柴犬の「アキ」が10日朝に亡くなった。1989年(平成元年)1月4日生まれのアキだったから、15歳と7日の生命だった。犬の15歳と言えば人間でいうと80歳ぐらいだろうか。アキは長寿をまっとうしたと思う。アキの亡くなった朝、妻は「アキ。良く生きたね」と泣いた。自分も汚物にまみれたアキの体をタオルでぬぐって「アキ。本当に良く生きたよ。ありがとう」と泣いた。10日午前10時10分。呼吸困難となったアキは、仰向けになって苦しんだ。胸部を揉むとやっと楽になったのか、そのまま横になって静かに息を引き取った。「アキ。眠ったのか。アキ。生きているのか」。床暖房の入った犬舎の中でさえ汚物で汚すようになったアキ。「もう犬舎の中にはおけないね」と犬舎から玄関ホールに移し、ビニール、新聞紙、そして毛布を敷いてさらに暖房で暖めてアキを寝かせた。アキは妻に抱かれるようにして静かに息を引き取り、天国へと旅立った。ありがとう。アキ。15年間いろんな思い出をアキは自分たちに残してくれたよ。アキ。ありがとう。10日朝はそう言って妻と泣いた。
柴犬の「アキ」は田舎で犬と共に過ごしたいと東京からご夫婦で大曲市内小友に移り住んだ方を取材した時に柴犬の素晴らしさを聞かされ、「伊藤さんも飼ってみないか」と勧められて我が家の家族となった。生まれてまだ間もない赤ちゃんだったアキを妻に断りもなく家に連れてきた。そしてフロの前の脱衣室に置いてから妻を職場に迎えに行った。
妻は「ちょっと買い物をしたいからデパートに連れて行って」と言うのをこちらは「家にお客さんがいるからすぐ帰りたいんだ」とウソを言った。妻は「お客さん?。どなたなの?」といぶかったが、「うん。とにかく行けば分かる。家で待ってるんだ」と言葉を濁した。
車を車庫に入れ、家に入った妻は「お客さんはどこなの?」とキョロキョロと目で探した。「ああ。お客さんはそこ。風呂場にいるよ」「えー。お風呂に入っているの!」と驚いたが、自分たちのそうした声が聞こえたのか、小さなアキは脱衣室で「クー。クー」と鳴いた。「えー。何なの!」と妻は驚きながら脱衣室のドアを開けた。小さな犬が鳴いている。コロコロ太った縫いぐるみのような犬が妻の足元に寄ってきてじゃれついた。
妻はその小犬を抱き上げ「ワー。かわいい」と喜びながらも「あなた。この犬を買って来たの」とにらんだ。「ウン。頼まれて飼うことにしたんだ」と答えた。妻は「そう。でも飼ってもいいけど散歩もご飯もあなたが責任を持ってやるんでしょ。私は知らないからね」とまるで親が子を諭すような口調で「責任を持って」と強調した。こちらは「ああ。もちろん散歩も食事も自分で世話するさ」と応えて承諾を得た。
「ご飯も自分で作って世話するのよ」と言いながらも、やはり放っておけないのが妻の性格である。夕食時になるとその小犬を台所に連れて行ってご飯に味噌汁をかけ「さあ。ご飯だよ。お腹いっぱい食べてね」と腰を下ろして食事の世話をした。そして「名前はどうするの」と妻。「うん。秋田で生まれたからアキって呼んでいたんだって」「なら。アキでいいのね。アキ。アキちゃん。かわいいね」と妻はまだ小さなアキを抱き上げては頬ずりした。
その日からアキは我々が帰ってくると家の中で過ごし、夜は車庫か裏庭の犬舎で寝ることになった。妻と犬舎を買いに出かけ、木製の丈夫なのを買い求めた。ご飯はドッグフードが一番だと聞いてドッグフード、そして首輪、リードのひも、アキがくわえて喜びそうなボールなどオモチャも買い求めた。
朝夕の散歩は自分が担当した。幼かったころのアキは速いものに憧れた。堤防を歩いて遠くに車が走るのを見ると、そのスピードに負けたくないとリードを懸命に引っ張った。「アキ!。いけない。引っ張るな!」と叱ってもアキは速いものを追わなければならないと引っ張った。猟犬としての習性だったのかもしれない。余りにも走りたがるアキのため日曜日の朝、首からリードを離して自由にさせた。アキは横手川の堤防を思い切り走り、嬉しそうに往復した。走ってはこちらの姿を確認し、走っては後を追ってくる飼い主の姿を確認した。
しかし、帰ろうと思ってもアキは戻らなくなった。自由に走れるのがよほど嬉しかったのだろう。良く晴れた春の朝だった。「アキー。アキー」と呼ぶと堤防下に生えた葦(アシ)の群れから姿は出すが、こちらの様子を観てはまた走って姿を消した。アキを何度も呼んだ。とうとうこらえきれず「アキ。もう知らん」と怒って自分だけ家に帰った。
妻は「あなた。アキは・・・」と心配した。「アキはいくら呼んでも戻って来ない。もうあんなバカ犬。知らん」と妻にまで八つ当たりした。妻は「あなた。アキが居なくなったらどうするの!」と目をつり上げ、「私も行くからアキを探そう」と家を出た。横手川の堤防から川港親水公園を歩きながら「アキ!。アキー」と呼んだ。その声を聞いてアキは嬉しそうにしっぽを振って森の中から出てきた。そして無我夢中になって走ってきた。「アキ。アキ」。妻はアキを抱きしめ「アキちゃん。良かったね。アキ。お利口さん」と涙声でいたわった。
まだ幼いころ若美町で開かれた柴犬の展覧会に連れて行ったこともある。アキは幼犬の部に出た。それから2歳か3歳になった時、田沢湖町であった柴犬展にも連れて行った。アキは幼犬の部でも若犬の部に出た時もそれほどいい成績にはならなかった。それでも帰りの車中で妻は「アキは賞状なんて貰わなくても一番の名犬だからいいよね」と何度も言った。そして膝の上で眠るアキの背をなでながら「アキ。アキ」とつぶやいた。膝の上で眠るアキは妻にとって本当の子どものようなものだった。
アキは美しい娘だった。ダービー馬のように長い足が自慢だった。そしてスラリと伸びた鼻も素敵だった。キツネのような鋭い目だった。アキは誰が見てもスマートで、美しい犬だった。アキを連れて象潟町の温泉に泊まり、阿仁町の温泉にも泊まった。アキはホテルに入れないため車の中で一夜を明かした。夜、吠えるのではないかと心配したが、アキは静かに車の中で過ごした。翌朝、アキの吠える声がした。妻と二人で「アレッ」と思って車に駆けつけたら、温泉の泊まり客が車の中にいるアキを見つけ、それを覗いているせいだった。
アキは我が家の二人きりの生活しか知らなかったためか、見知らぬ人への警戒心は人一倍強かった。そして自分たち二人を守るのは自分だとばかりに我が家を訪れる人に向かって良く吠えた。それでも一度も人を噛んだりはしなかった。アキは見知らぬ人の訪問を威嚇しても噛む犬ではなかった。
アキはこれまで何度か危機もあった。夜。表にいるアキが異常な声で泣いた。「アキ。どうした」と駆けつけたらアキは犬舎の中で苦しそうにもがいていた。妻も駆けつけ「これはいけない。医者に連れていこう」と車を出し、お医者さんに夜の診察を頼んだ。アキの主治医とは連絡が取れず、妻の知り合いの人を通じてやっと診察を受け付けてくれた仙北町のお医者さんだった。牛、馬が専門の獣医だったが、アキを診察すると「お腹を痛めているようだ」と痛み止めの注射をし、「若素(わかもと)という整腸剤があるから、それを買って飲ませたらいい」と教えてくれた。
注射で痛みが治まったのかアキは妻の膝に乗りながら静かに眠って家に帰った。そのころはまだ若かった。そして5年前の11月には心臓発作で入院した。この病気からアキは次第に体が弱まった。それでも昨年春ごろから始まった妻と自分とそして小犬のパピーとの朝の散歩には付き合った。5年前にパピーを我が家の一員として連れてきた時、アキは嫉妬し、パピーを迎え入れようとはしなかった。
きっと心の中で葛藤したのだろう。アキに本当に悪いことをしてしまったと思った。しかし、アキは次第にパピーも我が家の一員なんだと迎え入れた。そして妻とパピーと自分との朝の散歩に付き合い出した。だがアキにとって長く歩くのは辛かったようだ。次第に弱って昨年の夏ごろには自分に抱かれるようにして家に帰った。
そして歩くのがほとんど無理の状態となった。ウンチも自力では出せず、肛門を絞り出して処置しなければならなかった。目も見えず、耳もほとんど聞こえなかった。亡くなる2〜3日前からは「ウオーン。ウオーン」と悲しそうな声で吠えた。犬舎の周りをおしっこで汚すなんて決してない清潔感の強いアキだったが、ここ1〜2カ月はおしっこも我慢できず、犬舎の周りに敷いた新聞紙を毎朝夕、グッショリと濡らしていた。「ウオーン。ウオーン」と吠える声は「もう生きていてもしょうがない。なぜ生かしておくの」と叫んでいるような悲しみの声にも聞こえた。
それでも妻は何とか食べさせたいとドッグフードをお湯に漬け、柔らかくしたのをアキの口に一つずつ運んでは30分も時間をかけて食べさせた。亡くなる前の夜もアキは横たわりながらご飯を食べた。そして10日朝。床暖房をしていても寒さが、高齢のアキにはこたえたのだろう。犬舎の中まで汚物だらけにし、アキはもがき苦しんでいた。「アキ。アキ」。妻も自分もただ「アキ。アキ」と声をかけてやるしかなかった。汚物で汚れたアキの体をお湯で温めたタオルで洗い、汚物をぬぐった。
そして玄関ホールに抱いて行きそこを最後のねぐらとさせた。アキは苦しそうにもがき仰向けになった。アキの胸に手を当てて揉んでやった。アキはいくぶん楽になったのか静かに横たわった。そしてスーッと息を引き取った。妻が駆けつけ「アキ。アキ。死んじゃったのか。アキ」と叫んだ。そして「アキ。良く生きたね。良く頑張ったね。アキは幸せだったよね」とアキを抱きしめ、泣いた。自分も「アキ。いろんな思い出をありがとう」とお礼を述べた。
小犬のパピーが自分たちの異様さに気づいたのか、居間から静かに様子を見守った。妻はアキの衣類箱を整理し、「これはアキの実家にあげよう。アキちゃんの実家にはたくさんの犬がいるからきっと使ってくれるはず」と泣いた。そして「あなた。私の実家に電話して母さんにアキが亡くなったこと。アキがお世話になったとお礼して」と泣いた。妻の実家の母が電話に出た。「ああ。母さん。アキが、アキがさっき亡くなって。アキ。本当にお世話になりました」とお礼を述べた。言葉が詰まって声にならなかった。実家では昨年、自分たち夫婦がアメリカに行く時もまた、どこかへ泊まり込みの旅行に行く時もアキを預かり、家族みんなで世話をしてくれた。
電話に出た母は「おやおや。アキ逝ってしまったか。かわいそうに・・・」と声を落とした。「ウン。アキ逝ってしまって」と自分も泣いた。妻は目を真っ赤にして「私は電話に出れない」と脱衣室のドアを開け、玄関に眠るアキの所へと向かった。1月10日朝。アキという小さな生命を見送った。そして連休明けの13日朝、冷たくなったアキを角館町の小動物を火葬してくれる斎場に連れて行き、その旅立ちを見送った。
アキは心の中で生きていると思った。アキは子どものいない自分たち夫婦の生活に共通の話題を提供し、そして生活を潤し、喜びをいっぱい与えてくれた。美しかったアキはその後、重い皮膚病にかかり耳は破け、顔には醜いただれが起きた。それでもアキは一番の名犬だった。アキは我が家の生命だった。10日朝は寒い朝だった。アキは雪で真っ白に化粧された「美しい冬」の朝に旅立った。アキを撮ったアルバムはもう3冊にもなっていた。妻が丹念に整理して編集したものだ。初夏。我が家のアジサイを背に撮ったアキと妻の写真。籐椅子で眠るアキの写真。田沢湖町刺巻のミズバショウの散策路で撮ったアキと妻の写真。いろんな思い出がアルバムの中に詰まっている。そしてアキはそのアルバムの中で生きている。さようならアキ。