こちら編集室「フキノトウ」(4月11日)

 早朝の散歩は続いている。運動不足を朝の散歩で解消したいと歩き出した妻。小犬のパピーを連れての朝の散歩は日々、変化する春が目を楽しませる。今朝は田んぼの畔にツクシが群れをなし、小さな背丈の背比べしているのを見つけた。スイセンも黄色い芽を大きく膨らませていた。ベージュ色のツクシ、若草色のフキノトウ。そして今日中にも咲きそうなスイセン。早春の大地を彩る3つの植物の芽吹きに小さな生命の目覚めを見つけた思いだった。藤木小学校への真っ直ぐな道を歩き、さらに東に向かい、田んぼを眺めながら今は誘致工場となっている藤木中学校があった道路へと向かう。パピーはせっせと四つ足を運ぶ。

 子供のころ、横手川の橋を渡るとすぐ左側にはお医者さんの家が一軒だけポツンとあっった。周囲の集落とかけ離れ、ひっそりと孤立したような白い木造の建物だった。庭にカタツムリの形をしたイチイの木があった。今はその跡が普通の民家に変わり、その近くには藤木中学校と角間川中学校との統合で出来た「大曲南中学校」が建っている。そしてその向かいは市が分譲した住宅地へと変貌した。

 ポツンと周囲から孤立したような医院の待合室には白いカモメが飛ぶ港の絵が掲げられていた。風邪、腹痛などで良くそこのお医者さんの診察を受けたものだった。病気になると大抵、父と母が寄り添うようにその医院まで連れて行き「マア。苦しいか。もうすぐだからな」と丹前でくるんだ自分の背中を何度もさすったり、額に手をあて熱具合を計ったものだった。
 熱に浮かされた目で見上げたカモメ飛ぶ港の絵はなぜか不気味にしか見えなかった。青い空を背に白いカモメが飛んでいるのだが、その黒い点のように小さな目が怖かった。羽ばたいたカモメの白い翼もなぜか怖かった。多分、注射される怖さがそのカモメの目から伝播したのだろう。

 「次の方。どうぞ」。看護婦さんに呼ばれるとビロードのような布貼りをした回転椅子に坐った初老のお医者さんが耳に聴診器を充て、寒さにふるえる胸や背中を探るように診察した。肌を刺すようなヒヤリとした聴診器の冷たさが今も記憶の底に残っている。口数が少なく、ただ黙って聴診器をあて「風邪だと思うので」と注射器を取り出し、その針を見ただけで大声で泣いたのも記憶に残っている。

 家に帰るとすぐに布団に寝かされ、付きっ切りで看病した母だった。自転車で行商に行かなければならない父もオロオロしながら「マア。寝てれよ。寝てれば治るからな」と枕元で声を掛けたものだった。母がお昼に作ってくれたおかゆ。それに味噌を入れて食べた素朴な味。そして父が近所のお店から買ってきてくれた六郷町の「ニテコサイダー」の冷たい、あのさわやかな甘味は今も懐かしい。モモやミカンの缶詰は当時、我が家にとってはとてもぜいたくなものだったが、父は「マア。ケッ(食え)。買ってきたからケッ」と言ってはスプーンに乗せて食べさせてくれたものだった。

 病気になるとわき目も振らずに真っ直ぐな愛情を注ぐ父と母だった。布団で眠っていても医院で見た白いカモメが飛ぶ港の絵が思い出され、泣き声を挙げて母を呼び、父を呼んだ。「何した。何したケナ」。台所のある板の間で毎日のように裁縫にいそしんでいた母が駆けつけ、土間で漁網の手入れをしていた父が駆けつけた。いつも真剣に自分と向き合い、成長を祈った父と母だったと思う。幼いころ、小学校に通った道を妻と共に小犬のパピーを連れて歩くと、とうに亡くなった父の素朴な愛、母の感情むき出しの愛が思い出される。

 医院の近くには小川が流れていて、夏はその小川までホタル狩りに行った。ホタルを追って、「ホータル来い。こっちの水はあまいぞ。あっちの水はにがいぞ」と歌った。皆で歌い、ホタルを呼んだ。横手川の橋を渡るとホタルの群れが闇の中で青白い糸を引くように無数に飛んでいた。闇の中でチカチカと青白い光りがまばたいた。幻想的な美しいホタルの光りの競演だった。虫かごにホタルを入れ、蚊帳(かや)の中に放すのが楽しみだった。

 以前にも書いた記憶があるがホタル狩りに行って「火玉」に追われたことがある。医院からずーっと離れた墓地から突然、青白い火の玉がボッと上がった。その音と光りに「アッ。なんだ」と皆が叫んだ。ボッと立ち上がった火の玉はやがてゴーゴーと唸り声を上げてものすごいスピードで飛んできた。攻撃するような勢いだった。余りの恐怖に橋まで逃げた自分は、狂ったように泣き叫んだ。死んだ人の魂に追われているような恐怖にふるえた。

 突然、「このヤロウ!」と叫ぶ声があった。兄の友だちが石ころを手にその火の玉に向かって行ったのである。「このヤロウ!」。兄の友だちは狂ったような大声で叫び、何度も石ころを投げた。途中からは兄も加わった。空中で火の玉は立ち止まった。青白い尾を伸ばした火の玉だった。石ころが当たったのかどうかは分からないが、火の玉はボーンと鈍い音を立てて、消えた。

 幼い自分はそれを見ながら「幽霊だ。幽霊が出たんだ。罰があたるよ」と泣いた。兄が「大丈夫だ。もうあいつは消えた。幽霊じゃないって。心配するな」となだめた。泣きながら家に帰ると父と母が「どうした。どうしたんだ」と笑いながら迎えた。兄が「ホタルを取りに行って火玉を見たんだ。それでマアが怖がって」と説明した。「そうか。火玉を見たか。怖かったベ。怖かった。怖かった」となだめながら笑った。父はその怖さを少しでもぬぐおうとしたのだろう。「火玉は幽霊でも何でもない。死んだ人が化けて出たのでもない。心配しなくていい」と頭をなでた。

 歩きながらそうした幼いころの夏の思い出を語ったら妻が「フーン。火玉なんて私も小さい時に実家の台所の窓から何度も見たことがあるよ」とさりげない調子で言った。「怖くなかったのか」。「だって化学現象だって聞いてたから」。妻には何でもなかった火の玉だったようだ。いざとなるとやはり女には勇気がある。そう思った。

 蝶のような形の耳をそば立ててはせっせと歩くパピーがチラリとこちらを振り向いた。歩きながらも自分たちの会話に耳を傾けているのだろう。家の中でもそうだ。ちょっとした行き違いで感情的になり、大声を出すとパピーは「ケンカしないで」とばかりに目をキョロキョロさせ、台所で後かたづけをしている妻へ走ったり、長々と酒を楽しんでいるこちらに走って「ワンワン」吠える。犬も食わぬ夫婦げんかを小犬のパピーは食い、いさめようとする。

 散歩を終え、パピーを家に入れ、シャッターを開けて柴犬のアキと面談する。アキは背中を精いっぱいに伸ばしてハウスからノッソリと出てくる。春の目覚め。アキにも気持ちのいい春が来たようだ。平和な朝のささやかな喜びを感じるこのごろだ。