「カリフォルニアの青い空が伊藤さんご夫妻を待ってますよ」。本紙に「アメリカ暮らし」と題して190回にわたってレポートを書いて下さっているカリフォルニア州サンノゼ市在住の岩間郁夫さん(56)=静岡県出身=からのメールでのお誘いが決定打となって、9月1日から6泊8日の日程でアメリカ西海岸の3大都市、サンフランシスコ、ラスベガス、ロスアンジェルスの旅をしてきた。霧と坂のまちサンフランシスコではゴールデンゲートブリッジを車で渡り、西部劇時代の面影を残したアンティークなケーブルカーにも乗った。名物のジグザグな坂道を車で下りる体験もした。眠らないまちラスベガスではスロットマシーンを相手にギャンブルの真似ごともした。壮大な電力を消費しながらネオンを煌々と輝かせ、世界中から集まる観光客のお金を飲み込むというラスベガスの夜の街を歩き、その華やかさに酔い、アメリカならではのショーも楽しんだ。ロスアンジェルスでは大曲市出身の敦子・リーさん宅に招かれ、おにぎりと味噌汁の心のこもった朝食をご馳走になった。有名な俳優を次々と輩出させ、世界中の若者を虜にしたハリウッド通りも歩いた。軍事超大国とも言われるアメリカ。しかし、アメリカは世界中から人々を集める素敵な〃観光の国〃でもあった。
1日朝。「いよいよ出発だね」。妻も自分も幾分、緊張気味で目覚めた。柴犬のアキは前日の夕方、妻の実家に預けておいたので、この日は小犬のパピーだけの散歩だった。妻は「私は準備もあるからあなただけ散歩してきて」という。パピーを連れて外へ出た。アメリカへ旅立つ朝も空は相変わらずの曇り空だった。
「いよいよアメリカか」。心は既に遠い旅の空へと飛んでいて、パピーを連れての散歩も気がそぞろだった。ヨーロッパへは過去2回行ったが、いずれも仕事を兼ねての旅で、今度のように妻と二人での海外旅行は初めてだ。やはり嬉しい。パピーとの散歩も早々と切り上げ、家に帰った。
妻はスーツケースに入れた荷物を前にして最後の点検作業中だった。「もう大丈夫。忘れ物はないはず」。そう言いながら「さあ。ご飯にしようか」と台所へと向かった。朝食を済ませ、歯磨きや洗面、ひげそり、そして妻は化粧と毎朝の日課をこなしているうちに時間は過ぎた。
秋田空港から羽田に向かう「全日空874便」は午前11時20分発だった。小犬のパピーを秋田市の実家に預ける関係もあって、少し早めの午前8時20分には家を出た。パピーの実家・渡邉さん宅には9時ちょうどに着いた。「ウワー。パピーちゃんよく来てくれたね」。渡邉さん宅ではご夫妻と9頭のパピヨン軍団に迎えられた。「いよいよ。アメリカですね。いいなー」。ご夫妻の言葉が嬉しかった。
30分ほどパピーの実家で休み、お茶をご馳走になってパピーと別れた。パピーはむしろ大勢の仲間と遊べるとあって実家での駆けっこに夢中だった。道路の渋滞を心配していたが、混雑もみられずスムーズに空港に入れた。「羽田に着いてもすぐにリムジンバスで成田に移動だし、午後4時50分発の飛行機だから『お昼はレストランで』なんてぜいたくな時間はないからご飯は機内で済ませるのよ」と妻は事前におにぎりを用意していた。それを羽田空港までの機内でほおばり、お昼とした。なるほど羽田空港でも成田空港でもレストランでビールを飲み、のんびりと昼食を済ませるなど余裕は全くなかった。
旅行客で混雑する成田。右も左も分からない。自分たちの乗るANA(全日空)の搭乗受け付けカウンターのある第2ターミナルを見つけ出し、同時に海外でも使える携帯電話のリースも受けなければならない。そうした手続きは事前に妻がやっておいてくれたが、重いスーツケースを運びながら成田空港を歩くのは不慣れな自分たちにとって緊張の連続だった。そのせいか出発の午後4時50分はあっと言う間に来た。
搭乗した「ANA008便」では窓際の席が自分たちに与えられた。巨大な翼が目の前に広がっているが、機内から写真を撮る位置としては最高のアングルだった。飛行機は午後5時10分に離陸した。成田も曇り空だった。その分厚い雲を飛行機はエンジン音を響かせて数分ほどで乗り越えた。雲海のはるか上空で水平飛行へと切り換えた。雲海の上はまだ夏のギラギラとした太陽が照りつけるまぶしい世界だった。
雲海を下に見てふと「ジャックと豆の木」の物語を思い出した。ジャックは大切な牛を豆の木のタネと交換してしまい、母に叱られる。しかし交換した豆の木のタネは一夜にして天まで届くほど伸び、ジャックは雲の上の冒険をする。雲の上にあるお城。雲海を眺めながらどこかにジャックの世界に登場したお城はないだろうかと想った。
間もなく機内アナウンサーが東京・サンフランシスコ間の時差は16時間あり、飛行時間は8時間40分の予定で、到着するのは現地時間「9月1日午前9時45分」と説明した。不思議なものだと思った。日本はこれから9月1日の夜に向かうと言うのに機内に乗った自分たちはアメリカの限りない9月1日の朝に向かって飛んでいるのである。
飛行が安定するとスチュワーデスも動きだし、夕食のサービスとなった。食前酒としてワインを頂いた。うまい。グラスに注がれたワインはあっと言う間に空になった。ジュースを手にした妻に「お前もワインを頼んでおいたら良かったのに」とブツブツ文句。酒飲みの嫌らしさである。妻もワインを頼んでおいたら、その分も自分が飲めると言う計算である。そんな不平不満も程なく解消した。再びスチュワーデスが「お代わりはいかが」と笑顔のサービスがあったから。2杯目もグイと飲む。
しかし、ワイン2杯ぐらいでは普段の晩酌の量にしたら比較にもならない。だが、なぜかそれ以上のアルコールの注文は口にすることができなかった。酔うにはスチュワーデスが美し過ぎた。秋田県人の〃いい振りこき〃が芽生え、「ここは紳士たれ」と配膳された夕食を素直に受け取って黙々と食事を済ませた。
日本時間でなら9月1日の深夜。座席前の小型テレビに写されるフライトマップを見ると飛行機は高度約9000メートルから1万1200メートル上空を時速864キロから1137キロの猛スピードで移動している。外気はマイナス47度から50度。窓に氷の結晶が着いた。雲の切れ間からはるか下に太平洋がインクを溶かしたような青さで霞んで見えた。水平線の向こうにギラギラした太陽が輝いている。深夜なのに飛行機は限りなくアメリカの朝に向かって移動している。しかし、窓から見るとその猛スピードもまるで実感せず、まるで止まっているようにさえ思える。「何て遅いんだ」。テレビのフライトマップを見ながら、移動する飛行機の遅さにイライラするくらいだ。
眠ろうと思った。リクライニングを倒し、目をつむった。いつもなら酒の酔いも手伝って直ぐに眠りに付ける深夜の時間帯だが、興奮しているせいか中々寝つけず、この旅のために秋田空港で買い求めた石原慎太郎の著書で文庫本「弟」を読み続けた。弟・裕次郎の思い出を綴ったものだが、弟への細やかな愛情が胸を打ち、興味が尽きない。しかし、眠らなければと目をつむるがエンジン音の響きが耳を離れず1時間ウトウトしては目覚め、またウトウトしては目覚めを繰り返した。
トイレに向かった。トイレに入りながらタバコを止めて本当に良かったとしみじみ思った。機内はもちろん禁煙である。リクライニングシートとは言え飛行機の座席はやはり狭い。その狭さにイライラし、おまけにタバコも吸えないとあってはどんなに辛い思いをしての空の旅となったか。そう思うとタバコを止めて本当に良かったと思った。
日本時間の9月2日午前1時35分。現地時間なら9月1日午前5時過ぎか。閉ざした窓を少し明けたらアメリカ大陸が見え出した。赤茶けた陸地が見える。目をつむったままの妻に「オイ。アメリカが見え出したよ」とソッと教える。あと4時間ほどでサンフランシスコへと着く。
現地時間の9月1日午前9時半過ぎ。ANA008便は着陸態勢に入った。上空から見えるアメリカ大陸の山々は頂上が塩をまぶしたように真っ白く見えた。「雪か?」と思ったが、近づいてみると雪ではなく岩肌が露出したものだった。赤茶けた大地が延々と広がり、樹木のない山々が延々と広がって見えた。やがて整然とした大都市「サンフランシスコ」が眼下に広がった。窓の下に広がるサンフランシスコ住宅街の屋根の統一された色合いに妻も感動し「きれいねー」と目を輝かせた。
飛行機は予定通り午前10時15分、サンフランシスコ空港に到着した。乗客たちが次々と立ち上がり空港に入る。しかし、入ろうとした直前、数人の警察官が入り口に立っていて全員にパスポートの提出を求めた。「サンキュー」「サンキュー」。パスポートをチェックしては「サンキュー」の言葉とソフトな眼差しが警察官から伺われホッとする。
そして税関。ここでも男性警官、婦人警官がそれぞれ腰に重そうな拳銃を下げ乗客を整理しながら指先で「こちらへ」「ハイ。ここからは向こうのカウンターへ」と盛んに指示する。日本の警察官なら腰に下げた拳銃も皮のカバーで覆われているが、アメリカではいつでも抜けるようにとむき出しだ。黒光りする腰の拳銃が不気味だ。
アメリカ中枢同時多発テロから2年目の「9・11」が近づいているせいか、税関でのチェックは厳しいと緊張していたが、意外と簡単にパスした。しかし、一つの関門をパスしても次にまた警察官(?)らに英語で語り掛けられ、何が何やら分からないままやっと通過。妻と「出口はどっちかな」とキョロキョロしながら、「あっちの方に多くの人が行くから、着いて行ってみよう」と当てずっぽうにコンクリートの通路を急ぎ、ドアを開けたらロビーとなって岩間さんがいた。
「やー。伊藤さん。ようこそアメリカへ」。「あー。岩間さん」。妻も自分もホッとした。見知らぬ国で出会えた仏だった。救いの神だった。「順調でしたか。とにかく無事に着いて良かった」。「ええ。岩間さん。着きました。アメリカへ着きました」。「いやいや。良く来て来れました」。6月に大曲市で3度目の再会を果たしたばかりだったが、やはりアメリカでの出会いは格別だった。インターネットで知り合い、インターネットで生まれた友情。「伊藤さん。カリフォルニアの青空が伊藤さんたちご夫妻を待ってます」。そんなメールで誘って下さったアメリカでの出会いがやっと実現した。
スーツケースを押しながら表へと出た。あふれるような光のシャワーを浴びた。まばゆいばかりの光がサンフランシスコ空港の外にはあった。「これがカリフォルニアか」。雲一つない青い空が広がっていた。カッとした強い陽射しを感じたが、風と空気は爽やかだった。ブレザーを着っぱなしだったが、暑さを感じさせなかった。「ええ。伊藤さん。これがカリフォルニアの空気なんです。陽射しが強くても湿度がないから空気が爽やかでしょう」。岩間さんはカリフォルニアの空と空気が大好きで、それが自慢でもあるようだ。
空港地下の駐車場へと向かった。岩間さんの愛車はトヨタだった。トランクを開けてもらいスーツケースを岩間さんと二人がかりで抱えて積んだ。妻は後部座席へ、自分は当然のように助手席に座ろうと車の左側ドアを開けたらそこにはハンドルがあった。「やっぱり。日本から来る人はみんなそれをやるんですよ」と岩間さんは笑う。「伊藤さん。こちらでは左ハンドル。そして右側通行ですからね」と説明する。「なるほど」と乗り込んではみたものの対向車が来るのを見ると戸惑う。まるで向かって来る車がすべて右側を走って来るので正面衝突しそうに見える。