自分の肩ほどへと背丈が伸びたプランターのヒマワリ4輪が咲き出した。見事!と言おうか、燃えるような黄色い花を咲かせた。喜んだのは妻だった。「ヒマワリが全部、咲いたよ。これ写真に撮って!。私のクラシック調の車とヒマワリの取り合わせなら絶対に絵になるよ」と外に出た妻が叫んだ。この春にタネを蒔き、狭いプランターの中に根を下ろした4本のヒマワリ。水をやるのを忘れ、一時は枯れかかった時もあったが「大丈夫よ。あの人たちは強いから」と妻が期待を込めたようにヒマワリは力強く、燃えるような黄色い花を咲かせた。まるで陽気なお嬢さんと言った表情でヒマワリは咲いている。
ヒマワリと言えば川端康成の小説「山の音」に「みごとなものだろう。偉人の頭のようじゃないか」との表現でヒマワリが登場する。同居している嫁の菊子の可憐さに淡い恋心を抱く義父・信吾が、近所の家に咲いたヒマワリを見ながら述べた感想である。
この小説に登場するヒマワリはそれこそ見上げなければならないほどの大きな花だが、我が家のヒマワリは自分の背丈ほどの小振りな花である。それでも燃えるような黄色は鮮やかだ。
小説「山の音」を続ける。ヒマワリを眺め、歩き出した信吾は菊子に言う。
「わたしはね、このごろ頭がひどくぼやけたせいで、日まわりを見ても、頭のことを考えるらしいな。あの花のように頭がきれにならんかね。さっき電車のなかでも、頭だけ洗濯か修繕に出せんものかしらと考えたんだよ。首をちょんぎって、というと荒っぽいが、頭をちょっと胴からはずして、洗濯ものみたいに、はい、これを頼みますと言って、大学病院へでも預けられんものかね。病院で脳を洗ったり、悪いところを修繕したりしているあいだ、3日でも一週間でも、胴はぐっすり寝てるのさ。寝返りもしないで、夢もみないでね」。
本当に自分もそう思う。人間を50年以上もやっていると嫌な思い出、忘れたい思い出もたまってくる。そうしたことを忘れ、整理するためにも頭だけ病院に預け、脳を洗ってもらったり、悪いところを修繕してもらえたらどんなに楽になることか。嫌な思い出はきれいに洗ってもらい、楽しかったこと、美しい思い出だけを脳に残して、生き返られることが出来るのならどんなに楽かと。
川端康成の小説「山の音」を初めて読んだのは遠い昔の高校時代だった。当然のことだが、初老に差しかかった義父・信吾と夫の不倫で悩み、むしろ義父の優しさに心惹かれ、密かな恋心を抱く菊子との心の葛藤は高校生だった自分には理解することが出来ず、「伊豆の踊り子」や「雪国」ほど印象に残る小説ではなかった。本当に久しぶりに読み返した「山の音」には義父と嫁、家族という感情のひだが見事に紡ぎ出され、そこに登場する人たちの悲しみが自分の心もを洗っていくような印象を受けた。
ヒマワリを喜んだ妻はこのごろ機会があれば実家の母に声を掛け、温泉や遠出へと誘ったり、おいしい料理屋を見つけては「連れていくよ」と楽しみを与えている。80歳を過ぎた母に歩けるうちは、少しでもいろんな体験をさせ、思い出を残させたいと思っているようだ。先日も田沢湖町の駅前においしい料理屋があるとかで「今度の土曜日、田沢湖町に行こう」と実家に電話を入れ、母と兄夫婦に「私がお昼をご馳走するから」と誘った。
この春にはその5人で芝桜で知られる山内村の大松戸川ダムにお昼持参でピクニックしたが、今度は田沢湖町の料理屋で昼食会を開きたいと企画した。なぜ田沢湖町なのか。妻のこだわりに不思議に思ったが、出張で役場に行った際に役場の人たちから「おいしい店がある」と紹介され、そこでお昼を食べた時の印象がとても良かったらしい。
残念ながら実家の嫁さんは腰を痛めたとかで寝込んでいたため、母と兄の4人での田沢湖行きとなった。「ももや」というその料理屋は駅前にあって、まだオープンして間もないこぎれいな和風の建物だった。流行のバリアフリーの座敷にテーブルが置かれ、入った時は自分たちグループだけだったが、ほどなくして男性6人連れの観光客も入って来た。男性グループは60代で同級会の旅として田沢湖を選んだようだ。
男性達は稲庭うどんや比内地鶏料理など秋田ならではの料理を注文し、ビールで乾杯した。妻はその店自慢のAランチから「母さん。何でも好きなものを注文して。兄さんも。マサオさんもいつもラーメンやソバばっかりでなく、たまには栄養を付けるように」とランチの中から選ばせた。1500円で食後はコーヒーか紅茶のセットだった。
こちらはフグの焼き魚をメーンとした料理を注文したが、天ぷら、茶わん蒸し、わらび料理のおひたし、味噌汁、それにメロンなど多くの料理がテーブルに並び、華麗に飾られた。実家の母、兄、妻の前にも同様の料理が華やかに並べられた。斜め向かいの席では男性たちが秋田の料理を「おいしいねー」と口にしながらビールを飲み、にぎやかに歓談している。余り酒を飲めない兄が「マサオさん。俺が運転代わるから、ビールを飲んだら」と勧めたが、「ダメダメ、兄さん。実家に帰ってからあたし、マサオさんの車を運転しろと言われても、あの車はハンドルが重くて出来ないから」と妻は目をとがめた。
ビールは我慢し、とにかく料理を楽しんだ。1500円と手ごろな値段だが、食い切れないほどの種類の料理だった。一つひとつに板前さんの真心がこもっていると感じさせる味であり、盛りつけだった。「今日は土曜日だから客が少ないけど、普段のお昼はいっぱいになってるんだって」と妻はその店を自慢した。目を細め「ごちそうさま」とふくよかな笑顔で箸を下ろした妻の母の幸せそうな笑顔が嬉しかった。
食後は田沢湖へと足を延ばし、ハート・ハーブ園を見学し、こちらは装飾用の灯籠とそれに入れるロウソクを買い求めた。家の中でホタルのような明かりを楽しんでみたいと思った。ハーブ園では様々な花を見つけては「アッ。これが家にある花と同じだ」と喜び、「ヤロウ」と言う名の花を見つけては「母さん。ヤロウだって。面白いね」とはしゃぐ妻の姿は母と娘ではなく、まるで友達同士の会話という感じだった。
ハーブ園で「アメリカンブルー」という名の花の苗を買い求めた妻に実家の母は少しでもお礼をしたかったのだろう。「花を植える鉢は私がプレゼントする」と鉢を買い求めて妻に渡した。母と娘のさりげない情愛が胸に響いた。
車に乗って湖畔を半周すると母が「田沢湖には何度も来たけど、こんな奥に来たのは初めて」とつぶやいた。「母さん。初めてなら良く見ていてよ。ほら雨が降っていても湖はあんなにきれいだし。良く見た方がいいよ」とまるでそれが見納めとなるような口調で妻は湖を見るよう繰り返した。ノンビリした穏やかな性格の母は「ンだな。きれいだな」と妻の言葉にうなずいた。
温泉につかり、湖畔を半周し、雨の中の帰宅だった。ヒマワリが雨に打たれながらも鮮やかな黄色で迎えてくれた。川端康成の小説「山の音」に登場するような「偉人の頭」のような立派さではないが、その陽気な姿は見るものの心を和ませる。
息子・修一の不倫に心傷めて嫁の菊子に「菊子、別居しなさい」と勧めた信吾。「別居はこわいんです。修一がこわいんですの」と恐れた菊子。「菊子は修一と別れるつもりがあるのか」と信吾は聞く。「もし別れましたら、お父さまにどんなお世話でもさせていただけると思いますの」と菊子は言う。「それは菊子の不幸だ」と答えた信吾。「いいえ。よろこんですることに、不幸はありませんわ」と応じた菊子。「菊子がわたしによくしてくれるのは、わたしを修一と錯覚してなんじゃないの?それで、かえってなお修一にへだてがあるように思うんだよ」。信吾は言う。
息子の嫁に淡い恋心を寄せながらも義父として菊子を慈しむ信吾。その優しさに惹かれながらも燃える情念を抑え、耐えるしかなかった菊子。老妻と共に菊子を誘って田舎の古里に「モミジを見に行こう」と声を掛け、「山の音」の静かな悲しみのドラマは幕を閉じた。夏の日にヒマワリを眺め、菊子と歩きながら「
頭だけを大学病院に預け、脳を洗ってもらいたい」と言った信吾のセリフが良かった。雨の中でジッとヒマワリを見つめた。