雪はまたも消えた。雪のない穏やかな正月を迎えた。元旦は東京で過ごした。「元旦だけなんだけど、新幹線が1万円で乗り放題なんだって。だから元旦には東京へ行ってみない。明治神宮へ初詣して帰るだけでもいいじゃない。歩けるうちに歩こうよ」。妻のこうした発案で元旦は東京への日帰りの旅となった。
「正月パス」と名付けられたこの企画。結構、人気があったようで希望した午前6時34分大曲発の秋田新幹線「こまち2号」の切符は手に入らず、午前8時35分発の「こまち8号」での東京行きとなった。これなら東京駅に着いて午後0時8分。小犬のパピーや柴犬のアキもいる関係で、帰りはせめて9時前には家に戻りたいと下りの新幹線は「こまち23号」東京駅発午後4時56分を選んだ。
結局、東京滞在時間は5時間もないあわただしい旅となった。それでも「東京へ行けるんだ」と何となく浮き立った。とはいえ眠い元日の朝だった。大晦日の夜は眠いのも我慢して恒例の「紅白歌合戦」を酩酊状態ながら最後まで観て、床に入ったのは午前0時過ぎだった。記憶に残ったのは中国の娘さんたちが演奏する「女子十二楽坊」だけだった。そして6時には起きて小犬のパピーを散歩に連れて行き、それから柴犬のアキを世話し、自分たちの朝食を済ませ、家を出る準備をしていたらあっと言う間に列車の時刻は近づいてきた。
帰りは大曲駅に着いて午後8時27分。いつもなら自宅で飲んでいる時間帯であり、帰りは妻に運転を任せることにし、車は妻のにした。東京へ行くのに手にしたのはアメリカで買い求めた小さなデジカメだけで、妻もハンドバックだけという身軽な姿だった。車内はほぼ満席だった。乗る前までは車窓からの眺めを楽しもうと大いに張り切っていたのだが、乗ってしまったら睡魔が次々と押し寄せ、まどろんでは眠り、まどろんでは眠りながらの旅となってしまった。盛岡駅に着いても眠り、仙台駅に着いても眠った。結局、車窓からの眺めを楽しむことはほとんどなく、眠ったままの旅となってしまった。
車内で妻と会話したのは「東京駅に着いて昼だし、ご飯はどこにする」だけだった。妻は「そうね。明治神宮へ行くのだから、東京駅に着いたら原宿まで出て、そこでレストランを探そう。でも元旦だし、お店、やってるかな・・・」。「東京だよ。元旦だって開いているよ」。こちらは食べる場所は心配しなかった。ただせめて生ビールぐらいは飲みたい。お酒の飲める店を探さなければともくろんだ。
新幹線は予定した時間通りに東京駅へと着いた。列車から下りるとさすが東京である。人、ひと、人の群れが切れることがない。その人波に押され、圧倒された。田舎者の自分は駅の通路を右へ行ったらいいのか左へ行くべきかも分からない。これからは妻に行き先を任せるしか方法がない。その妻は「私から離れちゃだめよ」と自分の腕に手をかけ、もう子ども扱いである。
妻に腕を引かれ、山手線の乗り場を探し、電車に乗る。電車は正月とあって比較的空いていたが、妻は空席を見つけると「あなた。ここ。ここに座ろう」と座席を確保する。そのこまねずみのようなすばしっこさを観ていると小さな妻だがとても大きく観える。東京でいつも感心するのは交通手段で「待つ」という時間のむだがほとんどないことである。ホームに立つとほぼ同時に電車が入り、目的地に運んでくれる。その便利さはうらやましいし、すごいなーと思う。
秋田で暮らしていると列車は1時間に1本あるかなしかだし、バスならもっと不便だ。どうしても車がないと生活できない。そんなことを思いながら流れる車窓から東京のビル街を見つめた。正月休みに入っているだけに電車から見える道路は車もなく空白だった。 屋外広告に使っている写真でも、またその宣伝文の言葉の上手さなど車窓から見えるものすべてが目を楽しませ、神経を刺激し、あっと言う間に原宿に着いた。駅前は大変な混雑だった。歩行者天国となっていた。腕を組んだまま妻は「この道を行くと渋谷に出て、NHKホールに行けるんだ」と言いながら歩行者天国を歩いた。「とにかくご飯を食べてからの参拝にしよう」とレストランを探した。歩いて間もなく瀟洒なビルの中に入ったレストランが見つかった。念願だった生ビールもあり、メニューを見てその店に入ることにした。
昼食を済ませると原宿駅前は相変わらず人でごった返ししていた。警備の警察官の数もものすごかった。明治神宮への参道へと入った。砂利道のため、歩く人たちが巻き上げる土埃(ほこり)が白い靄(もや)となって立ち上がった。鳥居をくぐった。人、ひと、人の流れがどこまでも続いた。途中に立て看板があり、目をやると「参拝までの時間はここから50分」と書いてあった。それから間もなく人の流れはストップし、数歩進んでは2〜3分待ち。数歩前に足を運んでは2〜3分待ちが繰り返された。やっと3番目の鳥居まで進んで、そこから先に拝殿が見えるのだが、人の群れは中々、前に進まない。
まるで「大曲の花火」だと思った。桟敷席に向かう人が群れて中々、前に進まない。あの状態だ。こうなると背の低い妻は気の毒だ。目にするのは人の背中だけ。「神さまって遠いねー」と妻は横で首を伸ばしては嘆いた。「拝殿までもうすぐなんだけど、この混雑だからね」と慰めるしかなかった。そして群衆の中だったが妻を後ろから抱き上げて、目線をずーと高くしてやった。「ほら。見えたか。拝殿があすこにあるよ」。「ウーン。見えた。見えた。神さまが見えた」と妻は自分の腕の中ではしゃいだ。
50分待ちの参拝は結局、1時間ほど待たされた。やっと拝殿にたどり着き、お賽銭を二人で放り投げ、参拝した。自分は「何とか今年は心穏やかに暮らせるように力を貸して下さい」と祈った。明治神宮が秋田から駆けつけた自分たちに力を貸して下さるのならそれだけでいいと真剣に祈った。妻は「あなた。何を祈ったの」と聞いた。「買った宝くじが一等に当たること。二人とも健康で過ごせること。そしてビールと酒が毎日、おいしく飲めることだよ」。「そんなに祈ったら神さまだって何を聞いてやったらいいか分からないじゃない」と笑った。
帰りはお守りを2種類4個買った。一つは携帯電話のストラップになったお守りで「心身健全」を祈ったものだった。参拝を終えたら東京で残された滞在時間は1時間半しかなかった。「新宿に出よう」と妻。新宿で東京都庁を眺めた。そして京王プラザホテルに入って、コーヒーを注文した。ここで妻とコーヒーを飲むのは何年ぶりか。もう10年以上も昔のことではないかと思った。
コーヒーを飲み終わったら、ホテルのブティックで福袋が売りに出されているのが目に入った。1万円で7万円相当のものと3万円で20万円相当のものが袋には入っているという。ハンドバックや時計、ブローチ、ネックレスなどだ。興味を引かれた妻は「1万円にしようか3万円にしようか」と迷っていた。自分はすかさず「3万円で20万相当の品が買えるならそれにしたら」と勧めた。美しい店員も「そう。お得ですよ」と袋の一部を開いて中に入っている高級なバックを披露した。
買ってあげようという気ではなかったが、「お金だったら俺が出すよ」とポケットから財布を取り出し店員に3万円を渡した。妻は嬉しそうに東京・青山のブティックの名前の入った真っ赤な福袋を手に「買っちゃった」と笑顔を見せながらまた腕を組んだ。そのまま東京駅へと向かって帰路に着いた。
帰宅して遅い夕食をとり、福袋の中の品を点検した。バックは男性の目から見ても高級品でおしゃれな感じだった。そしてファッション性豊かな時計、さらにブローチやネックレスなどはいずれもイタリー製やフランス製のものだった。一つひとつ手にしながら「すごい。すごい」と妻は正月の買い物を喜んだ。そして「あなたのお小遣いから3万円を出してもらっては気の毒だから」と自分が出したお金はその晩のうちに戻った。5時間に満たない東京滞在だったが、思い出に残った元旦であり楽しい初詣だった。