ケーブルカーから下りると港町だった。「フィシャーマンズ・ワーフ」。いわゆるシーフード街である。青空の下にテーブルを置いたカフェーもあり、妻は「映画でしか観たことのなかったこういうお店でコーヒーを飲んでみたかった」と目をキョロキョロ。その妻のセリフが胸を切なくさせた。過去2度のヨーロッパの旅。ベニスやウイーンで青空の下の喫茶店で飲み物を楽しむという経験を自分は二度もしている。
岩間さんもつい「奥さん。コーヒーにしますか」。妻は「いいえ。歩きます。せっかくこのような所へ来たんだから休むなんて時間がもったいない。いろんな所を歩きたい」とにぎやかな港町をキョロキョロさせては風景をカメラに収め、目は子どものように輝いていた。黒人の大道芸人がアルトサックスを演奏しながら、小犬のショーを見せていた。アメリカだなと思った。
そのショーを観ていたら、船員帽を被り、真っ白なあご髭(ひげ)をタップリと伸ばした初老の白人男性と出会った。いかにも陽気なアメリカ人船乗りといった粋な感じで、自分も妻も見とれてしまった。知り合いの男性と何か話しをしている。ずうずうしいと思いながらも岩間さんに「あのあご髭の方と記念写真を撮れないでしょうか」と頼んだ。「お願いしてみましょう」。岩間さんは引き受け、その男性に話しかけた。
「オッケー。オッケー」。その男性は快く自分たち夫婦の間に入って、岩間さんが構えるカメラの前に立ち記念写真に収まってくれた。「ありがとう。本当にありがとう」。日本語でお礼を述べると、その男性はまるで仏さまを拝むような仕草で両手を合わせ、「フフーン」と笑顔を見せた。「どうぞ。アメリカの旅を楽しんで下さい」。男性の仕草と「フフーン」はそう言っているような感じさえした。何か心が通じたような嬉しさで胸がいっぱいだった。
カニゆで。エビゆで。焼き貝。シーフード店がビッシリと並んだ回廊は食べ物であふれていた。その回廊を観光客が往来する。店員、店主(?)がその食べ物を手に静かな声で何かを呼びかける。日本ならさしずめ「さあ。お客さん。おいしいよ、おいしいよ。さあいらっしゃい!」と大声で叫んでいるのだろうが、アメリカ人の売り込みは静かで穏やかだ。
回廊は観光客の肩と肩とがぶつかり合うほどだった。それほど活気に満ちあふれているが、店員あるいは店主の売り込みの掛け声は静かだし、シーフード街はどこかシットリと落ち着いている。日本の観光地のように自動販売機と言う代物がないせいかもしれない。あるいはうるさいほどの看板や旗がないせいかもしれない。
シーフード街を歩いてから船に乗り、海から街を眺めることにした。船のデッキもカリフォルニア州の青い空とまばゆいばかりの光りで目がチカチカするほどだった。船がユックリと動き出した。海から眺めたサンフランシスコは坂道が何本も街中心部を真っ直ぐに延び、美しく、整然としていた。
船に乗る時に借りた日本語で解説するレシーバーからはサンフランシスコの歴史やゴールデンゲート・ブリッジ建設の経緯などの説明が流れた。レシーバーはフランス語、ドイツ語、そして日本語の3カ国語が用意されていた。あるいは韓国語、中国語もあったかもしれない。
青い波を切って船は進んだ。最後尾のデッキに飾られた「星条旗」が風に激しくたな引く。アメリカ人が誇りとする星条旗。この旗だけはどこでも見られる。空港でも、ホテルのロビーでも、お店でも、そしてビルの屋上にも旗は飾られ、風を受けては翩翻(へんぽん)としている。星条旗こそ、この国の象徴であり、この国の人たちの誇りなのだ。国旗を素直に愛せる国民は幸せでもあるとも思った。
霧が出て、霧が流れた。霧の中からゴールデンゲート・ブリッジの巨大な鉄柱が顔を出した。ヴォー。ヴォー。霧笛が響く。妻も自分も何もかもが珍しく、カメラを構えては盛んにシャッターを切っていた。岩間さんが「伊藤さん。記念写真を撮りましょうか」と合間を見てはカメラを構える。霧で視界が時にはゼロになる。寒さも感じる。
ヴォー。ヴォー。霧笛の音を聞きながら橋と別れ、船はUターンした。遠くに島が見え出した。「岩間さん。あの島は何と言う島でしたっけ」。メモ帳を手に妻が聞く。「アルカトラズ島です。あの島に有名なアル・カポネも収容されたんです」。岩間さんの説明は続く。島は囚人の島であり、海流が冷たいため島からの脱出は不可能だったと言う。
当時の建物がそのまま残っていた。観光スポットとなっているようで、遊覧船から多くの観光客が島に上陸していた。乗っていたこちらの船も島に近づいた。しかし、近づくだけで、海の上から島を眺めるだけだった。変な表現だが船から見る島はどこか陰湿で、淫(いん)ぴな感じさえした。アル・カポネ。禁酒法が制定された1930年代のアメリカの暗い時代に悪名を轟かせたギャングだ。高校時代、そのギャングたちと戦うテレビドラマ「アンタチャブル」に夢中になったものだった。
船はアルカトラズ島から遠ざかり、再びフィシャーマンズ・ワーフの港へと入った。上陸し、「ピア39」というシーフードレストランへと飛び込んだ。美しいアメリカ娘が笑顔で迎えた。窓際に席を取った。アメリカに入って2日目の昼食だった。シーフードと言っても何を注文したらいいのか。ここでも岩間さん任せにした。とにかくビールである。窓から海を眺め、飲むビールは格別だった。
そのほろ酔いの勢いを借りてカウンターにいるアメリカ人娘さんにデジカメを向け「オッケー?」と写真を撮ってもいいかと尋ねた。彼女、ニッコリ笑って自分の胸に指をあて「オッケー」と素敵な笑顔を見せた。そして日本語で「日本のどちらから来ましたか」。「えー。この人。日本語を分かるんだ」。急に嬉しくなって「秋田から。ア・キ・タですよ」と声を大にした。「オー。アキタケーン。懐かしい」とさえ言った。東京に2年ほど住んだことがあり、その時、秋田県の人と知り合いになったという。もう少し話をしたかったが、会話になりそうな自信もなく席に戻って昼食の料理に没頭した。シーフード。不思議なそれでいて味わい深い海の料理だった。
昼食を食べながら岩間さんにお願いした。「岩間さん。今朝、岩間さんがホテルのロビーで読んでいたあの文庫本『陸軍中野学校』でしたっけ。このサンフランシスコ市内で手に入りませんか」と。「何とかしましょう」。岩間さんは心強い。秋田空港で買い求めた石原慎太郎の「弟」は長い飛行機の中でほぼ読み終えていた。帰りの機内で読める本が欲しかった。
ピア39での昼食を終えてから再び、港町を歩いた。木造のレストラン、お土産店がずらりと並ぶ。行き交う観光客が絶えない。キーホルダーだろうか。お店の前に飾られたキーホルダーの品定めするカーボイハットの初老の白人がカッコいい。アメリカ人らしい粋な感じがする。海の上に築かれた木製の道を歩く。アザラシが無数に休んでいる。外国の街を歩いているんだと実感する。
パトカーが止まっていて数人の警察官が不審者を取り調べていた。そのまま横を通り過ぎようとしたら岩間さんが腕を引っ張り、「伊藤さん。危ない。こっちを歩いて」と警察官が立っている反対の方向を歩くよう注意した。そして小声で「この国では簡単に発砲するから取り調べ中の警察官がいる現場は危険なんです」と注意する。そう言えば空港で見かけた婦人警察官も腰に下げた拳銃はいつでも打てるようむき出しだった。銃の国・アメリカを歩いているんだとも思った。
それにしてもいよいよ時差ぼけが始まったようだ。眠くてしょうがない。港町を眠りながら歩いた。いくら気を張っても気絶したようにどこかで眠っている。歩きながら足元がフラフラする自分に妻が「あなた。気をつけて」と腕を引っ張る。再びケーブルカーの乗り場に来た。どこかから高校時代に聴いて大好きにになったジ・アニマルズの「朝日のあたる家」の曲が流れた。懐かしさがこみ上げてきた。
どこで演奏されているのか。その曲を聴きながらも、ケーブルカーに乗るための行列に並んでいるのも我慢できずベンチを見つけて数分、ともかく座った。その数分、眠りながら「朝日のあたる家」のエレキギター演奏を聞いた。目覚めて再び行列に並んだらその演奏している人の姿が見つかった。
「朝日のあたる家」を演奏するくらいだから自分と同じ年代のように思えた。果たして路上での演奏で生活できるのか。プラスチックの台に帽子を置いて、それにお金が投げ入れられるのを待っていた。気の毒だと思ったが、なぜかその人に誇り高さを感じ、近寄れないままケーブルカーに乗った。ホームレスなのか。気になった路上の演奏家だった。その日の朝。自分たち二人の記念写真を撮ってくれた女の人が「この街もホームレスが多くなって、注意しないと絡まれるから気を付けて下さい」と警告したのが思い出された。
ホテルに戻った。岩間さんは「僕は仕事を済ましてくるので、伊藤さんたちは夕方まで休んだ方がいいでしょう」と出かけた。そして夕方、再び岩間さんが迎えに来て「伊藤さん。本が欲しいんでしたっけね。行きましょう」。案内されたのは「近鉄のれん街」という日本人街だった。
ビルの地下街に設けられた商店街で、さまざまな日本の店が並んでいた。米国に住んでいても日本らしさを味わいたい。あるいは生粋のアメリカ人に日本文化を売り込みたい。そうした狙いもあってだろうか。真っ赤な色の傘など、和風の部屋になら似合いそうな装飾品の専門店さえあった。その一角に「紀伊国屋書店」があった。アメリカにいても日本の書籍が不自由なく買える。その便利さに驚いた。
文庫本コーナーを回って「陸軍中野学校」を探した。慎重に回ってみたが、見つからない。日本人店員(?)を見つけて「陸軍中野学校という本はありませんか」と尋ねた。店員は「ベストセラーになってますからこちらへどうぞ」と案内した。入り口近くの最も目立つ場所に「秘録 陸軍中野学校」はあった。定価は税別で「857円」だったが、現地での値段は「11ドル90セント」だった。約1300円である。「こちらで暮らすと書籍代がバカにならないんですよ」と岩間さん。輸送料も絡んで日本での定価より高くなるのも仕方あるまい。
ともかく帰りの機内で読む本が手に入って助かった。買い物も終え、再び岩間さんの案内で「近鉄のれん街」を歩いた。多くの若い日系人とすれ違った。日系の3世や4世、あるいは留学生だろうか。アメリカに居るというの現実をウソと思えるほど日本人、あるいは日系人と出会う。その晩は和風料理店に入っての夕食となった。刺身定食に豆腐などを注文。車で帰ると言う岩間さんはお酒も飲まず食事をとった。こちらはビールを飲み、酒を注文。疲れているせいか酔いが早めに回り、アメリカ2日目の夜はホテルに早めに入って早めに眠りに就いた。