春の妖精・スイセンもそろそろその笑顔の時期は終わり、道端ではスイセンに代わってチューリップやムスカリ、パンジーなどの花が迎えるようになった。花を愛でながらも、どこか救いようのない負の荷を背負ったまま迎えた春だったが、いずれ時の流れに身を委ねたい。そう思えるまでになった。
連休中の一日、すっかり白髪が多くなった妻が初めて「髪を染めたい」と言い出し、その手伝いをした。それまでは白髪を一本、見つけては「大変。白髪が!」と叫んでは「抜き取って」と悲鳴を挙げていた。しかし、抜いても抜いても増えてくる白い毛髪にとうとう音を挙げ、あきらめたようだ。
白髪染めの薬を調合し、洗面台を前に座らせ白髪染めの薬を塗っているうちにこの小さな幸せを守るためにもネットで傷ついたことへのこだわりは忘れ、別な方向へと気分転換を図ろうと思った。白髪染めの薬を塗っていたら、幼いころやはり母も白髪に悩み、染めたことを思い出していた。そして連想するかのように幼いころ、蒸気機関車を見たくて飯詰駅へと兄と二人で歩いたことを思い出していた。
そうだった。まだ入学前のことと思う。蒸気機関車を見たくて兄と二人、毎日の散歩道とは違うがほぼ平行して東に延びる県道を4キロほど歩き、飯詰駅へと何度か遠出したものだった。4キロの道のりを歩くのは辛かったが、とにかく蒸気機関車を見たかった。1時間ほどの時間を掛けて歩き、飯詰駅近くの踏み切りで列車が来るのをジッと待った。今か今かと待った。やがて遠くから「ポーッ」と汽笛の音が聞こえると「来るぞ。来るぞ」と蒸気機関車と出会える楽しみで心臓の鼓動は波うった。
真っ黒な鉄の塊が目の前を「ボッボッボッ」と蒸気を吐き出しながら走っていく雄姿には言葉では言えないほど興奮した。黒光りする大きな車輪。「ポッ、ポーー」。けたたましい汽笛に驚きながらも、真っ黒い巨大な鉄の塊が目の前を通りすぎていくのを目を皿のようにして見つめた。目の前を通りすぎていく大きな車輪に迫力があった。「すごい。すごい」と興奮して見送った。
それはほんの一瞬のよろこびだった。その一瞬がともかく興奮させた。「もう一度、観たい」。兄にせがんだ。列車が一度通りすぎると、次のが来るまで1時間以上も待たなければならなかった。「とにかくもう一度観ようよ」と兄にせがんで列車を踏み切りの近くでジッと待った。横手方向から来る列車は駅構内の建物や障害物でその姿は良く見えなかったが、秋田方向から来ると遠くからでも黒い煙を上げて走ってくる機関車の姿が見え、心臓をドキドキさせながら「来たよ。来たよ」と小躍りしながら迎えた。
目の前を轟音を上げて通りすぎていく列車の音にはいろんな夢が詰まっているように思えた。どんな人たちが乗っているのだろうか。「この汽車に乗ったら東京へも行ける。皆が言う東京ってどんな所だろうか」。見知らぬ大都会への憧れを胸いっぱいに膨らませたものだった。
年齢は親子ほども離れていたが年に数回、里帰りしてくる秋田の姉はいつも「この汽車に乗って来るんだ。いいなー」と兄に向かって問いかけ、汽車に乗って里帰りする姉がとてもうらやましく思えた。まだ秋田市にさえ行ったことがなかった自分にはたまに訪ねてきては泊まっていく秋田の姉が都会的で美しい人にも見えた。
そんなこともあって「秋田の姉」が家に来ると、その甘い香りと家の中がパッと明るくなるような雰囲気に離れ難くなって、そのそばに座って父と母との言葉のやり取りにただ黙って耳を傾けていた。姉のそばにいるだけで嬉しかった。姉には二人の女の子がいて、たまにはそのいとこ姉妹を連れて遊びに来ることもあった。二人とも自分と二つ三つしか年齢は違わず、男兄弟ばかりの環境で育った自分は大はしゃぎで歓迎した。いとこたちも「パパ」と呼んでいた父を除くと女だけの環境ということもあって、自分と遊べるのを喜んだ。
夜になって眠りに就こうとすると二人は自分の布団に入って、川の字となって横になった。そして眠れぬまま、遅くまでおしゃべりを楽しんだ。飯詰駅まで機関車を観に行った思い出を話すと二人は不思議そうな目で「あんなの珍しいの?」と笑った。
からかわれたような感じを受けたので口を尖らせ「だってカッコいいし、勇ましいよ」と反抗すると二人は「あんな真っ黒い機関車が?。あんな黒い煙を上げて走るのが?。あんな石炭臭いのが?」と3段調子で機関車の悪口を並べ、不思議がった。そしてまだ居間にいて父や母と喋っている姉に向かって「母さーん。マアはネ。まだ汽車に乗ったことがないんだって。今度、秋田に連れてこうよ」と叫んだ。自分の布団に入りながら姉である母を呼び、「秋田にマアを連れてこうよ」と叫んだ二人の声がとても美しい音楽に聞こえた。「ああ。そうか。マアはまだ汽車に乗ったこともないかもしれないね。今度はマアも秋田に連れてくか」。姉の声が天使のように響いた。
それからどのくらいの時が流れたろう。父と母に連れられて初めて汽車に乗って秋田に向かったのは。6つ上の兄と3つ上の兄は何度か秋田に遊びに行ったことはあるとは聞いていたが、幼かった自分はそれを意識することはなかった。ただ兄がいないんだと数日、その姿が見えないだけで寂しい思いをしただけだった。
初めて乗った汽車にはただ興奮するばかりだった。窓際に釘付けとなって座り、流れる風景を眺め、ガタンゴトンガタンゴトンと鉄路を走る音、ポッポーと汽笛の音に夢見心地で過ごした。
窓から入ってくる風が気持ちよかった。向き合ってニコニコしている父と母がとても優しく見えた。母は久しぶりの秋田市への遠出とあって着物姿だった。いつもの田舎臭いおばあさんではなく、友だちにさえ自慢したいほど少しだが美しく見えた。父が突然、立ち上がって「マア。窓を閉めるよ」と言った。他の乗客たちもあわてて窓を閉め始めた。なぜなんだろうと不思議に思っていたら、間もなく列車内は暗くなりトンネルに入ったのが分かった。「ああ。これがトンネルなんだ」。轟音を響かせながら列車が真っ黒い中を走っていくのさえも興奮の材料だった。
トンネルの中ってどうなっているのか不思議でならず、窓を明けてみたいと思った。山をくり抜いて造った道なんだとは聞いていたが、その中がどうなっているのか本当に見たかった。「窓を開けてはだめなの?」と父に聞くと「トンネルを過ぎるまでは開けられないんだ。いま窓を開けたら室内が煙で真っ黒になるから」と答えた。ガタンゴトン、ガタンゴトン。トンネル内を走り抜ける列車の音。ポッポー。汽笛のもの悲しい響き。すべてが珍しく、興奮の材料だった。
秋田駅に降りると姉が迎えに来てくれていた。駅から外に出ると大曲では見たこともないビルがあり、びっしりと店が立ち並び、空には大きな風船、アドバルーンがいくつも上がっているのにもビックリした。大勢の人が行き交う賑わいにも驚いた。我が家近くの道路ではたまにしか見ることのないバスが次々と走ってくる。その賑わいにも目を白黒させた。何もかもが珍しく、何もかもが気持ちを高ぶらせた。バスに乗った。姉が「マア。ここが『木内』というデパートなんだよ」とバスの中から指さした。「デパート?」。初めて聞く言葉だった。姉は苦笑しながら「後であのデパートに遊びに連れて行くから」と静かに言った。
秋田には母の姉妹たちもいて、秋田市に滞在中は姉の家だけでなく母の姉妹たちの家も訪ね歩いた。どこでも「マアが秋田に来たのは初めてだな。良く来たナー」と歓迎を受けた。今もぼんやりと目に浮かぶのは多分、川幅の広さから雄物川だったと思う。なぜあの当時、橋がなかったのか。その意味は分からないが、川の上を横断させた太い銀色のパイプラインの上をこわごわと渡り、向こうの岸辺に渡った。手すりにすがり付き、とても怖い思いをしながら渡った。いとこたちが「マア。みのくねな(勇気がない)」と笑ったのが目に浮かぶ。
初めて訪れた秋田市は田舎に育った自分には大都会だった。大勢の人が行き交い、車が走り、ビルが立ち並ぶ。姉の夫であるオジさんも、初めて秋田に来た自分を歓迎し、秋田市内のあちこちをいとこ姉妹と共に案内してくれた。そのオジさんは亡くなり、姉ももう80歳前後となった。ここ2年ほど会ってない。電話では元気な声も聞いているが、足腰が弱ったと嘆いている。お見舞いに行きたい。久しぶりに姉の顔を見たくなったこのごろだ。
本紙から2日に掲載した「こちら編集室」に一部、表現が不適当で個人攻撃になった面があり、入れ換えました。一部関係者にご迷惑をかけた点はお詫びします。