長い2月だった。悲しみを背負ったままやっとやり過ごした2月だった。そして迎えたやよい3月である。2日ばかり天気は真冬に逆戻りしたかのように荒れた。しかし、陽射しが日々明るくなり、春の兆しを強く感じるようになった。遠くに屏風絵のように連なる東山も冷たい白から優しいブルーに変わった。山も雪解けが始まっているのだろう。そして木々も新芽を膨らませ、新しい命を燃やそうと目覚めたようだ。山肌が幾分、赤みが混じったブルーへと変わった。
その日の朝、空は一面の乳白色に染まった曇り空だったが、その厚い雲の中から太陽が昇ってくるのが見えた。雲に圧縮された太陽はまん丸ではなく、いびつな四角に見えた。雲を茜色に染めながら四角にゆがんだ太陽はそれでも暖かく、春のきざしをかすかに包んだ朝を運んできた。その光りは落ち込んだ心まで暖かく照らした。母の愛の様な優しさと美しさをその光りに感じた。「ありがとう」。朝の陽射しの優しさに素直にそう言える自分を見つけた。
ケンニチに97年から99年4月まで37回にわたって「シンガポール体験記」や「マレーシア体験記」をレポートしてくれた柳千賀子さんから、久しぶりにメールが来た。千賀子さんは県南の出身。現在は帰国して確か横浜で暮らしと聞いている。シンガポール体験記を寄せていたころ、里帰りした機会に2度、お会いした。1度目は千賀子さんが高校時代に通ったという湯沢市を歩いた。湯沢市で食事をし、県南をドライブしながら半日ほどおしゃべりを楽しんだ。2度目は日本でのゴルフ経験がないとかで、一緒にラウンドした。シンガポールの安いプレー料に比べ、日本でのゴルフ料金の高さには驚いていたが、「キャディーさんが付いてのサービスには大満足」と喜んだものだった。
その千賀子さんから1年振りなのか、2年振りなのか記憶は薄れたが、とにかく久しぶりに明るく茶目っ気に富んだメールが来た。「こんにちわ。千賀子です。今度また久しぶりに実家に帰ることになったんです。伊藤さん、お元気ですか。こちら引っ越しをした時に夫がパソコンを接続しないで中国に転勤してしまい、パソコンのない生活なんですよ。伊藤さんのケンニチも読めないけど元気にしてますよね」とのメールだった。そして「里帰りしたら、お会いしたい」とあった。
電話番号も書いてあったので、メールよりも声を聞きたくて電話をした。「ケンニチの伊藤です。覚えてる」。「ワーッ。伊藤さんだ。お久しぶりー。千賀子ですー」。シャワーから水が吐き出されたような勢いで千賀子さんからの喜びが伝わって来た。語尾を「スー」と眺める千賀子さんのクセは相変わらずだった。「友だちの友だちがね」と話題を見つけた時に話すクセも変わってなかった。子どものように明るい声も変わってなかった。
「パソコンが使えないんだって。ケンニチはもう間もなく100万にもなろうとしてるよ」「エー。100万。もうそんな数字になったの。すごーい」。千賀子さんは素直に喜んだ。「ケンニチを見たくても、主人がいないと接続もできないし、怖くてパソコンに触れることもできないの。だから今は携帯でしかメールしてないんだ」。
初めてお会いした時もそうだったが、実家にも案内され、畑栽培をしている千賀子さんの母親からたくさんの野菜をお土産にもらったものだった。少女のような笑顔で自分を実家に案内し、「お母さん、お父さん。インターネットで新聞をやっている伊藤さんよ。シンガポールで伊藤さんの新聞を見つけ、シンガポールにまで秋田の空気を送ってくれた人よ」。千賀子さんは自慢そうに自分をご両親に紹介したものだった。そのご両親が笑顔を見せながらも、娘を遠い外国に手放してしまったような寂しさをふとかいま見せたのも忘れられない。
電話では「とにかく伊藤さんに会えたら、報告したいことがいっぱいあるの。そして一緒にご飯も食べたい」とはしゃいだ。「そう。嬉しいね。何を食べたいの」。「ウーン。横手焼きそば。アハハハ」。千賀子さんはそう言って照れたように笑った。「横手焼きそばか」。横手市では「横手焼きそば」をまち興しにと市民が懸命に売り出している。先日の横手の「かまくら」に行った時も「横手焼きそば」の名人たちが露店を出して競っていた。その評判が横浜の千賀子さんの耳にも届いているのだろう。横手の人たちの「焼きそば」でのまち興しが功を奏したようで嬉しいと同時に大曲はまた負けたなとちょっぴり残念な気持ちもした。
千賀子さんには「横手焼きそばもいいが、横手にも『三角』という十文字ラーメン店がオープンしたよ。そこはどうなの」と言ったら「えー。あの三角が横手にもあるの。嬉しい。じゃあそこへ連れてって」。会えること、そしておしゃべり出来ることだけを単純に喜ぶ千賀子さんの朗らかさに救われる思いだった。帰国後は美容師の仕事をしたいと専門校に通っているとの話も以前に聞いている。そちらの夢もかなったと千賀子さんは電話で答えた。「そうか。頑張ったね。良かったね」。話を聞いていて胸が熱くなった。「だって物価の安いシンガポールやマレーシアでは遊んでいても良かったけど、日本での生活は厳しいから働かないと」と飾ることもなく語った。「ああ。そうだね。働かなければね。とにかく嬉しいよ。ケンニチを忘れないでいてくれたことが・・・」。「だって伊藤さんにはお世話になったもの」。
電話での会話はそれだけだったが、千賀子さんからのメール、そして電話での会話は春が運ばれてきたような嬉しさを募らせた。気持ちが滅入っていた時だけに〃力水〃にもなった。とにかく元気な声、無邪気で明るい笑い声にホッとした。「伊藤さん。帰ったら必ず電話するからね。そして時間を取ってね」。繰り返すようにして子供のように甘えた声が嬉しかった。インターネット新聞を通じての出会いには悲しみをもたらすこともあったが、こうした喜びや感動も運んでくる。
東山から雲を突いて昇った四角くゆがんだ太陽は再び厚い雲に隠れた。小犬のパピーが一心になって「川港親水公園」の一角にある森に向かって吠えた。そのパピーの視線を追ったら、リスが杉の木につかまっているのが見えた。黒っぽい子猫のような大きさのリスだった。丸みのある背中、太いしっぽが愛らしい姿をしていた。パピーにも初めて見る不思議な動物だったのだろう。「ウー。ワン。ワン」。威嚇しながらリスに吠えた。
リスのいるその森は小さいころの遊び場だった。冒険の場でもあった。兄や兄の友だちと一緒に森の中に入って追いかけっこをしたり、枝にロープをつり下げターザン遊びをした場でもあった。枯れ葉をかき集め、その上に寝転んで落ち葉の温もり、木の甘い香りを楽しんだこともあった。ナイフを手にマッチ箱ほどの大きさで皮をはぎ、むき出しになった幹に「マサオ」と名前を書いて自分の木にしたこともあった。
風呂の薪(たきぎ)用にするため母と兄とに連れられて杉の葉っぱを集めに行った場でもあった。蛇がとぐろを巻いているのを見つけ、悲鳴をあげながら逃げた森でもあった。スズメバチが大きな巣を作っているのを見つけ、青くなって逃げた時もあった。いろんな思い出を作ってくれた森だったが、リスは見たことがなかった。それだけに不思議な思いだった。
リスはパピーとこちらの姿をチラッと見ながらも、警戒するわけではなく、ただスルスルッと杉の木を素早い動きで登って行った。敏捷なその動作がなぜかとても可愛く、嬉しかった。小さな生き物が森の中で長い冬を耐え、春を迎えようとしている。疲れた心には千賀子さんの明るい声も、森の中の小さな生き物の動きも刺激と喜びを与えてくれた。春3月である。もう少し明るく前向きな気持ちになろう。