こちら編集室「アメリカの旅(7)」(10月24日)

 ホテル室内から撮ったロスアンジェルス市内朝食を含め2時間ほど敦子さんの家で過ごし、再び岩間さんの案内でロスアンジェルス観光となった。車はロス郊外の「お屋敷街」と言われる高級住宅街・ビバレーヒルズを通った。「ここは家の中の掃除も庭木の手入れも、また食事なんかもおそらく自分ではやらず、使用人任せの人たちが住んでいる所です」と岩間さん。ヤシの木のほかに鬱蒼とした木々が屋敷内を覆い、見えるのは住宅の屋根ぐらいだ。まあ自分たちとは縁のない人たちの世界なんだとしか思うほかはない。年収億単位の人はざらにいるというアメリカ。その経済力がもたらす贅沢さだろう。

 車は高級住宅街を通り過ぎ、市街地に入った。大都会の中心に入ったと思ったが、東京とは違った洒落た雰囲気がある。岩間さんはビルの中の駐車場に入り、車を置いた。この国でいつも面白いと思ったのは駐車の仕方である。日本ならスーパーの買い物にしても、車庫に入れるにしても多くは出やすいようにとバックで駐車する。アメリカは逆である。屋外でも屋内でも駐車は皆、前向きに止める。土地が広いだけに、車も余裕を持って駐車できるから前向きに止め、出る時はバックで向きを変えればいいのだろう。

 「ええ。この国ではバックで車を入れるなんて習慣はありませんね。日本のような狭い駐車場でハンドルを切り返し、出たり入ったりして車を入れるというあの発想はこの国ではないんですよ」と岩間さん。アメリカで暮らすと気持ちまで大きくなりそうだ。

 さて駐車場から外へ出るとそこは「ハリウッド通り」だった。「ここがチャイニーズ・シアターという有名な映画館です」と岩間さん。その前の広場には一流スターたちの手形や足形が地面いっぱいに数多く刻まれていた。そして広場の前の道路には星形に刻んだ大理石に有名なスターたちの名前が刻まれたスターロードもあった。トラベル誌では「ウォーク・オブ・フェイム」と記しているが、自分にとってはマリリン・モンローやあの美しいイングリッド・バーグマンが歩き、そのスターたちの名前が刻まれたスターロードである。一週間前に亡くなったというチャールズ・ブロンソンの名前が刻まれた星の上にはその死を悼んで、花束が置かれていた。

 そのハリウッド通りを歩いているうち目頭が急に熱くなり、涙がこらえきれないほどポトポトと落ちてきた。「自分は今、ハリウッドと言う世界一の観光地に立っているんだ」と岩間さんへの感謝と感動でいっぱいになったからだ。涙がとどめなくこぼれ落ち、ハンカチでぬぐった。その岩間さんはコダック・シアターの店内であれこれと小さな買い物を楽しんでいる妻の通訳として付きっ切りだった。自分は涙を流しながらハリウッドの街を歩き、写真を撮った。

 空は相変わらず抜けるような青さだった。車はハリウッド通りから今度はサンタモニカへと向かった。太平洋に面したリゾート地である。真っ白な砂浜がまばゆいばかりだ。車を降り、砂浜を歩いた。ふり注ぐ太陽の光りがまばゆい。日光浴をしている人。砂浜でバレーボールを楽しんでいる人。日影でチェスをしている人。さまざまな人たちが太陽のもたらす光りの恵みを受けていた。白い浜辺。水着姿の人たち。サンタモニカ。何て素敵な名前の浜辺であり街だろうか。

 サンタモニカの明るい浜辺浜辺から海の上に築かれた遊園地のような街へと入り、そこのレストランで昼食となった。メキシコ料理店だった。「マルガリータ」という飲み物を頂いた。テキーラをレモンライムとかき氷で薄めたものとか。良く冷えておいしい。サンタモニカの明るい太陽の光りを受け、カラカラに枯れた喉に液体はしみ込んだ。料理は長粒のメキシコ米を中心にしたものだった。大きな皿に大量に盛りつけられたせいか、余りおいしいとは感じなかったが、テキーラを薄めたお酒には良く馴染んだ味だった。

 メキシコ人の男性二人がギターを弾きながら寄ってきた。日本で言う流しであろう。岩間さんは二人に「ベサメ・ムーチョ」をリクエストした。二人は名調子で「ベーサメ、ベサメ・ムーチョ」と歌い出した。まだ明るい時間帯だったが、二人の歌声は海の上のレストランに響き、とてもロマンチックなムードとした。客がひっきりなしに出入りする。マルガリータをちびりちびりと飲みながら、メキシコの風味を味わった。

 メキシコ料理。そしてロスアンジェルス空港で飛行機が次々と下りて来るのにビックリしたことなどを話題にすると岩間さんはメキシコ料理を一通り説明し、さらには「ロス空港に下りる飛行機は上空で11キロの距離を保って管制塔の指示を待って下りて来るのです」と説明する。その博識ぶりに妻も「岩間さんって歩く世界百科事典!」と驚く。「いや。お金にならない雑学です」とサラリと交わす。

 サンタモニカの海岸の散歩と昼食も終え、もう満足気分でホテルへ。明日はいよいよ帰国である。その晩の夕食は「ロスの寿司屋に案内しましょう」と岩間さん。サンフランシスコでは中華料理、翌晩は日本料理店、ラスベガスではラーメン屋、そして今度は寿司屋さん。岩間さんは自分たちにアメリカでのさまざまな食事を楽しんでもらいたいと趣向を凝らす。

 案内された寿司屋は日本人、アメリカ人客でいっぱいだった。そして「ヘーイ。いらっしゃい!」と言った店員の生きのいい掛け声、客たちのおしゃべりによる〃喧騒〃さも日本の寿司屋と何ら変わりなかった。とても外国にいるとは思えない。寿司をほおばり、ビール、お酒を飲みながらアメリカには日本文化、日本食がしっかりと根を下ろしているんだと実感した。

 ロスアンジェルスの夜は更け、これがアメリカ最後の夜だなと思い出を刻んだ。明日は帰国である。9月1日から6日間にわたって過ごしたアメリカ西海岸。妻にとっても自分にとっても生涯、忘れられない思い出となった。

 7日朝。ホテルのレストランで妻と二人で朝食をとった。バイキングだった。英語は喋れないが、お金の勘定も注文もアメリカ滞在6日目になるとジェスチャーである程度、通じるまでになった。勘定が分からない時は小銭をそのまま出すと相手が一つひとつ選んで抜き取ってくれる。「ノーノー」と、お札が足りないと注意された時は小切手を切ればいい。アメリカ最後の朝、ホテルでバイキングを食べながらお互いの記念写真を撮った。

 荷物を片づけホテルロビーで休憩してると岩間さんも下りてきた。岩間さんの通訳を通じて会計を済ませてもらっていたら、表の方でサイレンの音がする。外に目をやるとパトカーが次々とホテル正面の道路に集まってきた。二台の車が衝突し、一台は壁に跳ね返されて煙を吹き上げている。

 メキシコ人のギターを持った流しアメリカに来てまで記者根性が沸いて来る自分がおかしかったが、とにかく事故現場の写真を撮った。パトカー、白バイ、消防車、そして救急車が次々と走って来る。けが人を救出する警察官。発煙筒を焚いて車の通行をストップさせる警察官。見ているとその役目がとてもてきぱきとしている。

 ホテルの会計を終えた岩間さんが「ロスのパトカーの走って来るのは非常に早いでしょう。この街ではパトカーが常時、市内を流しているのでいざと言う時はあっと言う間に現場に集まるのです。そして警察官一人ひとりが事故の時、事件の時、自分の役目は何かと役割が決まっているんです。いわば危機管理が徹底してるんです。だから警察官の動きに隙がないんです」と説明する。女性警察官、男性警察官。だれもがすごくかっこよく、映画のようだった。アメリカという国は最後までドラマを見せてくれる。ホテルを出てロスアンジェルス空港へと向かう。6日間のアメリカ西海岸の旅はいよいよ幕を閉じる。

 空港に入って搭乗手続をしていたら敦子さんも見送りに来てくれた。その思いやりの心が何よりも嬉しく、感動した。成田空港行きの全日空005便は午後12時55分発である。搭乗手続のロビーは日本人団体客で混み合っていた。長い列が出来ていた。順番を待つしかないと見守っていたら、全日空の制服を着て客を整理していた女性がこちらに寄ってきて「お客さんは団体ですか、それとも個人でしょうか」と聞く。「個人」と答えるのもおかしいし「夫婦です」と答えた。「それならどうぞこちらへ」と別の窓口へと案内された。そしてその場で座席の手続きが取られ、「お客さまたちのお席はビジネスクラスに用意させてもらいました」と言う。

 エコノミーからビジネスへと格上げである。ビックリしながら、待っていた岩間さんたちに報告すると二人とも「エー。それは良かった。伊藤さん。もう、それだけで20万円以上の得ですよ」と祝った。岩間さんによれば予約した飛行機が団体客でいっぱいになると団体より少しでも高いお金を払った客を優遇するためビジネスクラスへと格上げさせるのだという。混み合う空港で「オイ。得したね!」と妻と喜び合った。

 出発まではまだ2時間ほど時間があった。「免税店で買い物をしたら」とお二人に勧められるまま免税店に入り、妻はおみやげ用のチョコレートを、自分はタバコ「マール・ポロー」を買い求めた。タバコを止めながら、タバコをみやげに買う。皮肉な巡り合わせに自分でも笑った。二階の喫茶ロビーで待っていた岩間さん、敦子さんのところに戻り、本当にお世話になったお礼を述べ、今度の旅を終えることにした。

 9月1日朝、秋田を発ち、6日間にわたって過ごしたアメリカ西海岸。カリフォルニア州の青い空。ネバダ州の青い空と砂漠。サンフランシスコ、ラスベガス、ロスアンジェルスと3つの都市を回り、シーフード街を歩き、グランドキャニオン、フーバーダム、ミード湖の観光も楽しんだ。夢のような日々だった。初めての海外旅行に子どものように目を輝かせ、はしゃいだ妻。夫婦で存分に楽しめたアメリカの旅だった。岩間さん。ありがとう。そして敦子さん。ありがとう。

 ビジネスクラスの席に入って妻も自分も「エー。こんなに豪華なの」とそのシートの大きさと足元のゆとりある広さに驚いた。エコノミーだとリクライニングにしても足元は狭く、長い飛行時間は辛かったが、ビジネスクラスだとゆったりと足を伸ばせる。しかもテレビは肘掛けの中から出てくると言った仕組みで、自分だけのテレビとして映画を楽しめた。

 スチュワーデスがカタログを手渡し「国内では販売されてない品です」と機内販売を始めた。妻が「あなた。アメリカでは何も買い物をしなかたったよね。記念にネクタイを買ってあげようか」と言う。「ウン。頼むよ」。妻が選んだネクタイはフランス製で、明るい紺色を下地にしたとてもおしゃれな絵柄のものだった。今、そのネクタイを毎日、かけては楽しんでいる。アメリカの旅の思い出に浸っている。

 事故現場に駆けつけた警察官ロスアンジェルス空港を7日午後12時55分に飛び立った飛行機は11時間10分の飛行時間で8日午後4時20分に成田空港に着いた。そして羽田から再び飛行機に乗って秋田空港に着いたのは夜8時55分だった。青空のアメリカから帰ったと思ったら秋田は雨の夜だった。「また雨か」と少しガッカリしながら自分の車を探し求め、久しぶりの運転となった。

 真っ暗な雨の中を走り、「パピー、待っているだろうね。いや、それより忘れているかもしれないね」とパピーの実家である秋田市の渡邉さん宅に急いだ。1日朝から8日間も預かりっぱなしである。帰国したと同時にパピヨンを思い出した。でもオス、メスのパピヨン軍団9匹の中で揉まれたらもう楽しくてきっと「忘れているに違いない」と半分、覚悟を決めていた。でもいずれ迎えに行かなければならない。雨の夜、真っ暗な道を迷いながらもとにかく渡邉さん宅を目指した。

 その渡邉さん宅のインターホーンを鳴らして感動させたのはパピーの喜びようだった。インターホーンのボタンを押し「今晩わ。伊藤です」の言葉を聞いて始まったのが9頭のパピヨン軍団の大合唱だったが、足元でさも嬉しそうに臭いを嗅いだり、抱いてと甘える小犬はパピーである。「オッ。パピーか。パピーだね」。自分も妻も思わず声を大きくして抱き上げた。パピーは自らの体をバネのように跳ねて胸に飛び込んだ。感動だった。8日間も預けただけにもう忘れてしまったのではないかと心配していたが、そうではなかった。犬仲間と暮らしてはいながら、「いつ僕を迎えに来てくれるのか」とジッと待っていたパピー。渡邉さんご夫妻の「お帰りなさい」のあいさつ。そしてパピーの歓迎。アメリカの旅はこうして終わった。