こちら編集室「夏の日に」(7月18日)

 トンボが生まれたようだ。自宅近くの川港親水公園を歩いていたら子どもたちが自由広場の小山の上で盛んに野球帽を空に飛ばしてトンボを追っていた。トンボは群れをなして乱舞していたが、子どもたちの野球帽の中に捕らわれるトンボは一匹もなくスイスイと青空を背に泳ぐように飛んでいた。「もうトンボが飛ぶ季節になったんだな」と思った。

 小犬のパピーを連れていた。トンボを追っていた女の子二人が、側に寄ってきた。寄ってはきたが、どこかその目は他人を恐れていた。きっと親か先生に「見知らぬ人から声を掛けられたら逃げなさい」とか、「知らない人に着いて行ってはいけない」とでも言われているのだろう。長崎市では4歳の男の子が、12歳の中学一年生に誘拐され、殺害されるという悲惨な事件が起きた。女の子たちは見知らぬ人の側に寄っていくことの「危険」さを親や先生たちから教えられているのだろう。警戒するような姿勢で寄ってきた。それでも小犬には興味がある。イメージでは見知らぬ人を警戒しても小犬には触ってみたい。そんな顔を二人はしていた。

 「可愛いか。触ってもいいよ。よしよしってなでてごらん」。できるだけ優しい声で二人の女の子に言った。二人は安心したようにおずおずと寄ってきてしゃがむと「可愛い。可愛い」とパピーの頭や背中をなでた。パピーも嬉しそうにしっぽを振って二人の仕草に身を任せていた。そして二本足で立って、二人の手や顔をチョロチョロとなめた。陽気な小犬、パピヨンはこうした時にとても子どもたちとのコミニュケーションを取るのがうまい。女の子二人は「キャー。顔をなめられた!」と悲鳴を挙げて飛び上がったが、直ぐまたしゃがんでパピーの頭や背中をなで「可愛い。可愛い」と自然な笑顔を見せた。トンボが近くを飛んだ。二人はそのトンボの群れを追って再び駆け出した。トンボは羽の端っこに黒褐色の斑紋を持ったノシメトンボだった。

 本来なら身を守ってくれるべき大人を子どもたちが警戒し、しかも中学生でさえも恐れなければならなくなった。いたずら目的で声を掛け、外に連れ出し、抵抗されれば殺す。幼い命を顧みることもない殺伐な時代にいつからなったのだろうと思った。しかも17日には今度は東京で、小学6年の女の子4人がマンションに監禁されるという事件が発覚した。なぜ?と首を傾げたくなるような事件が続く。

 朝の散歩で見かけたうろこ雲小犬のパピーに触れ、満足そうな笑顔を見せ、トンボを見つけて追っかけていった二人は自分を安心できる大人だと信じてくれただろうか。駆け出した二人の小さな背中を目で追って、見知らぬ人を恐れ、警戒しなければ我が身の命を守れない時代が来たのを悲しいと思った。

 小山を下りて公園の花壇を観ながらを歩いたら、アゲハチョウが2羽、花を求めて戯れるように飛んでいた。キアゲハだった。アゲハチョウは春に生まれるのと夏に生まれるのがある。花壇の上を飛んでいたのは夏に生まれたチョウだろう。昆虫たちにも夏の季節が来たんだと思った。夕方には公園の深い森からヒグラシが鳴いているのを聞いた。静かな森にカナカナカナとしみ入るような鳴き声だった。

 妻の出張で3日間、丸豆腐とミニステーキ、レタス、それにトマトと梅干しだけを料理にして晩酌を過ごした。豆腐はお湯で温め、ポン醤油をかけて食べた。商品名の「ミニステーキ」は油で炒め、レタスは青じそドレッシングで味付けした。3日目になるとさすがに豆腐もミニステーキも辟易気味となったが、他に料理の仕方が分からないので我慢して食べるしかなかった。出張の多い妻。以前ならこれ幸いにとばかりにタクシーを呼んで夜の街に出かける勇気もあったが、最近は外へ出る元気も失った。テレビは点けていたがテレビより本を読み、ビール、酒を飲んで3日間を過ごした。

 その3日目の夕方、妻から携帯電話にメールが入った。「大曲着19時23分、タクシーで帰る」の見出しに「板かまぼこを買ったので、ワサビをつけて食べればいいです。でも先に食べてて下さい」とあった。行政視察で山梨県の「南アルプス市」へ町村議会の議長たちと出かけた妻だった。今年4月に6町村が合併して誕生したばかりという南アルプス市。その先進地を視察し今、仙北郡内でも進められている市町村合併後の議員たちの任期をどうするかを考えようというのが視察の狙いだった。

 その合間を縫って携帯電話にメールを入れてくれた妻。その配慮が嬉しかった。妻からのメールはいつも受けっぱなし、読みっぱなしだったが、夕飯の料理を心配してメールをくれた配慮に感謝して、今度こそ何とか返事を出してやりたいと自分の携帯電話をいじったが、返信方法も文字の書き方も分からない。結局は諦めて、妻の帰宅を待った。

 その妻の帰宅に真っ先に気付いたのは小犬のパピーだった。「ワンワン」と無我夢中になって吠え出し、居間のドア、そしてこちらのテーブルの席を激しく往復し、帰宅を知らせた。まん丸い目が輝いていた。「パピー。そうか。パピーのお母さんが帰ったか」。そう言うとパピーは再び、目をまん丸にして「ワンワン」と叫んで知らせた。表に出てみるとまだタクシーから降りず、料金の清算中だった。スーツケースを車から出すのを手伝いながら「パピーが帰ったのを知らせてくれたよ」と言ったら「そう。パピーが・・・」と嬉しそうに笑った。

 家に入ってテーブルの上に並べられた料理を見た妻は「なんだ。また豆腐とミニステーキばっかり」とあきれたように笑い、急いで着替えると小田原市から買ってきたばかりの「板かまぼこ」を切って皿に盛りつけた。そうした心遣いに嬉しくなって「おれも携帯電話でメールを出せるようにしようと思っているんだ。教えてくれないか」と頼んだ。「ええ。ほんとう!。あなたにはいくらメールを出しても出しっぱなしで、返事も来なかったものね」と妻も喜び、「うん。後で教える。ちゃんと覚えてよ」と命じた。パソコンはいまだに使えない妻。それでいて携帯電話を通じてのメールのやり取りは覚え、盛んに友だちと「誕生日祝い」や自宅に咲いた花の報告をしている。

 せめて自分も妻から来たメールにだけは返事を出せるようにしたい。「教えてくれ」、「ウン。いいよ」。約束し合った携帯電話からのメールの発信。忙しいせいか、まだ教えてもらってない。携帯電話といえば最近、非通知設定の不在着信が連続している。しかも相手が掛けてくる時間帯は夜中の10時過ぎとか午前2時、午前3時、午前4時と言った時間帯だ。なぜこんな時間帯に非通知設定でこちらの携帯電話を鳴らすのだろうか。嫌がらせとしか思えない。不気味な時代だ。それでもやっと今日は夏らしい青空が広がった。夏の日々を静かに楽しみたい。