もう少しラスベガスを語りたい。COACHでの買い物を終えてからも自分たちの足は休むことなく歩いた。もうかなりの距離を歩いた事になるが観るものすべてが珍しいし、刺激するため足が勝手にどんどん前に進んだ。前からも後ろからも大勢の観光客が来てすれ違う。妻も自分も「こんなに歩ける力があったっけ」と思うほど歩いた。春から始めた散歩が効果を発揮したと思った。
歩きながら感心したのは岩間さんの体力だ。本当に体力があると思った。自分たちより一回りも大きな体でノシノシと歩く。まるで山男のように大地をノシノシと踏みしめ、力強く歩く。その歩き方が実にスマートだ。「岩間さんは足も強いですね」と言ったら「まあ。こちらで仕事をこなすには体力が勝負ですから、足には自信があります。いくらでも歩けますよ」と笑った。
歩いているうちにローマの街に似せた通りは、パリの街並みへと変わった。ラスベガスのホテルの中に造られた街はさまざまな顔を見せる。「さて、そろそろ食事にしましょうか」と岩間さん。お昼が遅かっただけに夕食の時間さえ忘れて歩いていた。「夕食はバイキングにしましょう」とレストラン街に飛び込んだ。もう夜の9時過ぎだった。そのレストランも観光客であふれんばかりのにぎわいだった。
テーブルからはさまざまな言葉が聞こえて来る。もちろん英語もあればドイツ語、フランス語、ギリシャ語、中国語、韓国語の会話もあるだろう。そして自分たち日本人の会話も。世界中からの観光客がラスベガスに集まっているのだ。テーブルへと案内され、やっと腰を下ろした。「ふー」とため息をつきたくなるほど疲れていたが、もっともっとラスベガスを楽しみたい。その意欲は衰えなかった。ビールを注文し、乾杯した。
バイキングと言っても何を食べたらいいのか。妻も自分も戸惑いながらグルグルとレストラン内を回って食べ物を探し歩いた。肉、魚、野菜、果物。さまざまな料理があふれんばかりの量で並べられていたが見慣れぬものが多く、外国でのバイキングは何を選び、何を食べたらいいのかと選択に苦労した。その点、岩間さんはさすがに慣れたもので、好きな料理を皿に盛り付け、フォークとナイフを手にサクサクと味わっていた。バイキング。なぜかサラダとして盛りつけてあった野菜がおいしかったとの印象しか残らない。
食事を終えて宿泊先のホテルへと向かった。その途中で目にしたホテルの噴水ショーも忘れられないシーンとなった。「ベラージオ」というホテルで、幅は300メートルもあろうか。トラベル誌によると噴水の吹き出し口は1000以上で、高さは70メートルまで吹き上がるとある。とにかく噴水が音楽に合わせて踊るのである。映画音楽、ジャズ、クラシックに合わせて噴水が優雅に舞い、踊る!。しかも、水が落下して水面をたたく音の激しさも〃爆発的!〃と言えるほどで驚くばかりだ。
通り掛かった時はちょうどその噴水ショーが終わったばかりで、ただ「バシャーン」という激しい水音を聞いただけだった。「何だろう」とビックリしたら「噴水のショーが終わったんですよ」と岩間さん。「観ますか?」と誘った。15分から30分ぐらいの間を置いてみせるのだという。疲れた自分としてはもうホテルに戻りたかったが、妻は「観たい」と足を止めた。
巨大な池を前に待つ事にした。夜のラスベガスは煌々とネオンを輝かせ、10時を過ぎても人通りは絶える事がない。むしろ夜が更ければ更けるほど街は活気づく。そんな感じだ。待っているうち音楽が奏でられ、噴水のショーが始まった。ライトアップされた真っ白な水が生き物のように波うち、右に左にと舞い、踊る。その華麗さ、リズム感のある鮮やかな動きは目を見張るばかりで言葉を失う。「岩間さん。こりゃあ大曲の花火で見るナイアガラの滝なんて比較にもならないですね」と言ってしまった。「そうですか。大曲の花火ですか」と岩間さん。観た事もない「大曲の花火」を岩間さんに言ってもとんちんかんなのだが、ラスベガスにいて「大曲の花火」を比喩した自分。やはり自分も花火のまち・大曲っ子なんだナと一人で笑った。
びっくりさせたのは噴水のショーだけでなかった。再び歩き出すと遠くのホテルの庭から突然、炎が舞い上がった。「火山の噴火です。噴火を見せているんです」と岩間さん。「どんどん楽しんでもらいたい。その分、お金も落としてもらいたい」。ラスベガスを岩間さんはそう表現した。本当にその通りだと思った。そのために世界中の有名な建物を物真似して造り、観てもらう。ラスベガスのサービス精神と情熱にはただあきれるしかなかった。
ラスベガス2日目の朝。いよいよグランドキャニオン見学である。バスが迎えに来て、飛行場へと向かった。グランドキャニオンへ向かう飛行機は19人乗りのプロペラ機だった。乗客のほとんどは団体の日本人。幸いにも自分たちに与えられた席は操縦席の真後ろで、飛行機とはどんな操縦をするものか観測することが出来た。と言ってもどのような操作で飛行機は地上を走り、飛び上がるのかはもちろん観ていても分かるはずもない。
プロペラ機で一時間半の飛行。地図で見るとラスベガスとグランドキャニオンは眼と鼻の先の距離だが、飛行機に乗っても一時間半もかかるから国土の広さを感じる。その飛行機がグランドキャニオンの上空を飛ぶ。赤茶けた大地が巨大な口を開けたように見える。上空から観てもまさに壮大なスケールだ。自然のなせる技とはいえ、その赤茶けた光景は不気味でさえあった。飛行機は着陸し、再びバスに乗る。バスに乗ったら運転士が英語でグランドキャニオンがどのようにして生まれたかなどを説明し、続いて日本人の女性ガイドが翻訳した。グランドキャニオンへの道は左右が一面の松林だった。その松林を縫ってバスはグランドキャニオンへと向かった。
バスを下り、ロッジを通って出た先がまさに別世界。赤茶けた大地がスポッと、しかも天文学的な規模で抜け落ちたような巨大な峡谷が目の前に広がったのである。もちろん大地が抜け落ちたのではなくコロラド川が数億年、数万年という気の遠くなるような時間を掛けて大地を浸食して造られた峡谷である。目の前に展開された壮大な地球のドラマだった。後はもうその眺めを観ただけでぼう然。ポカーンと口を開け、あ然とするしかなかった。これが名にし負うグランドキャニオンか。「ああ。アメリカだ。これが本当のアメリカなんだ」と感動し、心の中で何度も何度も同じ言葉を反芻した。リスがチョロチョロと寄ってきた。バスのガイド嬢が「リスには手を出さないで。毒を持ってますからかじられると大変です」と注意する。「エッ。こんな可愛いリスが」と思うほど愛くるしい姿で寄って来る。人間に相当慣れているようだった。後で聞いたらリスは毒を持っているのではなく、野生のリスには寄生虫がいて、噛まれるとその寄生虫が人間に移って人体がやられるとか。その話しにリスが寄ってきてもこちらが逃げることにした。
断崖絶壁に立った。立ったとしても絶壁の縁(ふち)からは2メートルほど離れて立ったまでだ。妻も「あなた危ないよ」と戦々恐々だ。もちろんこちらだって怖くてとても絶壁の縁近くに立つ勇気はない。下までは1000メートル以上もの深さだろうか。目が霞むような絶壁の深さだ。縁へははってにじり寄るしかない。しかも柵さえない。柵があるとすればその周辺の岩がもろく、非常に危険な場に限られていた。岩間さんは「転落防止の柵なんて、この国では考えません。誰が見ても危ないのに、落ちたというのならそういう所に立った人が悪いと自己責任を問うのがこの国の考えですから」と説明する。
ガイドの女性は「こちらから向こうまでの距離は38キロあります」と指さした。「38キロ!」。その壮大なスケールに驚くばかりだった。年間の観光客は600万人以上にも達し、アメリカの中でも最も人気のある観光地だという。対岸を眺めては歩き、その眺めに驚いてはまた歩いた。翼が欲しいと思った。鳥のように翼があったら、この壮大な峡谷を自由自在に飛んで観測できるのにと思った。赤茶けた断崖絶壁が続く。その絶壁の上に座ってジッと眺めを楽しんでいるアメリカ人の団体も見られた。荒々しい峡谷の姿を観ながらアメリカの大地に立てた喜びを味わった。ロッジで昼食をとり、再び飛行機に乗ってラスベガスへと帰った。
(本紙から=ガイドの言う幅38キロは正しいかどうかは分かりません。アリゾナ・ユタ・ワイオミング州政府観光局のホームページによるとグランドキャニオンの峡谷の長さは443キロメートル。実に東京から米原間に匹敵するこの渓谷はアリゾナ州北部にあり、東西にむかって広がっており、南壁と北壁の間は狭いところで180メートル最も広いところで29キロメートル、平均して対岸まで16キロです。渓谷の深さは平均1600メートルあり、地質学的に他に類を見ない20億年の地層を目の当たりにすることができますとあります)
眠らぬ街の二日目の夜はショーの見学だった。「ショーの最中に眠らない様に」とホテルのレストランでアルコールのない夕食を軽く済ませ、再び夜の街を30分ほど歩いた。劇場はホテルの中にあり、「レビューショー」は夜8時からの開演だった。幕を開けると美しい女性ダンサーたちがラインダンスを演じた。ニューヨークの舞台にも出演しているという一流のダンサーたちだ。その彼ら、彼女たちによるクライマックスは映画「タイタニック」を題材にした歌と踊りのショーで、その華麗さ、舞台装置の大がかりさは見事なものだった。これもラスベガスでの生涯、忘れられない貴重な思い出の財産となった。
ラスベガスの人口は45万人と岩間さん。ギャンブラーの客を含めた観光客を加えると人口はその倍以上だろうとも言う。砂漠しかないネバダ州はそのラスベガスのギャンブルで入る収益の還元で、州税も安く、定年を迎えた夫婦が最も過ごしやすい土地として移り住んでいるという。それによって人口はとてつもない数で増加している、との説明もあった。
ショーを見学した後は再びホテルへ戻った。岩間さんは部屋へと引き上げたが、こちらは妻と共にカジノに残り再び、スロットマシーンに挑戦した。しかし、夢中になれずカジノの中のバーでビールを飲みながらその雰囲気だけを楽しんだ。「アメリカに居るんだ」と胸に刻みながらラスベガスの夜を味わった。
アメリカの旅5日目の朝。享楽の街・ラスベガスともお別れである。岩間さんが描いてくれた日程では午前中はフーバーダムとミード湖の見学となっていた。再び岩間さんの運転する車に乗り、移動となった。ラスベガスの街を出ると風景は一変し、赤茶けた広大な大地が延々と広がり出した。車は片側3車線から4車線の広い道をどんどん進む。一時間ほど走ったろうか。風景は全く樹木のない赤茶けた岩山へと変わり、峡谷の中に高圧線の鉄塔が見え出す。
フーバーダムはルーズベルト大統領の「ニューディール政策」の一環として造られた巨大ダムである。ニューディール政策。これを学んだのは高校時代の歴史でだったろうか、それとも中学校でだったろうか。フーバーダムを語るためには、世界百科事典までひもとかなければならなかった。
それによると1929年10月、ニューヨークの株は大暴落し、アメリカ経済は大恐慌に陥る。これによって失業者は1200万人以上にも達し、社会不安が強まる。当時の政権を担っていたフーバーに対して、32年の大統領選に乗り出したのがルーズベルト。彼は「ニューディール(新規まきなおし)」政策の実施を約束して国民の支持を集め、当選する。そして大恐慌から回復するためには公共事業による湯水のような投資しかないとダム建設に取りかかる。その一環として造られたのがフーバーダムだ。
ただ現地で見た記録では建設開始が31年で完成が35年とあるから、ルーズベルト大統領誕生と一年ずれているからその辺の関係は不明だ。多分、ニューディール政策はルーズベルト大統領が当選する前から唱え始め、それによって一年前から始まったのかもしれないし、その前後の関係は百科事典にも説明はなかった。
とにかくラスベガスはこのダム建設のため集まった労働者たちが娯楽を求めた場として誕生した。そして眠らぬ街を煌々と照らすネオンはそのダムから発電される安い電気のおかげとか。1931年と言えば日本では昭和6年。70年以上も前に巨大なダムを造れるアメリカの土木技術。サンフランシスコの「ゴールデン・ゲート・ブリッジ」も戦前に造られた。やはりこの国は大したものである。
ダムはラスベガスのあるネバダ州とアリゾナ州の境となっていて「伊藤さん。今日はネバダ州からアリゾナ州と二つの州を歩く事になりましたね」と笑った。車はダム堤をゆっくりと走り、ダムの反対側の駐車場へと止めた。そこから徒歩で再びダム堤を歩き、ダム見学となった。
車から下りてその光りの余りの強さに目がチカチカした。真上の太陽からものすごい光線が燦々(さんさん)と降り注いでいるようだ。赤茶けた岩もギラギラと光って見える。映像でしか知らないが、スペースシャトルなどの打ち上げを見学するアメリカ人は男女を問わずサングラスをかけていたが、そのナゾがフーバーダムを歩いてみて、やっと分かった。太陽光線が強いため、サングラスで目を保護しないといけないのだ。ギラギラと太陽光線が降り注いでいる。それでいて暑さは余り感じない。湿度がないせいだろう。気温は30度を軽く超えた暑さだと思った。空は抜けるような青さだった。雲一つない青空だった。その青空を見ながら「この青空の半分でも秋田にあったら、秋田の人も自殺なんて考えないだろうに」とふと思った。自殺率ナンバーワンという秋田県。ネバダ州、アリゾナ州の青空が欲しいとさえ願った。
2本の太いマフラーを天井に向けた巨大なトラックが、ダム堤を通り過ぎていく。2台もの荷台を引いている。「あれがアメリカのダンプカーです。日本の道路を走ったら道路が壊れてしまうでしょうね」と岩間さん。タイヤの数だけでも18本はあった。まるで家一軒が動いているような感じだ。それほど巨大だ。それだけに威圧感もある。だが、どこかユーモアも感じさせる。カメラを向けて何枚か写真にした。昔、「コンボイ」という映画があった。巨大なトラックが列(コンボイ)をなしてアメリカの国土を走っていく。あれ以来、アメリカの巨大なトラックには憧れていた。それが今、自分の目の前を走っていく。感動だった。
フーバーダムの堤防を歩き、いよいよダム本体の内部の見学である。さすが自由の国・アメリカである。オープンなのだ。しかし、雰囲気がどこか違った。なぜか物々しい警備の目があった。世界貿易センターがテロで破壊された9月11日も間近であり、テロがフーバーダムの破壊を狙っているとの情報もあって、警備の目を光らせているのだと岩間さん。見学に入るにはそれぞれ身分証明となるものの提示が求められ、妻と自分はパスポートを提出した。
内部にはエレベーターを通じて入り、ダムの底で巨大な発電機が爆音を立てながら運転していた。その発電機にさえも星条旗が飾られていた。さすがアメリカである。ダムの職員がこのダムがどのようにして造られ、どんな労働者たちは山を削ってどんな作業をしたかなど映像と言葉での説明もあった。いずれにしてもアメリカ人の誇りがこのダムにあるのを実感した。