こちら編集室「青春の灯」(12月5日)

 先月、干し柿用の柿を39個いただいた。皮をむいて、くし刺しにして日の当たる南側の軒下に吊るした。「2週間ぐらいすると食べれるでしょう」と柿を下さった方は言う。干し柿をつるしたのは初めてだった。吊るされた柿は次第に黒ずんで縮んだ。予定よりも長く干して、先週の日曜日に収穫した。すぐに食べれるかと思ったらなぜか冷凍しないといけないと妻はいう。一夜、冷蔵庫に入れて朝食のデザートとして干し柿がその翌朝、食卓に出た。「2個ずつ食べよう」と妻は言う。ほおばったら口の中でとろけるような味がした。懐かしいような甘味もあった。太陽の温もりを含んだ甘味だと思った。おふくろの味でもあると思った。我が家で初めて吊るした干し柿。39個吊るした干し柿は収穫の秋の喜びを初冬の朝に運んできた。

 高校生のころ家に帰ると母がおやつに用意してくれていたのは決まってリンゴだった。それもちょうど今ごろで、真っ赤な大きなリンゴが一個、かごに入っていて、ダイヤのように輝いていた。それを手にコタツに入ってパクリとかじった。口中に甘酸っぱい味が広がり、何とも言えぬ喜びが感じられた。真っ赤なリンゴはいつも近くの魚屋さんから母が買って来てくれた。それも一個だけだった。その一個を食べたくて冬は授業が終わるとバスに乗り、真っ直ぐ家に帰った。

 リンゴは実が固く締まっていた。かじるとサクッ、サクッとした歯ごたえがあった。障子一枚隔てた囲炉裏と台所のある隣の部屋で、母は丹前の縫い物をしていた。綿入れの丹前は出稼ぎ先で使っても綿崩れしないと評判で、近くの洋品店さんが丹前を縫ってもらうなら母の手が一番といつもニコニコしながら注文に来ていた。その縫い物をしながら、母はしわがれた声で「マア。リンゴはうまいか」と聞いた。「ああ。うまい」。「ンだか。えがったナ」。「せば、明日また買っておくからな」と母は言った。「ああ。うまいよ」のひと言で母は満足していた。

 父と母。そして自分の3人暮らしとなったあのころ。母にとって末っ子の自分が喜んでくれるのが何より嬉しかったのだろう。たった一個のリンゴだったが、それを学校帰りのおやつとして毎日、買い求めていた母の親心は今も忘れられない。

 写真は南外村で撮影。リンゴを食べながらコタツに入って白黒のテレビを付けると日中のその時間帯はいつも男と女のドラマが流れていた。いかにも悲しそうな歌が流れ、和服姿の美しい女性が雨の中を歩いたり、吹きさらしの岸壁に立って報われぬ愛の悲しみに目を濡らしていた。男と女の別れのドラマだった。女優は美しい人だったが、ファンにはなれなかった。いつも悲劇のどん底に生きているような悲しい顔だったせいか、こんなにメソメソされていたら相手だって困るだろうなと思ったりした。

 結局、ドラマにも夢中になれずコタツに入って本を読んだ。芥川龍之介の「蜘蛛の糸」や「羅生門」などの短編を繰り返し読んだ。お釈迦さまが極楽から地獄を見下ろし、血の池地獄で苦しんでいる罪人を蜘蛛の糸で救ってやろうとした話は何度も読み返した。血の池で苦しんでいるのは人を殺したり家に火をつけたりした大泥棒だった。しかし、その大泥棒でもたった一つ、いいことをした。それは小さな蜘蛛を一匹、踏み殺さず、救ったことだった。お釈迦さまはそのことを知って極楽から蜘蛛の糸を地獄に下ろして救おうとした。

 地獄から抜けられると大喜びで蜘蛛の糸に取りすがった罪人だったが、その後を追って他の多くの罪人も垂れ下がった。余りの多さに蜘蛛の糸がこれでは切れてしまうと心配した罪人は自分だけ助かればいいと「下りろ。下りろ」と叫んでしまう。その途端、蜘蛛の糸はプツンと切れてしまう。

 「天国と地獄」を比喩したこのストーリーを繰り返し読んではため息をついた。やはり自分だって「下りろ。下りろ」と叫んでしまうのではないか。そう思ってはため息をついた。コタツに入ってリンゴをかじり、「今度、クモを見つけたら踏み殺さず、助けてやろう」と誓った。だが、クモだけは未だに好きになれず部屋の中で見つけると今でも妻を呼んで「オイ。クモだよ。クモ。何とかしてくれ」と悲鳴を挙げている。

 冬。リンゴをかじりながらコタツの中で読んだ本はいろいろあった。住井すゑの「橋のない川」との出会いも忘れられない。「エッタ。エッタ」と差別を受けながらも雑草のような強さで生きる幼い兄弟に感動しながらも「この国にはこんな事も実際にあるのか」と初めて差別部落があるのを知り、憤りながら読んだものだった。

 高校生のころ、たった一人、好きになった女優がいた。それは小林千登勢さんだった。この人はいつもNHKテレビに出演した。今も鮮明に記憶に残っているのは樋口一葉を演じた時の姿だった。貧しさの底で生きる樋口一葉を小林は淋しげな陰を背負った姿で演じた。大きな瞳が悲しいほど美しかった。甘いくぐもった声も好きだった。

 この樋口一葉演じる小林さんとの出会いが切っ掛けで、小林さんの出るドラマとなると夢中で見たものだった。小林さんを好きになれたのは〃女優〃という雲の上の人のような美しさでなく、隣のお姉さんと思える親しみやすさがあったからだった。夢中になったためドラマの中でさえ、小林さんをいじめるようなシーンが出ると心底、その役者を恨んだものだった。

 それほど好きな女優だったのにいつの間にか忘れてしまった。その小林さんが先月26日、亡くなったと新聞で報じられた。「えっ。あの小林千登勢が・・・」と驚き、死亡記事を繰り返し読んだ。3年前から骨髄のがんといわれる多発性骨髄腫で闘病生活を送っていたという。記事には抗がん剤は髪の毛が抜ける恐れがあり、それだけは「女優だから」と拒否したとも書いてあった。最後まで美しさを保とうしたその心が悲しい。66歳の死だった。

 自分より10歳も年上だったのには意外だった。高校生のころはほぼ自分と同年代の女性だと思い、片思いの恋の熱を上げた。小林さんの訃報で青春時代の灯がポッと音を立てて消えたような感じがした。