こちら編集室「優しさに甘えて」(2月28日)

 まだ明けきれない夜の空は濃い紫色に染まっていた。澄みきった空に三日月が煌々と黄金色に光り、東の山際近くでキラキラと輝く金星と向き合っていた。夜明けを前に月と星とが対話しているようだった。「間もなく太陽さんが昇ってくるから、私たちの今夜の努めも終わりね」と月は星に向かってささやいてるようにさえ思えた。

 小犬のパピーは明け方の道路をひたすら真っ直ぐに歩き、横手川の堤防を目指した。家の中でばかり過ごし、日中、留守にしている時は狭いケージの中しか自分の居場所がないパピーだ。外に出た時の解放感は何とも言えないのだろう。除雪車で雪が寄せられ、やっと歩ける状態となった堤防の上を嬉しそうにお尻を振って歩く。そのお尻を振る後ろ姿は時代劇に登場する浴衣姿の女たちの無防備なあだっぽさに似ている。

 随分と辛く悲しい思いをした。重い心を引きずりながら歩いた。すれ違ってしまった感情は行き場を失い、さまよった。心が蝕まれ、ボロボロに壊れていくのが分かった。異常な心理状態に追い詰められていくと心はどこまでも闇を見つめ、コントロールさえつかなくなっていくようだった。壊れていく心のゆがみに、自分で自分が怖いとさえ思った。

 暮れゆく湖(千畑町で)そうした苦しみに幾分、救いの手を差し伸べてくれたのは前回の「こちら編集室」で、電話での話し相手となった方だった。「伊藤さんがあんなに傷ついているとは知らなかった。ごめんなさい。気持ちを理解してやろうとしなかった私が悪かった。本当にごめんなさい」。その人は真剣な声で「ごめんなさい」を繰り返し、こちらの傷んだ心をいたわろうとした。

 優しく思いやりのある人なのだが、電話での話し合いは感情がすれ違ってしまうと誤解を生む。本当は直接、会ってお互いの間に生じた感情の行き違いやもつれた糸を解きほぐす努力をすべきだったのだが、電話でのやり取りでは、こちらの痛みの「元」となったものに理解を示せず、「伊藤さんも仲間にとけ込もうとする努力をすべきだったのよ」と諭すだけだけだった。その電話での言葉のすれ違いに「これでは会ってもしょうがない」と心を閉ざしてしまった。孤立感は深まり、疎外感に陥った。イジメを受けた子どもが「あなたにも悪いところがあったから」と見放されたようで、「何にも分かってないんだ」と追い詰められ、反発する幼児の心境に似ていた。

 空飛ぶケンニチの企画以来、その方には本当にお世話になっており、交流はなくなってもケンニチの一番の理解者だと甘えていた。それだけに取り残されたような苦しさ、悲しさからの救いをその人に求めてしまった。それがすれ違いとなってしまっただけに寂しさと悲しみだけが重いしこりとして残った。そのことで反論するつもりではなかったが、自分の苦しさを吐き出したら、いくらかでも分かってもらえるのではないかと密(ひそ)かな甘えもあった。「ごめんなさい」と繰り返された謝罪の言葉は傷ついた心をいやす薬となって解け、しみ込んだ。

 思いやりがあって優しい人なのだ。その優しさにケンニチはいじけた子どものように甘え、抵抗した。電話での謝罪の声は魔法の杖を持っているようだった。凍りついた心を氷解させる力があった。しかし、まだ傷口はふさがってないのも自分の心が一番、良く分かる。本当はお会いして話し合いたいのだが、これ以上、こだわるのは止そう。

 今度の件を事件と言えば大げさかもしれないが、何とか忘れ、立ち直らなければならないと必死で思った。しかし、ふさぎ込んでしまった自分、八つ当たり気味にいらだつ自分に妻もただオロオロするばかりだった。「あなたが一番、大事にしなければならないのはワタシよ。私のことを守らなければならないのよ。私のことだけを考えて」。思い詰めたように叫んだ妻の声が耳に響いた。「悲しみの心模様」や「雲を友として」に眼を通しながら、西木村の紙風船上げに行って以来、性格が変わったような自分を妻も何とかしなければと思ったのだろう。

 「あなたのケンニチは間もなく100万にもなろうとしているのよ。それだけの読者が読んでいる新聞なのになぜあんなことを書くの。書かれた方だって辛い思いをするだろうし、読んでる読者だってケンニチはこんなバカなことも書くのかとあきれてしまうかもしれないのよ」とも言った。

 その通りだった。しかし、悪意はなかったとは思うが〃疎外〃を受けた悲しみの心は書くことで吐き出し、書くことに救いを求めなければならなかった。傷ついた心の彷徨は書かなければ定まらなかった。自分だけが孤立し、行動を共にした他の人たちはそうした自分を遠くから眺め、笑っているようにしか思えなくなっていた。心の病は深まり、被害妄想が深まった。書いては心で泣き、書いては心で涙した。過去2回にわたって書かれ、当事者となってしまった方にはご迷惑、ご心配を掛けてしまった。こちらも心から謝罪する。そしてご心配をかけた読者にも謝りたい。

 苦しんでいる時、なぜか浮かんでくるのは歌手・前川清が「クール・ファイブ」時代に歌った「東京砂漠」だった。
 
 空が哭いてる 煤け汚されて ひとはやさしさを どこに棄ててきたの

 だけど わたしは 好きよ この都会(まち)が 肩を寄せあえる  

 あなた あなたがいる あなたの傍で ああ暮らせるならば つらく

 はないわ この東京砂漠 あなたがいれば ああうつむかないで 歩い

 て行ける この東京砂漠

 一度も口に出して歌ったことはないが、歌詞が大好きだった。都会の片隅で悲しみを背負いながらも、寄り添うように暮らす男と女。そうした姿が浮かんでくるこの歌詞は50代になった今でも好きだ。「空は煤け、こんなにも汚れていても、あなたと暮らせるのなら、この都会(まち)だって私は好きになれる」。女心の綾を歌ったこの歌詞には悲しいが、ドラマがある。男にも女にも深い心の傷があり、社会に流され、生きることに疲れながらも出会えたことに喜び、いたわり合い、慈しみ、愛し合おうと誓っているようでこの歌詞は大好きだった。

 傷ついて辛い思いをしながらも、我が家もパピーと柴犬のアキを含めると2匹と2人暮らしである。妻は必死で自分を守ろうとした。その一途さがこの歌とダブったのかもしれない。妻の必死さにもう少し耐えようと思った。
 

 ビルの谷間の 川は流れない 人の波は 黒く流れて行く あなた

 あなたに めぐり逢うまでは そうよこの都会を逃げていきたかった
 

 2番のこの歌詞が特に好きだった。都会から逃げたいとさえ思っていた女が、一人の男との出会いで「あなたの愛につかまりながら生きて行きたい。この砂漠のような東京でもあなたとなら幸せになれる」と語る歌詞のドラマが好きだった。悲しくて切なく、傷つきやすい男と女のドラマがこの歌から感じられて好きだった。

 人間とは弱いものである。そして悲しいものであり、美しいものである。「こち編」に傷つきながらも、それでも耐えて眼を通し、「伊藤さんの心の痛みを理解してやれなかった私が悪かった」と言ってくれた方の心の優しさと美しさに感謝したい。弱った心のケンニチは書くことで、その優しさに甘えたかった。心の傷口はまだふさいではいないが、幾分、救われた。青空を眺め、白い雲を追いながら傷んだ心を慰めよう。

 「小説を書くというのは、日本橋のまんなかで、素っ裸で仰向けに寝るようなもんだ」と語った のは太宰治だった。日本橋の真ん中とまではいかないが、ケンニチも今月は自宅近くの橋の上で、素っ裸になって寝るような恥ずかしさを書いてしまった。しかし、書かないと自分自身が失うようでたまらなかった。立ち直れるまではまだ時間がかかりそうだが、心の片隅に居ついた苦しみも、悲しみもいつかは慈しめる日も来ることだろう。人はふとしたことで傷つく。ほんの些細なことで傷つく。弱いものである。