西木村出身の詩人・小田嶋忠宏さんの「詩集(1)」(03・10・18)

「二行詩」28編

 「st.マリア像の乳房」

  「指の聖母」(マドンナ・デハ・ディト)は、日本三大マリア像のひとつで、 別称「江戸のサンタ・マリア」と呼ばれているマリア像の絵画です。
 イタリアの画家ドルチ作で、「悲しみの聖母」という作品がそれです。 作品は、袖口から指が出ていることから、「指の聖母」と呼ばれ、 一
 七〇八年、キリシタン・バテレンのシドッティが持込んだ作品といわれて いるものです。日本国内ではキリシタン迫害が、もはや風化した
 時代のころ、突如、 この「異邦人」が日本へ潜入したことで、当時の幕府を驚かせたのでした。 このシドッティ神父を江戸幕府の命令で尋
 問したのが、儒学者であり、 政治学者でもある、あの新井白石です。彼は聡明な神父との尋問を、 その著書「西洋記聞」に書き記すこと
 で、後世まで残しています。

  そのシドッティ神父は、この尋問ののち、江戸キリシタン屋敷に監禁され、 牢屋の番人夫婦に洗礼を預けたのち、自ら望んで殉教の道を
 選んだのでした。 こうして、彼以後、もはや日本に上陸してくるバテレンはなく、彼は、日本最後のキリシタン・バテレンとなったのです。そ
 れから、約二百五十年後の一九五四年、東京国立博物館で、この絵画が発見されたのでした。
 

  悲しみ護らばマドンナ・デハ・ディト
  凍りざりし時代(とき)溶かばしめやかなる乳房に〈指の聖母〉
 
  赦されてある
  赦されるもないわれにst.マリア像の乳房
 
  ひととして堕ちるとはなにか
  その美狂いなきやst.マリア像の乳房
 
  一度だけ乳房噛みて
  一度だけ乳房噛みて少年時をなきたきを
 
  いま触れてあらん乳房は
  いま触れてあらん乳房はこの秋に揺れて迷いて
 
  乳房噛まば幼き痛みの
  乳房噛まば幼き痛みの断章
 
  さびしい指よ
  さびしい指よ君その乳房に触れおかば
 
  「じゃあ、またね。」と乳房ゆららば
  「じゃあ、またね、」と君がいった夏がわれに戻らねば
 
  おのれ捨てたし君の乳房に
  おのれ捨てたし君の乳房にst.マリアの像
 
  滑れる乳房のあわき吐息
  滑れる乳房のあわき吐息を眠る
 
  乳房握らば
  乳房握らば君の微笑のあどけきを
 
  陽射しに影あらば
  陽射しに君あらば影は乳房にして
 
  風軽ければ
  風軽ければ乳房の夏軽く弾む
 
  君の汗嗅ぎて風
  君の汗嗅ぎて風乳房を吹きぬ
 
  噛まれたき高みありて
  噛まれたき高みありて君の乳房
 
  われなんとしてその乳房に祈れり
  われなんとしてその乳房に語れり堕落は
 
  なまあたたかき手触りに
  なまぬるき世界(よ)の微妙を乳房に確かめぬ
 
  歌は眠らせよ
  乳房に歌は眠らせよ眠りて新た起つも
 
  今は生きる標準欲しければ
  今を生きる標準ほしければ陽は乳房に沈む
 
  抱きしめて抱きしめて
  抱きしめて抱きしめておく乳房
 
  さびしき別れは
  さびしき別れをこの乳房に触れおきぬ
 
  乳房とは
  乳房とはこの指がはらむ濃密をいわば
 
  いかにせん今を
  いかにせん今を乳房に風立ちぬ
 
  自縛の縄とかばst.マリア像
  自縛の縄とかばst.マリア像の乳房まぶし

  昏(くら)き顔埋め
  昏(くら)き顔埋めst.マリア像の乳房
 
  乳房の造形崩らば
  君は抱きしめんゆく夏乳房に
 
  さようならと乳房ふりかえれば
  さようならと乳房ふりむけば秋が
 
  この世になき世界(よ)を〈美学〉と呼ぶ君を象りぬ
              わがst.マリア像の乳房

                     (了)