こちら編集室「ハタハタの季節」(12月12日)

 未明に大地を掘るような激しい雨が降った。ザーザーと叩きつけるような雨だった。その雨が冷たい北風を呼び、そして風は雪雲を運び、週明けの朝、雪を降らせた。真っ白になった風景を見て、「やはり雪が来たな」と覚悟した。タイヤは交換し、雪囲いも済んでいた。妻が可愛がった鉢植えの草花も雪で傷まないよう軒下に引っ越しさせた。雪を迎える心づもりも、準備もできていた。それでも白いものが実際に降ってくると「いよいよ来たか」と身構える。雪国に生まれ、雪が織りなす風景の美しさに感動し、時には雪と格闘し、雪を愛で、雪を恨み、雪に泣いて成長した雪国に生きる者たちの宿命だろう。「いよいよ来たか」と覚悟を決め、雪の中での生活を雪を見てやっと受け止められる。

 妻の実家から、箱詰めの「ハタハタ」が宅配便で送られてきた。義母からの贈り物だった。今年は県産のハタハタ漁も良さそうだとの報道もあった。ハタハタがおいしい季節だし、娘へと言うより「マサオさんに食べてもらいたくて」と実家の母は心を込めたものだろう。もう80歳を過ぎたはずだ。そのような年になっても娘婿の至らなさを心配し、何とか喜んでもらおうと配慮する。先日は紀州の「梅干し」を送ってくれた。「このごろなぜかマサオさん。梅干しが好きになって」と妻からの話を聞いて母が送ってくれたものだった。その心尽くしが嬉しくて、その晩は「しょっつる鍋」でハタハタを思う存分、食べた。さらに翌日は味噌漬けにしたハタハタを焼いて食べた。

 雪はハタハタを呼ぶと言われたものだった。雄物川堤防で。昔。もう20年以上も前の事だ。正月に妻の実家に遊びに行くと「大事な娘婿」が来てくれたと実家の両親も兄夫婦も大喜びで迎え、夕方になると義母はいろりの炭をカンカンに焚いて部屋を暖め、その火でこうじ漬けしたハタハタをくし刺しにして焼いたものだった。それを食べながら飲んだ正月のビールのうまさはたまらなかった。あまり量を飲めなかった実家の父、そして兄だったが、遠慮なく飲んでもらおうと付き合い「マサオさん。飲んでるか。正月だ。飲め。のめ」と声を優しくして勧めた。

 こうじ漬けしたハタハタは炭火で焼くととろけるような甘さがあり、ビールにもお酒にもたまらないほど味が合った。「マサオさん。うまいか」「はい。本当にうまいです」と応えると「それは良かった。遠慮しないでどんどん食べてケレナ」と実家の母は目を細めた。人をもてなすことで喜びを味わう。そう言う人柄だ。当時はまだかやぶきの屋根で、家の構えは典型的な昔風の「曲屋」だった。天井を見上げると真っ黒に煤けた太い柱が縦横に組み合わせられ、歴史の重さを感じさせたものだった。そうした中、広い座敷に正月料理の温もり、娘婿をいたわろうとする心の温もりが静かに流れたものだった。

 あの当時のハタハタは庶民の味であり、漁港では投げ捨てられるほど豊漁が続いた。一度だけ、男鹿の北浦漁港にハタハタ漁を取材に行ったことがある。取材と言うより写真を撮るのが主だった。ハタハタを満載した漁船が次から次へと漁港に入り、海岸は箱からあふれ落ちたハタハタで足の踏み場さえなかった。

 海の男たち、女たちはカメラを向ける自分のことなどは意識する暇もなく、ただひたすらハタハタを箱に受け取り、トラックに運んでいた。あのころは箱入りでハタハタを買ったものだった。一箱数百円の値段ではなかったか。そして冬のタンパク質とした。獲れ過ぎて採算が合わず、肥料用にと投げた時さえあったと聞く。

 それほど大量に獲れたハタハタだったが、乱獲がたたって秋田沖から姿を消し、庶民の味だったハタハタはここ10数年、高級魚となっていた。しょっつる鍋でハタハタを煮ても、小さなハタハタをせいぜい4匹程度、妻と分け合い食べるだけだった。それでさえも1000円以上の出費だった。妻の実家の母のおかげで、久しぶりに満足するほどタップリとブリコの入ったハタハタを食べた。

 ハタハタにはもう一つ忘れられない思い出がある。九州の方から流れ流れて大曲通信局の記者として赴任したaさんの奥さまは岡山県出身だった。初めて迎える雪国の生活はどんなものだろうと雪国の話を聞きたいと赴任間もなく通信局に招かれ、料理をご馳走なることになった。その奥さま。料理は得意とのことで、評判に聞いた秋田の「キリタンポ」と「しょっつる鍋」に挑戦したいと張り切った。奥さまはキリタンポはしょっつるで味付けし、煮るものだと思っていたようだ。一つの鍋でハタハタをしょっつるで味付けし、キリタンポも煮た。

 「さあ。どうぞ」と奥さまはどんぶりに入れたしょっつる鍋風(?)キリタンポをテーブルに運んだ。それを見た途端、こちらはクイッションマークの「?」が頭の中にバチバチと点滅した。ご主人は早速、箸を手にキリタンポを口にしたが「ン。何だこりゃ」と顔をしかめた。こちらは吹き出したかったが、笑うに笑えず苦しんだ。奥さまは「何かおかしいの?」と不思議そうな顔をした。そしてご自身も箸を付けてキリタンポを口にしたが「アラッ。何か変!」と美しい顔をゆがめた。そして「伊藤さん。キリタンポってこんな味?」と聞いた。こちらは「キリタンポはしょうゆで味付けするものだし、しょっつるはハタハタを煮る時のものなんです」と説明した。奥さまは一瞬ポカーンとした顔をした後、大笑いし「今度、近所の方から作り方を聞いてみますね。ごめんなさい」と謝った。

 そしてビールに代わって今度はお酒が出た。熱燗だった。備前焼の徳利に入ったお酒をぐい飲みの猪口でグイッと飲んだ。薄味である。気抜けしたような薄味である。「岡山のお酒って随分、薄味なんですね」と聞いた。ご主人も一口飲んで「ウッ。おかしいぞ。この酒は」。奥さまはあわてた。そして台所に走った。キャッと悲鳴がした。顔中クシャクシャにして居間に戻り「ごめんなさい。ミリンとお酒と間違ってしまって」。秋田の料理でもてなしたいと挑戦し、しょっつる鍋とキリタンポをごちゃ混ぜにし、お酒は間違ってミリンを燗する。あの時の無邪気な笑顔はとても美しかった。

 aさんに本当の「しょっつる鍋」をご馳走したくて正月、妻の実家に招いた。実家では「マサオさんの記者仲間だ」ということで「しょっつる鍋」を作り、そしてこうじで漬けたハタハタも焼いた。aさんは「おいしいね。こんなにうまいものを食べれるなんて。秋田に来て良かったよ」と大喜びでハタハタをご馳走になった。そのaさんはもう定年で退職したころだ。しばらく前、深夜に酔っぱらって電話をくれた。「伊藤ちゃん。もう老兵は去るのみだよ。パソコンで原稿を書け。デジタルカメラで写真を送れなんて会社から言われたってよ。エー。この年でパソコンを使え、デジカメ使えと言われたってやれるはずがないだろう。もういやになっちゃたよ」とべろべろに酔った口調で嘆いた。

 aさんに「慣れるしかないんだ。aさん。おれだって今、インターネットで新聞を発行してるよ。そう言う時代なんだ。パソコンを覚えようとするのではなく、必要な機能だけ使えるように慣れたらいいんだ」と言ったが、「おれには無理だよ」と少し寂しそうな口調で電話を切った。あれ以来、音沙汰がない。どうしていることか。きっとあの明るい奥さまに励まされ充実した日々を送っていることだろう。

 あれほど降った雪だったが、その後、雨に変わり雪景色は次第に消えた。いずれまた風景は白くなることだろう。本紙の表紙写真をみたかつての記者仲間から「雪景色が懐かしく、来年2月の六郷町の竹打ちを観たくなった。その日にちとホテルの電話番号を教えてほしい」とメールがあった。退職しても大曲市を懐かしがってくれる。嬉しいものだ。