こちら編集室「渡米を前に」(8月22日)

 花火大会を明日23日に控えた大曲市はまるで市内全体が花火モードとなったようで仕事にもならない。市役所も職員全員が何らかの形で花火への対応に追われ、庁内はガランとした状態だ。こうしたわけで秋田県南日々新聞もニュースの更新は休むことにした。

 さて、禁煙して3週間目に入った。そろそろタバコから卒業してもいいと思うのだが、まだタバコへの未練は消えない。日に何度か、タバコの煙がチラついて無性に吸いたくなる。花火大会の取材で雄物川河川敷の堤防を歩いた。広大な自然に身を置いたらやはりタバコが欲しい。以前なら、山を眺めながらプカプカと紫色の煙を吐き出し、気持ちも良かったのにと思うと無性にタバコが欲しくなった。しかし、手元にないものは吸えない。買う気にもならない。禁煙補助剤「ニコレット」も当初の消費量1日7、8個から次第に数を減らし、2個までとした。そして3日前からはそのガムに頼るのも止めた。自分の経験から報告するのだがこのニコレット、喉を痛める副作用があるような気がする。それでもタバコを止めようとする意志を助けるのは間違いない。今日まで22日間もタバコを手にしてないからだ。

 タバコを止めようと思ったのはアメリカへ行くことが決まってからだ。飛行機の中ではどんなことがあってもタバコは吸えない。タバコを吸えないで機内でイライラするくらいなら、その前に止めてしまおうと今月1日から禁煙に踏み切った。その渡米の9月1日も目前だ。16日の土曜日はキャリングケースを買い求めに中仙町のジャスコへ行った。妻と二人分の荷物を入れることにし、大きめのケースを選んだ。岩間さんからはアメリカ旅行に関して下記のようなアドバイスがあった。

 サンフランシスコ:夏は快晴の天気ばかりなので傘は不要ですが、寒流の影響で毎日午後から冷たい海風と霧が発生して、気温は20度以下に下がりますから長袖は絶対に必要です。カーデガンや薄手のジャンパーのようなものも持って行かれると良いと思います。機内も夜は寒いので、その時にも使えます。

 ラスベガス:夏は毎日気温は40度以上になり日差しは大変強いです。湿度は比較的低いのですが、とにかく気温が高いので、やはり汗をかきます。無論、ホテルの中は快適ですが、夜でもなかなか気温は下がりません。日本の真夏スタイルが一番良いと思います。

 ロスアンジェルス:ちょっと暑めだと思います。薄手の半袖が一番快適です。やはり日差しは強いので帽子は必ず持っていた方が良いと思います。
 服装:カリフォルニア州、ネバダ州はどこでもカジュアルですから、スーツやネクタイ等は全く必要ありません。基本は軽装です。何処でも歩きますから靴は履きやすく軽いものが良いと思います。

 以上が岩間さんからのアドバイスである。スーツやネクタイは必要ないとしても財布などを持つため、着ていくのはやはりブレザーにすることにした。それに寒い時のカーディガン、長袖と半袖のシャツ、靴下などアメリカ滞在6日間のことを考えると重いけど大きめのケースが便利だと選んだ。10数年前、ヨーロッパに行く時はリースで借りたが、今では値段も1万円と驚くほど安くなっており、妻も「今回だけでなくまた海外に行く機会があるかもしれない」と購入することにした。

 秋田市の天徳寺山門ケースを買い求めてからは田沢湖町に向かってケンニチを技術的な面でサポートして下さっているわらび座のデジタル・アート・ファクトリー・海賀孝明さんに問題となっているウイルス対策をチェックしてもらった。ワクチンは前日に大曲市役所の方から入れておいてもらったので問題はないと思うが、一応、海賀さんからも確認してもらいたかった。「ウイルス対策は入ってます」とのことでホッとしながら秋田市に向かった。藩政時代の佐竹家の菩提寺「天徳寺」でこの日から2日間の日程で「寺宝展」をやっており、その見学と旅行の間、小犬のパピーを実家に預かってもらう依頼もあった。

 初めて訪れた天徳寺は大名の菩提寺としての風格と歴史の重みを背負い、堂々としたたたずまいだった。山門は寛永5年(1628年)の創建とあるから375年もの歳月を刻んだことになる。山門を通って本堂に向かうと入り口で2人の受け付けの方が「階段がきついので気を付けて」と注意しながら、靴を入れるビニール袋を手渡した。確かに急な階段だった。階段を上ると本堂脇の正面の部屋には秋田市指定文化財の「源氏物語屏風絵」が飾られ、さらにその右手奥の部屋には歴代藩主の顔が描かれた掛け軸、佐竹家の「五本扇に月」の家紋の入ったお膳などの調度品がずらりと展示されていた。

 掛け軸に描かれた初代藩主の佐竹義宣公(1570〜1633)は甲冑姿で、それこそ戦国武士の面影を残した野性的で猛々しいものだった。鎧櫃(よろいびつ)に座って右手に持った扇子は膝に立て、左手は腰に差した刀を握るような格好で描かれていた。二代目の義隆もまだ戦国武将の野性っぽさを見せながら、どこか老獪さも感じさせた。初代、二代目、そして三代目まではいずれも60歳代まで生きたが、4代目はわずか22歳で他界したとあった。6代目も22歳。そして7代目から10代目まではいずれも36歳から長命しても41歳で他界している。さらに11代目の義睦(よしちか)に至ってはわずか19歳でその生涯を終えている。

 佐竹家最後の殿さま義堯(よしたか)は60歳。明治維新を乗り越えた人らしく洋装の姿だった。戊辰戦争では官軍に付いた秋田藩だったが、なぜか戦後長く、中央政府からは冷遇された。黒い帽子の軍服を着た義堯の顔は知的だが、どこかにそうした苦悩を抱いた様相が現れていた。

 それにしても「人間50年」の時代だったとは言え佐竹家歴代藩主の短命さに驚いた。掛け軸に描かれた藩主の顔も3代目当たりからは武将と言うより、次第に貴族的な脆弱さを感じさせる風貌へと変わっていた。特に19歳で亡くなった11代目・義睦の似顔絵は弱々しい少年そのものだった。

 寺を出て歴代藩主が祀られた御霊廟内の墓地を歩いた。鬱蒼とした樹林を背景にその墓地は広がっていた。カナカナカナとヒグラシの鳴き声が聞こえた。檀家の人たちだろう。見学に入った自分たち二人を椅子に座りながら、「どうぞごゆっくり」と笑顔で迎えた。「階段が急ですから、気を付けて」と注意した人も、また歴代藩主の亡くなった年齢をメモしていたら、「系譜を差し上げましょうか」とそばに寄ってきたご婦人も檀家の人だった。「靴はこのビニール袋に入れてお持ち下さい」と言ってくれた人も檀家の人だった。

 いずれも親切な応対に感心した。佐竹のお殿さまの眠る菩提寺をお寺に持ったという誇りがそうさせているのだろうか。鬱蒼とした樹林から吹き下ろす夏の涼しい風を受けながら天徳寺境内を歩き、秋田の歴史を築いた佐竹家の息吹を少しだけ味わえたと思った。

 天徳寺を後にし、パピーの実家に向かった。パピーの実家ではパピヨンの男の子3頭と女の子6頭がいる。もちろんその中にはパピーのお父さん、お母さんもいる。インターホンを鳴らすとドアを開けた奥さまが「あらー。あなた県南日々新聞の伊藤さんよ」と嬉しそうにご主人を呼んだ。同時にパピヨン軍団9頭が「ワンワン」と玄関に駆け寄り、大歓迎となった。我が家のパピーはその迫力に押され、小さくなっていたが実家の奥さまがパピーを抱き上げて「まあまあ。パピちゃん良く来たね」と優しくもてなすのを見るとパピー軍団も「なんだ。仲間か」と気を許し、一緒に遊び始めた。
 ご主人と会うのは初めてだった。ご主人も奥さまもパピーの姿を見て「おう。いい姿に成長した。毛がとてもふさふさしてきれい。大事にしてもらってるんだ」と喜んだ。パピーは実家の軍団にとけ込んでソファに上がったり、お気に入りのガールフレンドを見つけたとばかりにその後を追ったりと片時も黙っていなかった。

 「本当にパピーはきれい」と実家のご夫妻はパピーを抱き上げ、嬉しそうに「パピー。久しぶり」と語りかけた。そして「そうそう。伊藤さん。そろそろアメリカに行くんじゃなかった」と奥さま。「そうなんです。来月1日に出発することになって。そのお願いに今日は来ました。何とかパピーを帰国する8日夜まで預かっておいてくれませんか」。

 ご主人も奥さまも「アメリカか。いいなー」とうらやみながらも「我が家は一匹増えても二匹増えても同じですからどうぞ遠慮なく」と快く引き受けてくれた。その温かい言葉が嬉しかった。やっぱりパピーの実家のお父さんであり、お母さんだと思った。柴犬のアキは妻の実家に預かり、パピーはペットホテルにお願いしようかとも思ったが、ペットホテルでも以前に「犬を預かるのはせいぜい3日が限度。3日以上になるとワンちゃんは飼い主に捨てられたと思い込み、段々、精神的にも落ち込み食欲もなくなってしまう恐れがあるんです」と言っていた。それだけにパピーの事が心配だった。そうしたこともあって昨年、今度のアメリカ行きが決まってからはパピーの実家に相談していた。

 「家なら仲間もいるし、パピーも安心して過ごせるでしょう。心配しないで下さい」とこちらの相談に応じて来れていた。そしてこの日の訪問。パピーを見て大歓迎してくれた実家のご夫妻。本当にありがたかった。ケンニチはこうした温かい人たちの支援で旅に出られる。今度のアメリカへの旅。妻の実家ではアキを預かり、パピーはその生まれた家の家族に囲まれて過ごすことになる。動物を飼うというのは旅の時に困る。でもパピーの場合もその実家の支えのおかげで懸念も解決した。ありがたかった。

 アメリカへの旅を目前にした妻はパピーの件も解決したとホッとし、日曜日からは下着や靴下など衣類を整理し、本格的な旅の準備を始めた。そしてトラベル用英会話辞書まで買い求め、勉強も始めた。だが、アキとパピーの件は片づいたがもう一つ、やっかいな問題が残った。この春からセッセと育ててきたプランターや鉢植えの花だ。枯れさせまいと毎夕、水を欠かさずやって育てた。旅に出るとその間、水をやってくれる人がいない。妻は「やはり実家の兄さんに頼もうか」とアキと二重のお願いをすることにした。この春からプランターや鉢植えで育てた草花は20種類以上にもなった。家を長期に留守することはいろんな問題をはらんで来るものだと思った。渡米を前に心せわしないこのごろだ。

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