もう8月か─。カレンダーを見て、時の流れの早さに本当に驚いている。雪と格闘した冬の日々が昨日のような感じさえするほどだ。年齢を重ねるほど、この時の流れが早く感じるのかもしれない。アメリカの岩間郁夫さんからは「もう一カ月を切りましたね」と9月1日に出発するアメリカ旅行に向けた打ち合わせのメールが来る。秋田空港から羽田空港、そして成田からサンフランシスコに向けての飛行機搭乗券は妻が手配し、準備はほぼ終えた。初めての海外旅行となる妻もパスポートを入手した。
岩間さんが推薦してくれた日航サンフランシスコホテル、ラスベガスのトレジャーアイランドホテル、ロスアンジェルスのウェスティンホテルは日本の旅行代理店から予約するより、岩間さんが直接、予約する方が安くなるとのことでお願いした。「選んだホテルは何れも最上級で、設備や安全上全く不安はありませんし、非常に綺麗です」と岩間さん。旅行日程、コースなどもすべて岩間さんが調整し、こちらの旅行代理店がそのコースに合わせて飛行機を手配してくれた。
サンフランシスコでは市内とその郊外の観光。金門橋、サウサリートの町、ツインピークスなどを歩き、夜はチャイナタウンで夕食。そして翌日はケーブルカーと車を使って再び市内観光。テレグラフヒル、ケーブルカー博物館などを見学し、港地域で夕食。
そして3日目は飛行機でラスベガスへと移動し、市内観光、夕食後はレビューショーの観劇。6月に3度目の大曲市入りした際に岩間さんは「ラスベガスのショーとグランドキャニオンは見応えがあります」と勧めた。ラスベガスの夜を過ごした翌日はそのグランドキャニオンへの日帰りツアーとなり、飛行機も岩間さんが予約して下さった。何から何まで岩間さんのお世話になることになる。
旅行5日目はロスアンジェルスへと向かい、フーバーダム、ミード湖の見学、そして夕方にはリー・敦子さん宅におじゃまして夕食をご馳走になる予定となっている。その翌日は終日、ロスアンジェルスとサンタモニカを見学し、7日目の昼過ぎの飛行機で日本に向かうこととなった。
岩間さんは駆け足でアメリカ西海岸を回るより、一つの都市に2日間の日程を取り、ゆっくりと観光を楽しめるよう配慮して下さった。ホテル代、グランドキャニオンツアーの料金なども岩間さんはドルと円換算で詳細な資料をこちらに送ってくれる。今回の旅行で何よりも安心なのは岩間さんがすべてサポーターとして付き合ってくれるという点だ。予約したホテルにも岩間さんが宿泊してくれる。本当にご迷惑をかけることになる。岩間さんとはインターネットで知り合い、太平洋を隔てた掛け値なしの友情となった。
今度のアメリカ旅行で一番のネックとなっていたのは「タバコ」だった。薬局で売っている禁煙補助剤「ニコレット」というガムで禁煙に成功したという市職員の話を聞いて、先月31日夜から、そのガムをかじりながら自分も〃禁煙〃に踏み切った。ガムそのものは先月半ばに買い求めてあったが、中々、禁煙に踏み切れず「後1日、あと1日」と先延ばししてきた。しかし、いつまでも延ばすわけにはいくまいと31日夜10時にそのガムを試しにかみ始めた。寝る前の「一服」をガムで我慢しようと初めて口にした。少し辛かったが、どうしようもないほど「タバコを吸いたい」という飢渇感はわかなかった。
その翌朝も朝の一服を我慢し、ガムにした。妻との散歩中、ガムをかんだ。タバコを吸いたいという欲求は薄れた。しかし朝食後、タバコが欲しくなり強い苛立ちが募った。ガムを半分ほど切って口にした。かんでいるうちにタバコへの欲求は薄れた。何となく「このまま禁煙に踏み切れそうだ」と自信が付き、まだ10数本入っていたタバコを箱のままごみ箱へ捨て、ライターも持たずに出勤した。午前8時半。市役所市民ホールでは職員たちが5〜6人集まって朝の一服を楽しんでいた。自分も毎朝、その中に仲間入りしてタバコを吸うのを楽しみにしてきた。
ガマンだ。そう言い聞かせて半分に切ったガムを再び口にした。警察へ顔を出し、会社に向かった。パソコンの電源を入れ、原稿を書き始めた。いつもなら灰皿を机の上に置いてからの仕事始めとなるのだが、灰皿は見向きもしないでパソコンに向かった。キーボードを叩く。原稿は順調に進んだ。だが、どこかでフッとタバコを体が欲求する。「ああ。タバコを吸いたい。もう夕べから一本も吸ってない。今、タバコを手にしたらどんなにうまいだろう」。そんな悪魔のささやきが耳に響く。しかしガマンだ。
ガムを今度は1個そのまま開いて口にした。タバコへの欲求は再び薄れた。お昼。市役所に行ってラーメンの昼食とした。食後のタバコへの飢渇感はわかない。夕方までガムもかまずに済ませた。帰宅してアキに夕食を与え、パピーの散歩に付き合った。いつもなら犬の散歩にもタバコは欠かせない習慣が吸わなくても何でもなくなっていた。アキを散歩に連れ出し、終えてから花に水をやっている妻を手伝った。
「夕べからタバコを一本も吸ってないよ」と言うと「エライ!」と妻。「そのまま禁煙したらもっとエライ」と変な褒め方をした。夕食、と言ってもこちらは「宴会」のような酒だが、飲みながらも果たしてタバコを我慢できるか。自信はなかったが、とにかく飲む前にガムをかんだ。そしてビールを飲み、温めたお酒を口にした。その間も何度か「タバコがあったら酒ももっとうまいだろうな」と悪魔の誘いがあった。しかし「今日一日、ここまで我慢した。今、吸ったら何のためのガマンとなるのか」と自分に言い聞かせた。
禁煙2日目の土曜日。横浜の兄が同級会に参加するため帰郷した。夕方、その兄を誘って六郷町の「湧太郎」での夕食とした。生ビールで乾杯し、マグロを中心とした料理をとった。タバコを吸う兄。それを横目にタバコを我慢しながらビール、酒を飲んだ。タバコを吸えないというストレスのせいか、酒ばっかり進んだ。酔いが回り、帰りには足がもたついて転倒してしまうという恥ずかしいおまけまで付いてしまった。
禁煙3日目の日曜日。兄は朝9時半に同級生たちと連れ立ってバスで象潟町へと向かった。土曜日に取材した「サンロード商店街」が「花火通り商店街」へと生まれ変わったのと高齢社会を考える集いの原稿を仕上げることにした。パソコンに向かって記事を書いていると相変わらずタバコの欲求が募った。しかし、「今、負けたら昨日までの2日間のガマンがむだになる」と言い聞かせ、ガムをかんだ。原稿は昼までに仕上がり、ケンニチの紙面を更新した。日曜日。先月は市長選の候補者の事務所開き、そして衆院選に出馬することになった御法川信英氏の出馬表明の取材がありほとんど休めなかった。
久しぶりにのんびりできる日曜日のお昼。妻に「あなた夕べだって飲み過ぎだったよ」と叱られながらもビールを手にした。「タバコを止め、今度は酒も止めろでは生きていても仕方がない」。そんな憎まれ口を叩いてのお昼のビールだった。午後、妻の運転で蔦状に伸びたフウセンカズラの花を支える支柱を買い求めに街に出た。若草色の小さな袋が蔦から下がる不思議な花だ。
その花の支柱立てを手伝いながら「花もあらーしも踏み越えてだったか、愛染かつらなんて歌があったね」と自然にそのメロディーが口から出た。「あなた。タバコを止めてもう3日目ね。エライ」と妻は機嫌がいい。こちらも「本当にタバコを止めたら家の中、煙で煤けることもなくなるし、健康にもいいだろうね」と相づちを打った。タバコを吸いたくてももうタバコは家にもない。ガムでその晩も我慢した。
禁煙4日目の月曜日。やはり目覚めと同時にタバコを吸いたいという欲求が募った。ガムをかみ、朝の散歩に出かけた。朝食を済ますと再びタバコへの欲求が募った。しかし、ガムをかんでガマンだ。市役所、警察に顔を出し「今日で禁煙4日目です」と自慢する。愛煙家の副署長はニヤニヤしながら「タバコを止めるなんて意志が弱い」と屁理屈。ガムで禁煙に成功した市職員は「禁煙して4日になるのならもう大丈夫。まだまだ吸いたいと思う時があるけどきっとそのまま続けられるはず」と励ます。
禁煙7日目の夜。県道の整備をめぐっての集まりがあった。大曲市長、県議、市議、そして地元の人たち合わせて30人ほどが集まっての総会だった。30分ほどの会議終了後は宴会となった。自分の左右に座った人は二人とも愛煙家。そばでプカプカタバコを吸われ、その煙が自分を囲む。まだタバコへの未練が残っている自分には残酷なほどの試練となった。「一本ぐらい吸っても」。そんな誘惑がささやく。しかし「今、吸ってしまったらこれまでの7日間の我慢がむだになる」と誘惑を断ち切った。
こうして禁煙8日目に入った。タバコへの欲求はそれでも消えない。食事しようと市役所食堂に入るとここでは喫煙も自由なため、タバコの煙がむしょうに目に染みる。いや臭いが刺激する。吸いたいとは思わないものの、気にはなる。まだまだタバコと完全に縁を切れない自分を発見し、タバコを止めるというのはやはり大変なエネルギーを要すると実感している。
ただ驚いたのがいつも無理をして食べていたラーメンが無性においしく感じられた。ラーメンに入っている肉も普段は食べずに残していたのだが、食欲がわいてそのチャーシューも一枚残らず食べ、汁さえも吸った。ラーメンがとてもおいしいと感じた。やはりタバコを止めると食べ物の味まで変わってくるのかと実感した。まだまだタバコへの欲求は断ち切れないと思うが、アメリカへ旅立つまでには何とかタバコから縁を切りたい。そう思っている。