昨日のように荒れる前の朝である。午前5時に目覚めて外へ出たら満月が限りなく北に近い西の空にあった。星もキラキラと輝いていた。見上げると杓(ひしゃく)の形をした「北斗七星」が真上に輝いていた。杓をそのまま横にしたような姿をしていた。「大きな杓が星たちをすくい上げようとしてるんだ」と想像したら楽しくなった。冬の星空は美しいと思った。澄みきった夜空に月と星たちが輝く。満月と星を見ながらまだ夜明けには遠い冬の朝の散歩をした。
04年も始まった。今年はどんな年になるのか。元旦の初詣で訪れた明治神宮では「どうか心穏やかに過ごせる一年であってほしい」と祈った。大勢の人たちが押し寄せての祈願だけに果たして自分の祈りが通じたか少し心配だが、とにかく心穏やかに過ごしたい。それだけを祈った。
届いた年賀状を見たら、かつての大曲通信局や支局の記者として滞在した記者仲間12人からの賀状があった。12人のうち現役で頑張っている人はわずか3人で、9人はいずれも定年退職か、来月の誕生日と同時に退職するといったお便りだった。そのうち3人は嘱託社員としてまだ記者をやっている。来月で退職するというYさんは「昨年は還暦を前にしてさんざんな年だった。まあここまで生きてきたのだから何があっても不思議ではないが」と書いてあった。いずれも「大曲時代が懐かしい。伊藤君が懐かしい」とあった。あれからもう20年から30年以上にもなるのに自分を懐かしく思ってくれる人がいる。嬉しいと思った。
賀状に書かれたわずかな文字を目で追ってお世話になった12人の顔を思い浮かべた。10人の方はいずれも自分より年配で、大曲滞在はわずか3年とか4年だったが、まだ駆け出しだった自分は取材の仕方から原稿の書き方までいろいろとその人たちから教えを請うた。そうした交際もあってか10人のうち6人はこれまで数度、大曲に立ち寄り、そのつど自分に声をかけ「元気そうだね」と旧交を暖めた。昨年11月にも河北新報の元記者が自分を訪ね、一緒に飲んだ。「なぜか伊藤ちゃんは懐かしくなるんだね」とその人は盃を空けては繰り返した。訪ねてくるみんなが「伊藤ちゃんは遠く離れても気になるというか、心配になるんだ」と言った。みんなに心配をかけた存在だったようだ。
市役所記者室でのマージャン、時には花札を使っての賭け事の訓練も受けた。日刊紙の記者たちの言い分は「伊藤ちゃん。俺たちがここでマージャンをしているのは遊びじゃないんだぜ。抜け駆けされないためさ」とトク落ち(特ダネを落とす)を警戒しての遊びだと強調した。メンバーが足りないと「伊藤ちゃん。入ってよ」と誘った。日中からマージャンなんてと最初のうちは驚いたが、その当時の記者仲間にとってはマージャンも花札遊びも仕事の延長だった。実際、マージャンを通して教えられたことも多かった。
ゲームを通して交わす言葉に記者としての秘められた文才があり、センスがあった。それが耳を通じて自分の原稿に活かす言葉の訓練にもなった。どんな取材にしても取材相手に関するマメ知識が必要であり、その知識がないと質問すら出来ない。だから取材する時は事前の調査とか勉強が必要なんだと教えられた。そしてただ話を聴くだけでなく取材相手とその生活環境も良く観察することだとも教えられた。
田沢湖町の駒ヶ岳が噴火した時はチングルマ、コマクサなど山に生息している高山植物の種類と名前を必至で調べた。噴火でそうした高山植物が被害を受けたためだ。20年ほど前だったろうか。NHKの記者夫婦の間に5つ子が生まれた。それから間もなく大曲市の総合病院でも3つ子が生まれた。おめでたいニュースであり、病院から記者会見の話があった。お医者さんを相手に何を聴いたらいいのか戸惑ったら、先輩記者も「まず図書館に行こう。あの5つ子の記事を探し、少しでも知識を埋め込むんだ」と一緒に走った。必至になって5つ子が生まれた時の新聞を探し、コピーして読みあさったものだった。
来月で退職するというYさんはまだ車のなかった自分のために本当に良く声をかけて遠くへの取材に連れて行ってくれた。もう34年も前のことである。「駒ヶ岳が噴火しそうだってサ。伊藤君、一緒に行くか」と車で迎えに来てくれた。まだ一度も登ったことのない山へその人は連れて行ってくれた。8号目の駐車場まで駆けつけたら秋田魁新報社角館支局の名物記者と言われたOさんがいた。いわゆる現役は退いたものの、そのまま嘱託として残ったおじいさん記者だったが、自分たち二人の姿を見つけると「お前ら。昼飯は持ってきたのか」と声をかけた。
「いいえ」と答えたら「こう言う山に登ると言うのに昼飯も持たずに来るのは無謀というものだ」と叱り、「ホラッ。これを食べてから行け」とお握りを一個ずつ手渡してくれた。8号目に入ったのがちょうど昼時だっただけに本当に助かった。すでに魁では記者とカメラマンが蒸気を吹き出した女岳山頂へと向かっていた。
お握りをご馳走なったことを二人で心からお礼を述べ、こちらも山頂を目指した。途中で営林署の職員と出会い、その人から「駒ヶ岳は高山植物の宝庫なんですよ。それが今度の噴気で随分、やられてね」と言われ、それからその高山植物というものの被害がニュースになることを知り、必至でその名前と種類を聞いた。
女岳に登ると山頂のあちこちから白い蒸気が吹き出していた。霧がかかって山全体は見渡せなかったが、営林署職員が言うように山肌を覆った植物類は熱気で焼け焦げていた。噴気する穴を見つけ写真を撮った。そして焼けた高山植物も写真にした。熱気が靴を通して伝わってきた。不気味な熱さだった。
魁の記者もカメラマンも、そして営林署職員も「そろそろ下りよう。いつ噴火するか分からない。このままでは危ない」と顔色を変え、5人で大急ぎで山を下り、男岳へと登って8号目へと下った。再びYさんの車に乗せてもらい、田沢湖町役場に寄って駒ヶ岳について取材した。そして会社に電話を入れたら先輩記者が「今まで何をやってんだ」と怒鳴った。その当時、会社では産経新聞の通信局としての仕事もしていた。「駒ヶ岳が噴火しそうなんです」と言ったら「だから連絡を待ってたんだ。すぐそこから見てきた状態を報告しろ」と厳命を受けた。
まだ口頭で原稿を送れるような力量はなかったが、とにかくしどろもどろになって駒ヶ岳が噴気状態となり、高山植物が一面に焼けただれているという記事を電話で送った。翌朝の産経新聞にその記事が短かったが掲載された。それから一週間後、山は噴火した。
Yさんは「伊藤君。良かったね。あの時、伊藤君を山へ連れて行かないと困るだろうなと思ったんだ」と産経新聞だけがトク落ちにならなかったのを喜んだ。産経と特約している会社の先輩記者も「事情を知らずにあの時、大声で叱ったのは本当に悪かった。とにかく君のおかげで記事を送れた。助かった」と心底、お礼を述べた。
Yさんはその後、自分の結婚式にも出席し、お祝いの言葉を述べてくれた。ひょうひょうとしたいい人だった。その人がもう還暦を迎え、来月には退職する。人生って早いものだ。自分ももう3年もすればその年を迎える。振り返って見ればやっぱり人生ってあっけないものだ。
今夜は大曲商工会議所主催の賀詞交歓会。会いたい人、一緒に飲みたい人。さまざまな出会いがあろう。それに参加する。久しぶりに夜の街を歩こう。