こちら編集室「100ヒットのお祝い」(6月27日)

 台風6号が雨と風を運んできたが、過ぎ去った後は大空の掃除屋さんが駆け抜けたように清々しく、爽やかな青空を広げてくれた。22日の日曜日。雲一つない空からトンビの鳴き声が聞こえてきた。ピーヒョロロ。ピーヒョロロ。見上げたら一羽のトンビが上空で輪を作り、気持ち良さそうに回っていた。「あなた。腐葉土とこの土、それから油かすを混ぜて」。「忘れな草」「なでしこ」「パンジー」などの栽培に成功した妻は、このところ花の栽培に夢中である。この日も朝の散歩を終え、一段落したら「ホームセンターに行ってプランターと鉢を買いに行きたい」と言う。その妻の運転する車に付き合った。ペチュニア、マリーゴールド、そしてコリウス、メランポジュームの花、それにプランター2箱、鉢1個と腐葉土、園芸用の土を買い求め、車庫前でままごと遊びのような花の移植作業を手伝った。頭上からトンビの鳴き声が聞こえた。穏やかで平和な日曜日の朝だった。

 「伊藤さん。遅くなってしまったけどケンニチの100万ヒットのお祝いをやりたいのですが」。秋田県南日々新聞を立ち上げる時に技術的な面で全面的に協力して下さったわらび座「デジタル・アート・ファクトリー」の長瀬一男さんから携帯電話があったのは今月に入って間もなくだった。「えっ。お祝いしてくれるんですか」。「いや10万ヒットの時に『今度は100万ヒットのお祝いをしますから』と約束しておいたことは忘れてません」と長瀬さん。「まあ。そう大げさな祝いではなく、ケンニチを立ち上げた時のメンバーでわらび座の料理長の魚料理を囲んでやりましょう。奥さまも同伴で18日夜、都合はどうでしょう」とのことだった。

 時同じくして長瀬さんのもとでチーフエンジニアとして活躍、ケンニチ立ち上げに全面的に力を貸して下さった海賀孝明さんからもメールで「100万ヒットお祝いの会」の案内が届いた。

 ケンニチがインターネット新聞としてスタートしたのは96年12月1日だった。パソコンのこともインターネットのこともかいもく分からず、ただ「インターネットを使って新聞を発行したい」との無謀な要望を全面的に受け入れ、その技術指導をしてくれたのは海賀さんだった。11月から週1回の約束でパソコンを持参し、ケンニチの紙面づくり、そして記事の更新の仕方、記事への写真の入れ方などの勉強に通い、習った。写真の取り込み方法や紙面の更新の仕方を教えられても自宅に帰るとポッカリと空間ができたように忘れ、こちらからの電話によるチンプンカンプンな言葉のやり取りで海賀さんを随分、悩ませたものだった。

 不慣れなパソコンを相手に手さぐり。暗中模索。悪戦苦闘。そして〃自信喪失〃の繰り返しで前途多難な日々だった。それでも96年12月1日、「秋田県南日々新聞」はスタートした。そして長瀬さんの呼びかけで1万ヒットのお祝い、2年後の98年6月26日には待望の10万ヒットを記録。そのお祝いもわらび座で盛大に開いてもらった。

 そのお祝いの場で長瀬さんが約束したのは「今度は100万ヒットです。100万になったらまた祝いましょう」だった。「100万」なんて遠い先の夢と思っていたが、ケンニチはその後も順調にアクセス数を伸ばし、今は1日のアクセス数は平日で1400から1500件にもなっている。そして01年6月8日に50万ヒットを記録、1年9カ月後の3月29日午後5時7分、100万の大台を超えた。

 仙南村の菖蒲園でデジタル・アート・ファクトリー主催の「お祝いの会」に集まったのは長瀬さん、海賀さん、そしてケンニチの題字や紙面をデザインしてくれたグラフィックコミュニケーションの高橋成人さん、当時、県の仙北総合庁舎にいてインターネットの普及に力を入れ「インターネットで新聞を発行したい」との提案に乗って長瀬さん、海賀さんを紹介してくれた成田秀さん、初めて買い求めたパソコンの使い方を教えてくれた松戸市コンピューターサービスの佐々木徹さん、それに友人の写真家・泉谷玄作さんの6人だった。

 佐々木さんは東京の職場からわざわざ駆けつけてくれた。成田さんも今は県北の事務所だが、東京出張から駆けつけてくれたという。お二人のご好意に心から感謝した。当時、長瀬さんたちと一緒に働いていた甲山知苗さんも、岩手県から駆けつけてくる予定だったが、急用が出来たとかで「きっとあっと言う間に1000万ヒットをお祝いする日が来ると思います」と嬉しいメッセージがあった。お祝いの会に集まった6人はケンニチを立ち上げるまでの苦労を良く知っている人たちで、気仙沼から取り寄せた魚料理を囲んだ宴は和気あいあいとしたムードで楽しめた。

 海賀さんは「様々な人がホームページを立ち上げたけど、伊藤さんのように毎日、ニュースを更新し、100万ヒットを記録したのはすごい。やはり継続は力です」と乾杯で祝いの言葉を述べた。長瀬さんはケンニチの経済事情をおもんばかって「何とかもう少し収入につながる方法はないものか考えたい」と励ましてくれた。とにかくおめでとうの声に招かれた妻共々、感謝した。

 ケンニチはことし12月1日で7歳の誕生日を迎える。この7年の間にはいろんなことがあった。いろんな思い出も残した。多くは人と人とのつながりの温かさだった。その交流は海外まで広がり、9月にはアメリカの岩間郁夫さんの案内でアメリカ西海岸を旅することになった。日曜日。花の植えつけ作業に懸命だった妻は昼休みの合間には買ってきた「アメリカ西海岸の旅」に目を通しながら、「やっぱりアメリカって広い」と驚いた目をした。インターネット新聞をやっていなかったら、考えられないアメリカの旅だ。岩間さんからはその後もていねいな旅のアドバイスを書いたメールが届く。

 そして最近になってまた嬉しい読者とのつながりが生まれた。それは日本野鳥の会会員の鈴木三郎さんの「野鳥観察」である。鈴木さんの見事な野鳥の写真は読者にも驚きと感動を与えている。18日夜のケンニチ100万ヒットのお祝いの集い。心いやされる仲間たちとのお酒はまた新しい思い出として心に刻まれた。