こちら編集室「アメリカへの旅(4)」(10月3日)

 ラスベガスで見つけたニューヨークアメリカ滞在3日の朝。今日はサンフランシスコからサンノゼ空港へと移動し、ラスベガスへと向かう日程となっている。朝食を済ませ、スーツケースをロビーに運んでくつろいでいたら岩間さんが迎えに来た。これで2泊した「日航サンフランシスコホテル」ともお別れである。日本のホテルとは違った重々しい落ち着いた雰囲気のホテルだと思った。部屋はツインだったが、ベッド一つの大きさがまるでダブルベッドのようだった。広く落ち着いた空間だった。装飾の絵も上品さを感じさせた。

 わずか2日間、過ごしただけだったがこれでこのホテルともお別れかと思うと一抹の寂しさを感じた。「いつかまた」。そう思っても日本とアメリカだ。そう簡単に来れる距離ではない。おそらくこれが最初で、最後の機会だと思いっきり空気を吸った。

 岩間さんの車でサンノゼへと向かう。車で約1時間半の距離。道路は片側3車線から4車線が続く。快適に車は流れる。トヨタ、ホンダ、日産、三菱。日本車の多さに驚く。BMW、ベンツと言ったドイツ車、スウェーデンのボルボも走る。そうした中、アメリカを代表する高級車「リンカーン」や「キャデラック」を見かけると、その車体の大きさとデラックスさにゾクゾクしてくる。だが、アメリカ人からみるとそうした大型の高級車はなぜか「ダサい」と言う事で、「今は人気がない」と岩間さん。オープンカーも颯爽と追い越していく。アメリカの道路はまるで車のデパートのようだ。

 道路沿いの向こうの小高い丘に高層ビルが見えてきた。「伊藤さん。あのビルに僕の会社があるんです」と岩間さん。とても大きなビルだった。そう言えば岩間さんは大阪に本社があるIT関連企業のサンノゼ市の責任者だった。そうした重責のある方を自分たち夫婦は今、会社を休ませた上にアメリカ観光のため独り占めしている。ぜいたくで、申し訳ないと思った。
 自動車道から下りてシリコンバレーで有名なサンノゼ市内に入った。ハイテク・ベンチャー産業のメッカとして知られるサンノゼの企業団地を岩間さんが案内する。緑の樹木がとても美しい、整然とした土地にさまざまな企業が配置され、駐車場は車でいっぱいだった。だが、人の姿は見えない。働いている時間帯のせいだろう。静かで落ち着いた清潔な企業団地だった。団地を抜けてサンノゼ空港へと向かった。

 今度はアメリカン航空での移動である。サンフランシスコと違って、空港内でも日系人らしい人を見かけることは全くなく、まさに異国に入ったと思った。ともかく岩間さんから離れないようにするしかない。トイレに行きたいという妻も心細くかったようで「あなた一緒に来て」と離さない。

 これから海外旅行する人のためにあえて記すが、この空港でちょっとしたトラブルに巻き込まれた。サンフランシスコでおみやげにとペンシルを買い求めた。しかも、そのペンシルはスペースシャトルを打ち上げた国らしくロケットの打ち上げ台のような形をしたものにペンシルを立てる仕組みになっていた。もちろん、金属製である。それをスーツケースに入れず、ショルダーバッグに入れておいた。

 搭乗手続に入り、金属探知機の検査となった。もちろんショルダーバッグやカメラなどは体から放して別個に検査を受けた。自分自身は無事通過したが、レントゲン写真でバッグが引っかかった。どうもバッグの中に鋭利な金属製のものがあると検査官はにらんだようだ。検査を2度やり直した。そして手招きされた。立ち会いの上で検査官がバッグの中身を調べたいと言っているようだ。こういう時に言葉の通じないもどかしさ、不気味さはない。妻も岩間さんも心配そうに眺めている。

 いずれにしてもバッグの中にあるのは壊れたカメラとサンフランシスコで買い求めたそのペンシルしかない。他には車のキーや小銭入れ、ノートなどである。検査官は包装された箱を手に紙を解き、その中身まで開いた。開いたら出てきたのがペンシルとそれを差し込むロケットの発射台に似た装飾品である。やや強張った顔で中身を調べていた検査官の顔もやっとほころび、「サンキュー」。そのひと言でどんなに自分もホッとしたか。こちらも「いいえ」、そしてうわずった声で「サンキュー」と応えた。飛行機に乗り込む時はこうした金属製でペンシルのように鋭利な形をしたものは手荷物として持ち込むべきでないと大いに反省した。

 サンノゼからラスベガスまでは約1時間半の飛行。アメリカン航空だけに機内の乗客はほとんどがアメリカ人。自分たち後ろの席には白人で赤ちゃん連れの若い夫婦が乗った。抱いた赤ん坊がとっても可愛い。精いっぱいの笑顔を見せて「ベリー。プリティー」と小声で言ったのが通じたのかどうか。夫妻はニッコリと笑い、両手を振って応えてくれた。

 水の都・ベニスもあった。機内ではコカコーラやコーヒーのサービスがあった。妻はコーヒーをこちらはコーラを飲んで過ごした。いよいよラスベガスである。ラスベガスはネバダ州の砂漠地帯に誕生した都市だという。上空から見ても赤茶色の不毛の大地というのが分かる。まるで西部劇映画のような舞台が眼下に広がる。

 飛行機から下りて、空港を出るとレンタカー会社のシャトルバスが迎えに来た。「これからはレンタカーで移動です」と岩間さん。バスの運転士が自分のスーツケースを軽々と持ち上げて荷物室へと置いた。岩間さんから「1ドルのチップをやって下さい」と言われる。チップのタイミングが分からず戸惑い、バスが走り出そうとする直前にあわてて運転士に駆け寄り、ドル紙幣を渡した。「サンキュー」。ガッチリした体格、取っつきにくそうな風貌からこぼれた笑顔が何とも言えなかった。

 着いた先のレンタカー会社は広大な敷地となっていて、そこには数えきれないほどの車が置かれていた。日本のレンタカー会社とはケタ違いの車の規模である。バスから下りるとムッとした暑さを感じた。太陽の光りがカリフォルニアよりも数倍も強烈だと思った。だが、湿度が低いせいか汗ばむことはなかった。

 レンタカーの手続きを済ませた岩間さんが「さあ伊藤さん。いよいよラスベガスです。どんどん楽しんでどんどんお金を落としていって下さい。そんな街がこのラスベガスなんです」と強調する。

 ラスベガスがどんな所か一通り説明しながら車は進む。そして「そうそう。お昼はラーメンにしますか」と岩間さん。「エッ。ラーメン!」。妻も自分もまさかアメリカに来てラーメンを食べれるとは想像もしてなかっただけに絶句。アメリカ滞在20年の経験をもつ岩間さんならではの提案だと思った。ラスベガスの郊外を走り、着いた平屋建ての共同店舗に「戸越RAMEN」があった。

 店内に入ると日本のマンガ雑誌などもあり、全く日本のラーメン店と変わらない。ただメニューだけは日本語とローマ字と二種類になっている。品目を見ると味噌ラーメンもあれば醤油ラーメン、チャーシューメンもある。「いらっしゃいませ」。注文を取りに来た女性も日本人。アメリカに居るはずなのに「ここだけは日本か」。そんな錯覚に陥る。とにかく興味津々。エビスビール、サッポロビールなど日本製ビールのメニューもあった。ビールを飲みたいと思ったが、妻が「あなた。今からお酒を飲むと眠くなるからダメよ。せっかくラスベガスに来たんだから眠ってしまったら何にもならないでしょう」。岩間さんも「そう。伊藤さん。今からビールを飲むとこの『眠らない街』を過ごす事は出来ませんよ」とアルコールは控えるよう勧めた。

 3人でラーメンをすすり遅い昼食を済ませた。味はもちろんグーである。何よりもアメリカのラスベガスで「ラーメンを食べた」。それだけでお土産話になるではないか!。岩間さんの配慮が嬉しかった。

 宿泊したトレジャー・アイランドホテル車はいよいよラスベガスの大通りへと向かった。さまざまな国の観光客が行き交いしている。人種の坩堝(るつぼ)と言われるアメリカ。その典型的な光景が現実に目の前で展開されている。人、ひと、人の流れ。そして華麗な建物。何かゾクゾクッ!としてくる。道路左手に巨大なピラミッドが現れた。スフインクスも見えた。「エーッ!」と驚いているうちに今度は「自由の女神」の像、それにニューヨークの摩天楼そっくりの巨大な建物も姿を現した。パリのエッフェル塔もあれば、水の都・ベニスを想い浮かばせる建物も見えた。「なにこれ!」。妻も自分もあぜんとした感じで街を眺めるしかなかった。その不思議な街、大都会のたたずまいに言葉を失った。

 「ラスベガスは世界中の有名な観光地をごっちゃ混ぜにしたような悪趣味な面もあります。とにかくこの街に来てくれた人に楽しんでもらうためには何でもやってやろう。そんなアメリカ人らしい遊び心が撤したのがこの街なんです」と岩間さん。本当にそうだと思った。おとぎの国のような景色が目の前に広がった。エッフェル塔も、水の都・ベニスの水路も、エジプトのピラミッドも、スフインクスもみな模造品である。しかし、真似て造ったとは言え、立派な建築物であり、そこがホテルなのだ。「それにしてここまでやるんなら京都の金閣寺や清水寺や奈良の大仏さまもあっていいじゃないか」。冗談も言いたかった。

 岩間さんが予約してくれたホテルは「トレジャー・アイランドホテル」だった。海賊のアトラクションを演じるので有名と言うが、その舞台は工事中のため休みだった。客室数は2885室。その部屋数の多さに驚いたが、ラスベガスのホテルでは客室数が3000とか4000とかは当たり前という。いったいどうやって宿泊客を管理するのか。想像してみても、堅い頭脳では方程式は解けそうもないので考えるのも止めた。

 巨大な「トレジャー・アイランドホテル」の玄関に岩間さんの運転する車は止まった。ホテルボーイが寄ってきてトランクから荷物が下ろされ、車は駐車場へと運ばれた。妻も自分もとにかく見上げただけでも目の回りそうなホテルの規模にただ目を白黒させ、岩間さんの後を着いていった。回転扉をくぐった。目の前に広がるフロントのカウンターの奥行きの長さにも驚いた。約3000室あるというから、一夜に5〜6000人の宿泊客を受け入れる事になる。

 黒人女性が受け付けだった。岩間さんが何やら英語で話をしながら「マサオ・イトウ」と自分の名前とスペルを告げた。女性は目の前のコンピューターに入力し、カード式の部屋のキーを手渡した。部屋ナンバーは「23019号室」。23階の19号室と言う事だった。

 このけばけばしいネオンにも驚くチェックインも済ませ、再び岩間さんの後を追った。エレベーターに向かうのだろうと思ったが、スーツケースを押しながら着いた先は薄暗いライトの下で煌々と光りを発するスロットマシーンが無数に並ぶカジノだった。「これがラスベガスの顔です。スロットマシーン、ルーレット、そして向こうではカードを使ってのバカラ、ブラックジャック。みんなやってるでしょう。このギャンブルこそ眠らない街・ラスベガスの顔であり、遊びなんです」と岩間さん。トラベル誌によると「トレジャー・アイランド」だけでもスロットマシーンは2250台とあった。

 男も女も。性を問わず。黒人、白人、中国人、日本人、インド人など人種も問わず。スロットマシーン、ルーレット、カードを使った賭博に向かっていた。ありとあらゆる人がカジノに挑戦していた。それでいて静かである。大勢の人たちが、それぞれの賭博に陣取って賭け事に興じているのだが、不思議なほど静かなのだ。

 「やってみますか」と岩間さん。スロットマシーンの前に座って、その遊び方を実演して見せた。ドル冊を入れるとコインがジャラジャラと落ちてきて、そのコインを機械に入れてのギャンブルである。妻も自分も興味半分、マシーンに挑戦した。1枚のコインが10枚とか20枚とかに増えたが、喜びは束の間。あっと言う間にコインは消えた。結局、1ドル冊10数枚を消費したが、夢中にはなれなかった。ラスベガスを喜ばせる〃上客〃にはなれそうもないと思った。

 岩間さんの案内で部屋に荷物を置き、岩間さんもご自分の部屋へと向かった。妻と二人だけになったら何か修学旅行に来たような気分で落ち着かない。「外へ出てみないか」と誘った。「ウン」と妻。ホテルから外へ出るともう夕方近かったが、ムッとした暑さを感じた。ラスベガス・ブルバードと呼ばれるメーンストリートを挟んで両側にホテルがずらりと並んでいる。

  「何かすごい所へ来てしまったんだな」と変に怖じ気づく。横断歩道を渡り、そして歩道橋を渡ったらそこが水の都「ベニス」だった。サンマルコ広場に似た広場と建物があり、水路ではゴンドラが遊泳していた。観光客を乗せたゴンドラが浮かび、横縞のTシャツに真っ赤なスカーフの似合う船頭が歌う「サンタルチア」が見事だった。

 そのホテルの名は「ベニチアン」とあった。妻に「本当にここはベニスの町、そっくりだよ」と言った。サンマルコ広場を歩き、ゴンドラを眺めながら、交互に記念写真を撮った。アメリカにいながらベニスの雰囲気を楽しめる。ラスベガスってすごいと思った。どのくらいその辺を歩いたろうか。もっとブラブラしたいとは思ったが、迷ったら大変とホテルに戻った。

 部屋に入ると岩間さんから携帯に電話が入った。「伊藤さん。散歩しませんか」とのお誘いだった。「ええ。お願いします」。妻も目を輝かせた。岩間さんとなら安心して歩けると思ったのだろう。フロント前で落ち合った。もう夕闇が迫っていて、ありとあらゆるネオンが輝き出していた。そのネオンを観て、東京・新宿。銀座。渋谷とイメージが走馬灯のようにグルグル回った。でも東京とは違う。もっとすごい。ラスベガスのホテル街が演出するネオン、広告塔、そして噴水や巨大な彫刻を照らすライトの光りは東京とはまた違う。何と言おうか。とてつもないほどの電力を消費して赤、青、黄色、緑、紫色などの光りを無数に輝かせているのである。おそらくものすごい電力がそれらのネオンを輝かすために食われているのだろうと思った。

 「岩間さん。大変な電気を食う街でしょうね」。「そう。ものすごい電気の消費量でしょう。でもこのラスベガスは明日、行くフーバーダムからとても安い電気を引いているから膨大に使えるんです」。岩間さんはサラリと言う。

 30分ほど歩いたろうか。建物が古代ローマ帝国の雰囲気となった。「シーザース・パレス」と言うホテルだった。動く歩道に乗った。トンネルのようになっていて、アーチ型のネオンがホタルのような青白い光りで輝いた。幻想的なトンネルの世界だった。トンネルを抜けると再びカジノであり、スロットマシーンが無数にあった。縫う様にそのカジノ街を通り抜けると目を見張った!。

 何と広場にはトロイの木馬があり、英雄・シーザー像が青とピンク色のライトに照らされ、噴水の中に建っている。そしてその広場はまさにローマだった。ローマの街そのものだった。興奮した。「おい。ローマだよ。本当にローマそのものだよ。ローマの街に行ったと思ってもいい。それほどローマそっくりだよ」とただもう、ぼう然とする妻に得意そうにローマ、ローマを繰り返した。

 天井には青空もあり、雲もあった。雲は本物のように流れた。そして歩いているうち、次第に夕焼けにも染まった。「岩間さん。ローマだよね。ここはもうローマだよ。本当にすごい!」。興奮が続いた。「よく出来てるもんですよね」。岩間さんは冷静である。妻に再び、「本当に夕方のローマそっくりだよ。あの時、ローマでこんな雰囲気で食事したんだ。ガス灯の薄暗い炎の下で、その雰囲気がまた良くてね。花売りの少年の美しい声がまだ印象に残っているよ。オイ。ほんとにローマだと思っていいよ。この雰囲気なんだ。得したね。エー。すごい得をしたんだよ」。なぜか止まらないほど饒舌となっていた。

 まるでローマの街であるそれにしてもその素敵なローマの街は世界中のブランド品が集まったショッピングモールでもあった。ルイ・ヴィトン。グッチ。シャネル。クリスチャン・ディオール。上品で美しい店が数々あった。

 「奥さん。見るだけでも入ってみますか」。岩間さんは勧めた。「ルイ・ヴィトン」だった。美しいライトに照らされた華麗なバッグ類がショーケースや壁に展示されていた。スマートな黒人の男性店員が「どうぞ」といった仕草で迎えた。店内を歩いた。値段を聞いたら、それだけでも驚くような品ばかりだった。「でも何て美しいんだ」。展示されている商品にも、その店の上品な飾りつけの美しさにも酔うようだった。女性店員もセンスにあふれ、美しかった。店内に展示していた写真も日本の広告写真とはちょっと違ったセンスで目を引いた。

 それほど広くない店内である。グルグルと2度回ったら、入り口の男性店員が何か言葉をかけた。あいまいな笑顔を見せ、逃げるしかないと思った。相手のチラリと見せた残念そうな顔がこちらにとっても辛かった。岩間さんが近づいた。岩間さんにもその店員は声をかけた。岩間さんは「フフンー。オー」と話を聞いていた。そして「彼、日本に憧れていて、お金がたまったら日本に行ってみたいそうですよ」と岩間さん。その話を聞いてとてもその店員に好意が沸いた。「どうぞ来て下さい」と心から願った。

 店を出て再びローマの街を歩いた。バーバリーのお店があった。「オッ。今度はバーバリーですね」と岩間さん。自然に自分の足がそちらに向かった。トレンチコートが目に入った。岩間さんに「あのコート。いくらぐらいするか聞いてもらえませんか」とお願いした。岩間さんは「聞くよりも値段表を見てみましょう」と言い、「890ドルだから、日本円にすると約10万円でしょう。日本で買い求めるより4万円ぐらいは安いかもしれません」。

 コートに触れ、しげしげと眺めていると妻が「あなた欲しいの?」と聞く。その「欲しいの?」と言ってくれた言葉が嬉しかった。そして「欲しいんだったら、買ってもいいのよ」と勧めた。男性店員がそうしたやりとりを雰囲気で感じ取ったのか、ハンガーからコートを取り出し「プリーズ」と試着を勧めた。だが、試着してみたら体の大きいアメリカ人サイズに作っているのだろう。袖も長過ぎるし、裾も長過ぎた。急いで奥の別室に向かい、もっとスモールサイズのコートを探しに行った。新しいのを持ってきたが、それもやはり大き過ぎた。そしてさも残念そうに肩をすくめるジェスチャーを見せた。

 諦めるしかない。コートの作りも20年ほど前に買い求めたものよりとても良かった。生地さえも違う様に思った。とにかく嬉しかったのは妻が「買ってもいいのよ」と同意してくれた点だった。バーバリーを諦め、再びブラント店街を歩いた。今度は「COACH(コーチ)」が目に入った。妻の足はそちらへと向かった。「コーチ。これは値段も手ごろだし、製品も良く出来てます」と岩間さん。この店で今度は妻の買い物が始まった。アメリカ人店員は一人だけで、店長も若い女性店員も日本人だった。ラスベガスのブランド商店街の客がいかに日本人が多いかを語っていた。