秋田県南日々新聞、通称「ケンニチ」は3月29日午後5時7分、待望の「100万」ヒットを記録した。50万を記録したのは01年6月8日。ケンニチがスタートしたのは96年12月1日だった。50万を記録するまでには4年6カ月の歳月を要した。それがさらに50万のアクセスを上積みし、「100万」を達成するまでに要した日数は1年9カ月となった。わずか1年9カ月で50万のアクセス数を記録するまでになった。インターネットの普及で、ケンニチの存在感も高まり、読者数も日増しに多くなっているのを実感する。それだけに新聞としての影響力に対する責任と書く事への恐れ、不安も高まる。自戒が必要だと思うが、ケンニチは時々、弱さでつまずく。読者に多大な心配を与えてしまう。これもインターネット新聞「ケンニチ」の個性だと思って容赦してもらいたい。
100万ヒットを踏んだ方は大阪の読者だった。東北には縁もゆかりもないが、その人の会社に昨年春、大曲市出身の方が入社して以来、秋田、とりわけ大曲市に関心を持ってケンニチを開いていたという。表紙を飾る写真が気に入っているとか。ケンニチには様々な読者がいることを実感した。表紙の写真とそのコメントが好きという人もいれば、こちら編集室を欠かさず読んでいるという方もいる。とにかく多くの読者を背景にケンニチは支えられ、励まされ、時にはつまずき、心痛める思いもした。こち編と表紙写真はケンニチの個性の場であり、心の窓と思って寛恕(かんじょ)願いたい。
ケンニチの100万ヒットを祝っては「読者の広場」だけでなくメールでのお祝いもあった。元衆院議員の細谷昭雄さんからは電話でのお祝いだった。「いや。伊藤さん。たいしたものだ。100万のアクセスを記録したんだね。良くやった。頑張ったね」との激励だった。衆院議員、そして参院議員として活躍した細谷先生とは現役時代から取材を通じて交流があった。政界からの引退後も出稼ぎの人たちのために東京の職場を訪ねるなど、年齢を感じさせない体力と精神力で活躍されている。ケンニチの「こち編」ファンだと言って「いつも楽しみに読んでいるよ」と励ましてくれている。
話は変わる。
その後も妻との朝の散歩は続いている。午前5時半に目覚め、小犬のパピーをケージから抱き上げ、パピーと共に歩く朝の散歩である。横手川の橋を渡り、子どものころに通学した藤木小学校への真っ直ぐな道を歩き、小学校からさらに東へと歩いて迂回し、中学校のあった所で左折して元の道へ戻る。
田んぼの雪はすっかり消え、あぜ道に咲いたフキノトウの優しい色が心を和ます。子どものころの小学校への道はまだ未舗装で、今よりは狭かった。真っ直ぐな道の両わきは見渡す限り田んぼしかなく、単調な風景だった。登校する時は同級生と一緒だったが、帰りはいつも一人だった。なぜか青い空と白い雲を眺めながら下校したことしか記憶に残ってない。グループ活動の苦手な自分は一人で帰るのが気分的にも楽だった。
だから学校では目立たない児童だったと思う。成績も特別に良い方ではなく、ただおとなしく先生の授業に付いていくだけだった。特別に可愛がられた思い出もなく、特別に叱られた思い出もない。ただ一度、誰からも〃がき大将〃としてクラスに居座り、蛇蝎のごとく恐れられ、煙たがられていた同級生と体育館で殴り合いのケンカをし、血相を変えて駆けつけた教頭先生に引き止められたことだけが忘れられない思い出として残っている。
5年生か6年生だった。「なぜケンカしたんだ」。黒縁のメガネを掛けた教頭先生と担任の男の先生に宿直室に連れていかれ尋問(?)された。「ンだって。ンだって」。理由を言いたくても言葉にはならなかった。ケンカした相手はクラスでもみんなが恐れていた相手だった。その男子の言う事を聞かないと何をされるか分からないとみんなが怖がっていた。
ケンカとなった原因は自分の言葉づかいが同じ秋田弁でもどこかアクセントが違って、「生意気だ」と言う事と肌の色が黒い事から「クロンボ」とのあだ名が付けられていたことは分かっていた。同時に転校することになった同級生の女の子に担任の先生が「何か記念品をやるべきでないか」と呼びかけたのに対し、その男子がどんな意味を込めたのか、「反対」の声を挙げた。そのひと声で、せっかくのみんなの友情が台無しになったことへの反発もあった。記念品の贈呈を呼びかけた担任の先生の悲しそうな顔も目に焼きついていた。
幸い転校する女の子はその席におらず傷つく事はなかったが、その男子の〃鶴の一声〃で同級生みんなの声も押し萎んでしまい、誰も「賛成」の手を挙げる人はいなかった。転校する女の子へ送るべきプレゼントの話しが消えてしまった事への腹立たしさもあった。そうしたうっぷんがたまっていた。そこへ体育館で「オイ。クロ!」と面と向かって野次る声が耳に入った。前後の見境もなく自分の手が飛び出していた。殴った。負けを覚悟で殴った。誰一人、反発する事もなく言うがままになっていた同級生の中で、たった一人が〃反乱〃を起こした事で相手も驚いたようだ。顔中に怒りを込めて殴り掛かってきた。お互いの唇が裂け、血が流れた。
女子生徒たちが「先生!。センセイ」と甲高い声を挙げて体育館から走り去っていくのが見えた。間もなく血相を変えて教頭先生が駆けつけ、二人のケンカを引き止めた。お互いにらみ合い、引き下がった。
教頭先生と担任の先生に宿直室に呼ばれ「なぜケンカしたんだ」と詰問されても自分には「オイ。クロ!」と野次られた劣等感があって、その理由を自分からは言えなかった。ケンカした相手だけでなく、同級生の多くが自分をそうさげすんでいるような感じもあった。それは自分では同じ秋田弁で喋っているつもりでも、どこかアクセントの違いがあって違和感を与えていた事もあった。同級生からの孤立。そう思い詰めるようになったのは音楽の時間だった。
「出た出た月が。まるい まるい まん丸い ぼんのような月が」。確かこのような歌詞だった。そして「隠れた雲に くーろい、くーろい、真っ黒い すみのような雲に」と続いた。この歌をみんなで合唱し、二番の歌詞に入ったら、数人からせせら笑う声が漏れた。その笑いのリーダーになったのもケンカした相手だった。その笑いが深い心の傷となって悩み、苦しませた。そして「オイ。クロ!」と呼び捨てにされ、ささくれだった心は爆発した。
教頭先生も担任の先生も理由を聞いても答えない自分にあきれたのか、あきらめたのか最後はお互いに見つめ合って「まあ。仲良くやるように」とだけ言った。教室に戻るとクラス一番の乱暴者と正面からケンカしたことで、自分に向けられる目が違っているのを知った。ケンカは勝ったのでも負けたのでもないが、みんなが恐れていた同級生とまともに戦ったことへの羨望の目だった。その同級生とは高校まで一緒だった。仲良くなったわけではないが、通学のバスの中で「バス賃がないんだ。貸してくれ」と言われ、確か300円ほど貸したまま返された記憶はない。その後、小中学校の同級会があっても彼だけは一度も顔を出さないまま消息も失った。孤独な人生を歩んでいるのだろうか。
妻との散歩に初めて万歩計を使ってみた。取材の「記念品」として2個頂いたのだが、使う事もなく戸棚の中で眠っていたのを取り出した。とうに電池切れとなっていて、電池を交換した。果たして「何歩、歩くのか」。二人で腰にその万歩計を下げて計測してみたら、約5800歩の歩測だった。朝30分ほどの散歩だったが、随分の距離をパピーと歩いたことになる。
散歩を終え、眠っているアキを起こして朝ご飯を与える。アキはこの冬に入って以来、ほとんど歩かなくなった。それでも食欲があるから元気だ。アキの食事を見守り、再びアキが好きなように歩かせる。アキは堤防までの300メートルほど歩くともう引き返す。自分の力ではもう便も出せなくなった。それを絞り出し、ティッシュペーパーとナイロン袋で片づける。堤防には誰が連れて歩き、始末もしないのか犬のフンが残ったままのが目立つ。犬を飼う人たちのそうした気持ちが分からない。春と共に堤防の汚れが目立つ季節にもなった。それでも春の朝の散歩はさわやかだ。