こちら編集室「アメリカの旅(6)」

 フーバーダム底で稼働している発電機アメリカ人の誇りの一つでもある「フーバーダム」の見学を終え、再び岩間さんの車はネバダ州の砂漠の中を走り出した。草木のない赤茶けた山、赤茶けた大地が続いた。右に正面にと、青空そのものを湖面に映したようなコバルトブルーの湖が見えては消える。アメリカ最大級の人造湖「ミード湖」である。フーバーダムでせき止められたコロラド川から流れる水によって出来た巨大な人造湖で、渡米前の岩間さんからのメールでは「日本の琵琶湖なんてミード湖に比べたら可愛いもんですよ」との言葉が印象に残っていた。まさにその通りだと思う。車は行けども行けどもそのミード湖から離れられない。琵琶湖の2倍の広さがあるという。青空の下にどこまでも、どこまでも、その青い湖は静かに横たわっている。

 明るく抜けるような青空が広がる。赤茶けた山、赤茶けた大地が延々と続く。まるで映画「十戒」に登場するような赤茶けた大地。いやジョン・ウェインが馬に乗って騎兵隊を引き連れ、華々しく活躍した映画「黄色いリボン」や「リオ・ブラボー」「アラモ」に登場したような山、大地が延々と続く。

 ネバダ州の砂漠のドライブの思い出を書こうとして、思い浮かぶのがこうした古い映画の題名だから、さすがに自分も古いなーと思う。ともあれ、幌馬車がアメリカ西部を目指して走った時代を思い浮かべた。西部開拓に夢を抱いた当時の人たちはどんな思いでこの荒野を旅しただろうか。

 ダムを警備している素敵なガードマン行けども行けども地平線が続く。この荒野を一人で、あるいは幌馬車を走らせながら家族で移動するのはどんなに孤独だったろう。肉体的にも精神的にも想像も着かない苦痛が伴ったのではないだろうか。その苦悩と苦痛でくじけそうになったとき、「負けてはいけない」と奮い立たせたのは青空ではなかったろうか。ふとそう思った。抜けるような明るい青空が広がっている。希望の持てる青空が広がっている。そして白い雲。きっとこの青空が「明日も何とかなるサ」と希望につながったように思える。

 西部劇映画で大好きな歌がある。「ジャニー・ギター」だ。映画では「大砂塵」という題名だった。ストーリーはもうほとんど覚えてないが、あの映画ではもっと荒れた砂漠での撮影だったような気がする。ともあれ、映画の舞台となった西部の荒れ地を今、自分は岩間さんの運転する車で走っている。映画で観たあの原風景が目の前に展開している。懐かしくて切なくて大地を直接、自分の手で触れてみたい。

 「岩間さん。車を止めてもらえませんか」とお願いした。車は砂漠の中のハイウエーで止まり、初めて砂漠の上に自分は立った。空からはギラギラした太陽が照りつけ、大地からは焼けるような熱気が足に伝わって来る。だが、湿気がないせいかそれほど苦にならない。赤茶けた大地に赤茶けた雑草が生い茂っている。地平線がはるか向こうへと広がる。うーん。アメリカだ。これがアメリカなんだと感動する。カメラを手に砂漠の赤茶けた大地を撮り、ハイウエーを走る車を撮る。そして地平線の上に浮かぶ白い雲、赤茶けた山の上に浮かぶ入道雲も撮った。

 写真を撮りながら「ああ。自分は今、西部劇の舞台に立っているんだ」と感動した。別に「真昼の決闘」のゲーリー・クーパーや「シェーン」のアラン・ラッドと出会わなくてもいい。映画「アラモ」でデビー・クロケットという野性児を演じたジョン・ウェイン、ボウイ大佐で個性的な正義感を燃やしたリチャード・ウィドマーク。保安官としての誇りに生きた「誇り高き男」のロバート・ライアンのような素敵な人との出会いはなくてもいい。赤茶けた山、赤茶けた大地。はるか向こうの地平線を眺めていると、こうした西部劇で活躍した俳優たちが走馬灯のように目に浮かんだ。そして「アメリカに居るんだ」と実感した。

 砂漠の中のドライブは続く。「伊藤さん。はるか向こうに山が見えるでしょう。あの山を超えると少しは風景が変わるかと期待して走るんですが、山を超えても見えるのはまた同じ風景。砂漠を一人で走るのは辛い面もあります」と岩間さん。「アメリカをビジネスで車で移動する場合、日帰りのコースなら300マイルでしょうか。まあキロにしたら480キロですか。アメリカでの300マイルの運転は楽なもんですよ」とも言う。

 ミード湖もしも自分で往復480キロの距離を「日帰り」で走るとしたらと想像したが、ちょっと自信がない。今年6月に十和田湖へと一泊二日の旅をした。その時の走行距離は往復でちょうど400キロだった。大曲市から十和田湖へは玉川ダムを抜ける山道あり、鹿角市に入ってからの街中走行ありと気が抜けず車の運転は慎重さを欠かせず、片道200キロ走っただけでもやっとだ。途中で休み休みした時間もあってホテルに入ったのは夕方の4時だった。日帰りで約500キロの走行。砂漠の中でさえもハイウェーが通っているアメリカならでは可能な走行距離かもしれない。

 アメリカの砂漠のドライブについて岩間さんからメールがあったので、ここで報告したい。

 「ネバダの先のハイウエーだと、次のガソリンスタンドは250km先なんて云う標識が出てきます。自分の車のガソリンの残量から大丈夫とは思っても、やはり心配になってそこで満タンにしてしまいます。もう一日ラスベガスに滞在したら訪問が可能だったデスバレー(死の谷)に出向くと道路標識に注意書きとして『この地域で車が故障したら、歩いて助けを求めることなく、車の日陰で体力が消耗しないようにしてください』とあります。『一日何回か必ずハイウエーパトロールの車が走るので、その時にあなたたちを見つけてくれます』と書いてます。夏は気温が50度ぐらいまで上がる土地ですから最もだと思います」。

 ミード湖の青い湖は続く。後部座席に座った妻も赤茶けた砂とミード湖の青い水の色とが織りなす美の対照に感動したようで「あなた。写真、撮った」と叫ぶ。「ああ。撮ったよ」。「あなた。あれも撮った」。「ああ。撮った」。「あれ」。「ああ」。この何とも言えぬ抽象的な言葉で意志が通じるから夫婦とはおかしなものだ。やがて車はヨットハーバーへと向かい、そこで昼食となった。

 休日は湖でボートを飛ばすのが楽しみという岩間さんはヨットやボートを見ているのが好きなようだ。ヨットハーバーに止まっている大型のクルージング船を眺めたり、数々のモータボートやヨットを見ながら、岩間さんは「ボートを飛ばすという豪快なレジャーがこの国の国民は好きで、いつの間にか自分もそれにはまってしまって」と食事しながら笑った。たくさんの人が車で引いてきたボートを湖へと繰り出し、入っていく。琵琶湖の2倍という広大な湖。そこで思いっきりボートを飛ばす。アメリカならではのゴージャスなレジャーだと思った。

 赤茶けた大地を走るハイウェー砂漠のドライブも終え、再びラスベガス空港に戻った。そして夕方の便で最後の目的地ロスアンジェルスへの旅立ちである。ラスベガス空港に入ってさすがだなと感心したのはその待合ロビーにさえもスロットマシーンのコーナーがあり、ゲームを楽しめるのだ。徹底してカジノの町としての個性を現す。その個性ある主張に対して「あまり賭け事にも凝らず、落としたお金も少なかったのでごめんなさい」と無言で謝り、眠らぬ街・ラスベガスに別れを告げた。

 ありがとう。眠らぬ街の華やかな歓楽街。カジノの享楽。そしてグランドキャニオン、フーバーダム、赤茶けた山、赤茶けた大地の砂漠。青い空と白い雲。コバルトブルーのミード湖。心底楽しませ、感動させてくれたネバダ州のすべてに、ラスベガスのすべてにありがとう。

 午後4時。飛行機はラスベガス空港を飛び立った。そして約1時間の飛行でロスアンジェルス空港へと着いた。岩間さんはここでもレンタカーを借りた。その手続きを待っている10数分の間にもロス空港には次々と飛行機が降り立ち、飛び立っていく。アメリカ第二の都市・ロスアンジェルスの人口はトラベル誌によると都市部だけで400万人にもなるという。ロス空港は国際空港でもあるのだろう。夕闇が迫ろうとする空から巨大な飛行機が姿を現しては空港目指して下りて行く。岩間さんのレンタカー手続きが済むのを待ちながら、ポカーンと口を開けたまま飛行機を眺めていた。

 「さあ。出かけますか」と再び車に乗った岩間さん。レンタカー会社から出ると間もなく左手に巨大なホテルが見え出す。「あれが今夜泊まるウエスティン・ロスアンジェルス・エアーポートホテルです」と岩間さん。車はそのまま通り過ぎ、ロスの市街地をしばらく走る。やがて夕闇が訪れた街の郊外を車は走る。「ウーン。見えませんね」と岩間さんは戸惑う。どうやらその夜の食事もどうしたら自分たち夫婦に喜んでもらえるかと趣向を凝らし、その店を探しているようだ。それが見つからない。

 「いや。岩間さん。もういいです。夕食はホテルで簡単にしましょう」とこれ以上、岩間さんを疲れさせるわけにも行かずホテル行きを勧めた。そしてホテルのレストランで軽く夕食を取り、自分は寝る前に部屋でワインを二杯明けた。なぜかその夜の記憶はなく、翌朝の9月6日に付けたノートのメモを見ると「午前5時半目覚める。この旅で初めてグッスリと眠った。5日夜、ホテルで飲んだワイン二杯。うまし」とだけあった。そう言えば、1日にサンフランシスコに入り、ラスベガス、そしてロスと移動し続けたホテルの中で朝までグッスリと眠ったのはこの5日目の夜だけだった。

 ラスベガスでは午前2時や3時に目覚め、そのまま眠れず着替えをしてはカジノへと下りて賭博に打ち込んでいる人たちの姿をぼんやりと眺めたものだった。

 星印の中に著名なスターたちの名前が刻まれていた。ロスアンジェルスで迎えた最初の朝。今日はリー・敦子さんがホテルに来てくれるはずだ。その前に少し腹ごしらえをしたいと思った。目覚めた妻に「ちょっと外へ行ってみるから」と告げ、ホテルの外へと出た。右手へと回った。緑地帯があり、その向こうは片側3車線の道路となっていた。だから緑地帯のこちらは歩道と思って歩いていたら、そこへも車が入ってきて、クラクションを鳴らされた。驚いて右端へ避け、一段高くなった部分を歩いた。それが歩道だった。2〜300メートル歩いて小さなショップを見つけた。パンやミルク、ジュースなども売っていた。

 初老の男性にパンとジュースを買ったと手のひらに乗せた小銭を示した。男性は「サンキュー」とお礼を述べながら手のひらの上から小銭を選びだし、勘定を済ませた。ホテルに帰って妻と二人、パンとジュースの朝食を軽くとった。そしてシャワーを浴び、ロス最初の朝をゆっくりと迎えた。

 敦子さんとは午前9時ごろホテル前で会うことにしていた。岩間さんもレンタカーを用意し、敦子さんが迎えに来るのを待った。やがてダークグレーの大型ベンツがホテルの車寄せに入ってきた。「イトーさーん」。ベンツを運転してきたのは敦子さんだった。開けた窓から敦子さんの笑顔が見えた。「アッ。敦子さんだ。敦子さんだよ」。ベンツの高級車。そしてそれを運転しているのが敦子さんと分かって興奮してしまった。

 大曲市内小友を故郷とし、これまで二度、大曲で会った敦子さんである。ロスアンジェルスで暮らしていて、今度のアメリカの旅では「ぜひ、ロスの我が家に寄って下さい」とメールを下さっていた。そして岩間さんとメールで連絡を取り合い、ロスでの出会いをセットしてくれた。

 「さあ。まず私の車さ乗ってけれ。本当に伊藤さん。えぐロサンゼルスさ来てけだんしナ」。車に乗ると敦子さんは秋田弁をわざわざ使って自分たち夫婦を歓迎してくれた。アメリカに来て、大曲市の人と会える。こんな感動はないと思った。「本当に良く来てくれました」と再び歓迎の声が敦子さんから聞かれた。その声にただ感動するしかなかった。

 自宅はロス空港の近くにあると聞いていたが、車は間もなく閑静な住宅街に入り、白い瀟洒な家へと案内された。韓国の方をご主人としているとは聞いていた。優しそうな紳士が笑顔で私たちを迎えた。その方が敦子さんのご主人だった。稲庭うどんなどのおみやげを嬉しそうに受け取り、一つひとつ包装紙を開いては「ありがとう」とお礼を何度も繰り返した。アメリカの大きな保険会社の支店長をされているとか。岩間さんとはしばらく、英語で会話を楽しんでいた。

 そして敦子さんのご主人はこちらを振り向いては、岩間さんの通訳で「伊藤さんの新聞の表紙を飾る写真はいつもきれいですね。とても楽しみにしてます。写真の下の漢字を読むだけで大体の意味は分かりますよ」と褒めてくれた。ああ。ロスアンジェルスに来ても自分の写真を褒めてくれる方がいる。嬉しくて涙が出そうだった。

 サンタモニカの海敦子さんは台所でセッセと料理作りに励んでいたが、やがて「どうぞ皆さんこちらへ」と居間から食堂へと案内した。テーブルの上にはおにぎり、味噌汁、焼き魚、サラダなどがいっぱいに並べられていた。自分たちを「日本食で接待したい」。そんな敦子さんの真心がいっぱい詰まった朝食だった。