こちら編集室「冬の星座」(11月14日)

 夜の来るのが早い。さあそろそろ帰るかと外へ出るともう真っ暗だ。余りにも夜の来るのが早いせいか午後になると心もせわしなく、落ち着かない。あちこちで家の雪囲いや庭木の雪囲い作業をしている姿を見かける。「我が家もそろそろ」と焦る。何とか明日の土曜か日曜日にはやってしまいたい。30分ほどの作業だ。

 仕事を終え、妻を職場に迎えに行って自宅に帰ると6時ごろになる。柴犬のアキはもう歩くのもほんのちょっとで、夕方の散歩はもっぱら小犬のパピーだけとなってしまった。パピーを連れて空を見上げると真っ暗なキャンバスに星たちが輝いている。パピーは狭いケージから出された喜びで、ただ夢中で前に進もうとするが、こちらはマイペースを守って横手川堤防を目指す。

 堤防に出ると遠くに影絵のような東山が見え、丸い大きな月が上ってくるのも見えた。月を眺め、星空を眺めて歩いた。月をあがめ、月を愛でた言葉を思い出した。立待月。寝待月。居待月。雪待月。寒月。雨月。薄月。昔の人は月を愛で、月を楽しんだものだと思った。月に関する本によると立って待っているうちに月が上ってくるから立待月。月が出る時間が遅いため、寝て待ったから寝待月。座って待っているうちに月が上るから居待月とか。

 雨月とは雨で見ることができない名月をいい、恋人の姿を想像するだけで、実際にはみられないことを例えたとか。薄月とは月が霞んではっきりしない月。月光がほのかにさす夜のことを薄月夜というとか。雪がそろそろやってくる今の季節は「雪待月」とでも言うのだろうか。真っ暗な横手川堤防を懐中電灯で照らしながら歩いた。

 月も美しいが、星もきれいだなと思った。星空を眺めて思い出した歌があった。小学校で習った「冬の星座」である。美しいメロディーだった。思い出すがまま小声で歌ってみた。遠い記憶の底からやっとつむぎ出せた歌詞は「木枯らし吹けふーけ 冬の星座よー」だったが、どうもおかしい。どこか間違っているような感じがする。でも懐かしい。学校で初めてこの歌と接し、歌った時は何かとても感動したような気がする。大好きな歌の一つだった。

 霧の流れる朝(大曲南中学校近くから)翌日、図書館で調べたらやはり自分が口ずさんだ歌とは歌詞がまるで違っていた。「冬の星座」の歌詞は

 1.木枯らしとだえて さゆる空より 
 
  だった。

 ヘイス作曲で堀内敬三訳詞とあった。

 なるほど木枯らしがとだえたから、空がさえ、星の光が静寂(しじま)の中できらめき揺れて見えたのだろう。きらめくような美しい言葉であり、すばらしい歌詞である。子どものころはきっとその歌詞の意味も分からないまま、ただ美しい音楽に魅了されて歌い、大好きな歌の一つとして記憶の底に残ったものだろう。星を見上げ、堤防を歩きながら、「冬の星座」を歌って思ったのは登校拒否という子どもたちの悲劇だった。

 自分ももしも小学校から登校拒否となったら「冬の星座」という歌も、もう一つ好きな「たき火」という歌も覚える事はなかったろう。大人になっても思い出せる歌がある。心温もる思い出の歌がある。これは幸せなことではないかと思った。

 そういう意味でも小学校で学ぶ知識とは大変なものだと思う。小学校で学び、身についた知識は一生の財産なのである。それは「数える事」であり「読める事」であり「歌える事」である。そして数え、読み、歌うを通じて悲しみや喜びなど感情の襞(ひだ)が心に刻まれ、成長する。小学校で学んだ知識の延長が中学であり、高校、大学である。

 しかし、教育で最も大事なのは小学校で学ぶ基礎知識ではないか。50代後半になっても小学校で学んだ歌は記憶の底にとどまって、ふとした機会に思い出す。心の中に小学校で覚えた歌が残っている。しかもその歌は人間を形成する貴重な財産なのだ。それだけに小学生の登校拒否は大変なことだと思った。

 このごろ大曲教会の横井伸夫牧師からの依頼で「不登校を考える会」のPRに努めている。不登校や引きこもりの子どもたちに何とか救いの手を差し伸べたいとボランティアで頑張る横井牧師の姿勢に心から共鳴し、少しでも協力できるものは協力したいと記事にしている。小学生の登校拒否という悲劇だけはなくしたい。そう祈った。

 日曜日の朝、玄関前に散った落ち葉を拾った。我が家のモミジも見事なほど真っ赤に燃える。その紅葉は毎年楽しみだが、葉が散った後の後始末が中々、やっかいだ。特に濡れ落ち葉はほうきで掃いても地面にこびりついて、ちり取りにも入らない。仕方なく火挟みを手に葉っぱを一枚、一枚とはさみ取る事にした。

 その作業をしていて気付いたのだが同じ落ち葉でも、一枚一枚を観察しているとみな違う顔をしている。しかもまだ濡れていたため朝の柔らかい光りを受けてさまざまな輝きを見せる。その輝きは命を失った悲しみの涙のようにも見えたり、青葉から育って、夏は強い陽射しから幹を守るという役目を果たした満足感に満ち足りた顔にも見えた。もう少し風を相手に遊びたかったと未練を残した顔もあれば、高僧のように生きることを充分に楽しんだという諦観で満ちた顔もあった。

 そうした落ち葉一枚一枚を見つめ、落ち葉の死も人間の死も「自然なことなんだね」と語りかけながら拾い集めた。落ち葉を拾いながら思い出したのが「たき火」という歌だった。

  子どものころ、裏の小さな庭で父が落ち葉を焚いていた時に嗅いだ煙の臭いが好きだった。独特の臭気がして懐かしいような甘さがあった。でも小学校で歌った「たき火」の歌にはどこか都会的なしゃれたムードがあったが、父が落ち葉を焼く姿には悲愴な覚悟を感じられた。それはそろそろやってくる雪を覚悟しなければならないという雪への恐れが背中にあったからだろう。初冬を前にして小学校で学び歌った二つの歌を思い出していた。

  先ほど横井牧師とあった。「伊藤さん。お陰さまで4人のボランティアが集まってくれました」とお礼を言われた。本紙が10月31日に報じた「力を貸して下さい」ToBe〜共に生きる会=生き方探し支援ボランティア募集(10月31日)」へのお礼だった。嬉しかった。記事は下記へ。

http://www.kennichi.com/news03/Oct/n031031a.html