文章が中学生の教材に使われたというだけでも名誉なことだし、声を詰まらせながら読んだという報告は嬉しかった。ケンニチが教育現場へ教材を供給していると思うだけでも嬉しかった。おばこさんからは「さびしい時は心のかぜです」と詩の紹介があった。菊池さんからは「一人で仕事をこなしていると色々なことに直面しますよね」とさりげない励ましの言葉があった。正義感の強い「わっぱが」さんからも「現実を日々調理している料理人としてのご苦労は想像するしかありませんが、少なくともわっぱがはケンニチのニュースで、明日も明日の現実に飛び込んでいこうという気力が湧いてくる日は多いのです。英語の格言にあるように、何があろうとも『明日は今日とは別の日』(明日は明日の風が吹く)でしょうから、明日は(も)いい風が吹くことを楽しみにして枕につきたいと思います」と元気を出せ、と呼びかけがあった。

 メールでは「こち編を読んで胸がいたみました。心の痛みの克服法は何か、と自分でもいろいろ考えることがあります。私も職業柄、人間関係で成り立っています。その人間関係で辛い思いをすることはよくあります。ですから今回のお話は身につまされる思いで読みました」と同情を寄せられ、心の痛みの克服の方法さえ書いてあった。

 中には前回のこち編で、ケンニチの心の痛みの一因(?)となってしまった方からまで「私のメールが心ならずも伊藤様の気持ちの一端を傷つけてしまったようで、お詫びのしようもありません。せめてものお詫び(?)と、県南日々新聞への応援を兼ねて、乾電池のカンパできないかと思うのですが、受け取っていただくことは可能でしょうか。(確かCoolPix900は単3電池と思いましたが・・)」と乾電池のカンパ申し込みさえあった。温かな心の声援に感謝とお礼を述べたい。

 心の痛みの克服。これは人さまざまと思う。自分の場合は小説に没頭することだった。本を読み、その時間にとけ込み、主人公の悲しみや苦しみを見つめ、共に歩むことしかなかった。本が苦しい時の自分の友となり、傷んだ心をいやした。

 流れる白い雲も心の痛みを救った。ロマン・ロランは小説「ジャン・クリストフ」で、クリストフの幼いころ、雲を相手に野原で遊ばせた。雲が左へ左へと流れるのを見つけたクリストフは手にした木の枝を〃魔法の杖〃とし、軍勢の指揮官となった気分で雲に命令した。「雲よ。右へ向かって進め」と。雲はクリストフの命令を無視し、左へ左へと流れた。命令に応じない雲に地団駄踏んで悔しがったクリストフは雲を威嚇し、雲に向かって「左に向かって立ち去れ」と命じた。彼の言いつけ通りに雲は左へと流れた。クリストフは自分の力に幸福と誇りを感じる。子供の情景を描いたこのシーンは大好きだった。

 小説「ジャン・クリストフ」と出合ったのは高校生のころだが、クリストフのこのシーンを読みながら、小学校からの帰り道、雲を眺め、雲を友に歩いたのを思い出したものだった。読み耽りながら「自分も子どものころ、流れ行く雲に命じたことはあったが、魔法の杖を手にしても軍隊の指揮官になれる才能はないなー」という諦めだった。それでも悲しい時、寂しい時は雲を眺めて歩くことで、心の痛みを少しずつ癒したものだった。残念ながら、まだ春には遠い秋田は青空が滅多に見られない。でも青空に白い雲がポッカリと浮かぶ日もそう遠くはあるまい。

 前回のこち編で当事者となってしまった方には心ならずも不快感を与えてしまったようだ。それは申し訳ないと思っている。電話でもお話をしたが「ケンニチがあの場で孤立したと自分で思ったのは、ケンニチ自身が私たちのホームページに顔を出さないからだし、そうした努力をしなかったからだ」とのご指摘だった。その通りである。こちらもそのグループのホームページにひんぱんに顔を出し、交流を深めていたら、あんな寂しさ、孤独感は味わうこともなかったろう。その批判は正当であり、当然だ。

 だが、これだけは言いたい。ケンニチは個人の趣味や遊びで運営しているのではない。新聞という公器で出発したのであり、責任も重い。たった一人で毎日毎日のニュースを探し求め、それを取材し、書くということにはとてつもないエネルギーを費消し、紙面を更新するだけで精いっぱいである。

 加えて週1回「こちら編集室」を書き、表紙の写真を更新するための努力と時間も並大抵のものではない。自分の時間さえ持つことが出来ずに日々追われている状態である。多くの人が顔を出し、和気あいあいと会話を楽しんでいる場へ入る余裕はなかった。同時に苦手でもあり、不得手でもあった。それは子どものころからグループ活動が苦手なせいでもある。

 本当にお世話になっておりながら、ケンニチはそうしたグループ2人のホームページには顔を出さなかった。だから〃距離〃を置かれたのは仕方ないと思っている。ケンニチはその二人のホームページだけでなく、取材で知り合い、親しくなり、その方が例えホームページを持っていて、こちらには顔を出してくれても相手の方には「時間的にも余裕がなく、掲示板への書き込みはお許し下さい」と断っている。

 だから遠ざかったのには恨みもなかったし、自然な流れと受け止めていた。しかし、祭りへの参加のお誘いがあった。せっかくのご好意である。参加することには不安もあったが、断るのも苦手だった。その結果を嘆いただけで、その人たちを批判する気持ちはなかった。お世話になりながら、そうしたグループにとけ込めなかった自分の悲しみを語りたかった。

 とはいえ、遠くから来てくれた方には批判となってしまった。二人のホームページには無事、帰宅したとの報告があり、「楽しかった」とのお礼を書き込んでも、こちらには音沙汰もなく、メールさえなかった。悪意はなかったと思うが、落ち込んでいたその夜の自分にはなぜそんな扱いを受けなければならないのかという疎外感だけが残った。「盛岡までは行けなかったけど、自分も同じ仲間だったはずだよ」。「自分なりに誠意は尽くしたはずだよ」。その書き込みを読みながら、悲しくて一人でつぶやいたものだった。

 その悲しみを嘆くのも大人げなかったのだろうか。置き去りにされたような孤独感、寂しさをも自分の〃非〃として受け止める肝要さが必要だったのだろうか。

 「なら。あの紙風船上げは私が企画し、ホテルも車の手配もみんな私がやったのにそれに対するお礼をケンニチは書いたの」との反論にはそうした自分への批判の意味も込めたものだろう。悲しいが、自分にはそのお叱りも、反論も「いじめ」を受けた子供の痛みを知ろうともせず「あなたにも悪い所があったのだから我慢すべきです」と諭す親や教師の〃高い視線〃から響いてくる空しい声、痛みを知らない声にしか聞こえなかった。

 結局は自分の行動は世間知らずで常識もなく、礼儀もわきまえなかった。心の後遺症を引きずりながら、先輩記者の母が亡くなったと聞いて、弔問に訪れた。高齢だったが、仏さまとなったその写真を見つめ、手を合わせながら「死も悪くないな」とさえ思ってしまう病的な自分が背後にあることを知った。

 ケンニチはいつも取材を通じては読者サービスに撤し、読者に喜んでもらえる努力はしている。しかし、ネットでの個人交流までは踏み込めなかった。ケンニチにとても好意を寄せて下さったことには感謝している。だが、ケンニチはそれに応じることもなく、顔を出せなかった。不愉快な思いをさせたことには謝りたい。しかし、ケンニチはこれからも「読者の広場」に顔を出して下さる方には感想や回答をしても、ほかのホームページとの交流は親しく続けることはあるまい。ニュースを追うだけで精いっぱいであり、それに責任を持ちたいから。それにしてもこの引きずったままの重い心から、一日でも早く抜け出したい。