朝の東山は晴れてはいても紗のベールを張ったようにかすみ、薄緑色の影絵のような姿しか見せない。空の色もスッキリした青空にはなりきれず乳白色に霞んでいた。シベリアで大規模な森林火災があったとのニュースが先週あった。その影響が山を霞ませているのだろう。しかし、森林火災による靄(もや)もやっと収まり、澄みきった青空が見られるようになった。遠くに〃切り絵〃のように浮かぶ東山を眺めながら、朝の散歩は続いている。
先々週と先週の2週続けて大曲キリスト教会の横井伸夫牧師が呼びかけた「集い」の取材に付き合った。先々週の日曜日は「大曲仙北いのちを考える(仮称)設立準備会」の取材で、ドイツ人で聖霊女子短大教授のアンネリーゼ・デーケンさんの「死の準備教育〜死とどう向き合うか〜」の話を聴いた。そして先週の土曜日は「不登校・引きこもりを考える集い」の取材となった。
どちらもキリスト教としての宗教活動とは全く別なボランティアで企画したものだ。横井さんは「私の力なんてたいしたことはないが、とにかく一人で悩まず、より良く生きてもらうために手助けしたいのです」と語る。「いのちを考える集い」には30人ほど、そして「不登校・引きこもりを考える集い」には20人ほどの参加者があった。横井さんからの依頼を受けて、ケンニチでも告知記事を書いたが「どのくらいの方が集まるでしょうね」と聞くと「さあ。20人も集まってくれたらいいでしょうか」と欲張らない。
いのちを考える集いでは講演が終わって、設立準備会の話し合いとなったが残ったのは元参院議員の細谷昭雄さん(神岡町)と2人の婦人だけだった。細谷さんからは「伊藤さんも帰らないで残れや」と誘われたが、こちらはその準備会を取材する立場の者として残ることにした。ところが細谷さんは「伊藤さんもメンバーに入りなさいよ」と言う。誘いは嬉しいが、そうしたグループ活動に入会して行動を共にするのは苦手なだけにためらった。「新聞で皆さんの活動をPRするという立場で協力します」とサポート役に撤するつもりだったが、細谷さんの強い誘いでメンバーの一員として名前だけは書くことにした。
細谷さん、それに残った二人のご婦人の話を聞いているとどちらも死と向き合う準備教育や末期医療(ターミナル・ケア)への関心はとても強かった。とくに六郷町から参加した婦人は「私は死がむしろ楽しみなんです。死ぬことで亡くなった主人と再び会えると思うと楽しみになるんですよ」と笑顔で言った。ただ「病気であまり苦しみたくはない。だからホスピス病棟が県南にもあればと思うのです」と希望を述べた。その方の夫は47歳でこの世を旅立ったという。死ぬことで亡くなった夫とまた会える。そう言った時の笑顔がとても美しく印象的だった。
いつかは死を迎えるのが生きているものの定めだ。しかし、誰もが恐れているのは病気で寝たきりとなり、もがき苦しみながら死んでいくのではないかという不安だろう。延命措置として体中に管を付けられ、さらに気管を切開し、人口呼吸器を装着して生かされるよりも、苦痛のない穏やかな死を迎えたい。多くの人はそう願う。それだけにホスピス病棟の必要性を望む声が高まってきたのだろう。
デーケンさんは講演で「死をタブーとしないで自然に迎え入れる気持ちを大事に」と訴えると同時に「死の恐れは分かち合うことで和らげられる」と述べた。そして「アメリカのホスピス病棟では医師たちが死んでいく患者からどれだけ学べるかをとても大切にしている」とも語った。つまり医学的にもう手の打ちようがないからと患者を見捨てるのではなく、その患者の「尊厳ある死のためにどう努力すべきかをアメリカのホスピス病棟の医師たちは学ぼうとしている」とデーケンさんは言いたかったのだろう。とにかくどの程度ケンニチが、その会のために協力できるかは未知数だが、可能な限り取材を兼ねて顔を出したいと思った。
一方の「不登校・引きこもりを考える集い」では登校拒否文化医療研究所(東京都大田区)所長の高橋良臣さんの講演を聴いて「不登校や引きこもりは特別な子だけがなるのではなく誰でもなるのだ」との印象を強くした。高橋さんは「不登校となった子どもや引きこもりとなった青年は母親に対して乱暴な態度を取ることで『優しさ』を求めたり、心の『不安』をぶっつけるが、母親はその乱暴な態度で優しさを自分に求めているのだとは信じられない。一方で何とか直そうと努力するが、直そうとするよりも、その子どもの気持ちに寄り添い、心の痛みを聞いてやり、気持ちを楽にさせる努力が必要」とも訴えた。寄り添い、心の痛みを聞いてやることは「対話しながらお互いを理解し合う『受容』であって、相手の言い分を認めてしまう『許容』とは違う」とも言った。
講演が終わってから高橋さんに寄せる親たちの相談の声は真剣だった。高橋さんは「ああすれば治る、こうすればいいと言った一定の法則はない。急いで結論を出そうとせず、その心の痛みを理解してやることに力を注ぐ方が回復は早い」とも答えた。会場にあった高橋さんの著書「登校拒否・引きこもりの二次的反応〜かかわりつづける人のために〜」(ほんの森出版)にも目を通した。長い体験から綴ったものと思われるその著書の内容は具体的で分かりやすく、示唆に富んだものだった。
横井さんの呼びかけた二つの取材を通して、自分にも励みになるものがあった。デーケンさん、高橋さんのお二人ともケンニチの名刺を手に「インターネットで見る記事を楽しみにしてます」とおっしゃった。お二人とも心穏やかにさせる人柄だった。
それにしても26日夕方の地震には驚いた。帰宅して妻は台所で夕食の準備を、こちらは着替えの最中だった。ユッサユッサと揺れたと思ったら、グラグラッと来た。家中が狂ったように揺れだした。「危ない!。逃げよう」。寝室から飛び出し、台所にいた妻に呼びかけた。ガスコンロの火を消した妻は足元に縮こまっていた小犬のパピーを抱き上げ、一緒に玄関から外へと飛び出した。開け放った玄関から家の中を見ると天井の照明が右に左にと大きく揺れて見えた。時計を見た。午後6時25分(地震発生は24分)だった。日本海中部沖地震も20年前のこの日の昼だった。あの時の恐怖がよみがえった。災害は忘れたころにやってくる。本当にそう思った。