道路から雪が消えた。ツルツルの状態ではなく、アスファルト路面となった。もう滑って転ぶ心配がなくなった。車もスリップの不安がなくなった。と、喜んでいたのも束の間だった。今日は雪、雪、雪・・・である。節分。そして立春を迎えた。しかし、やはりまだ暦の上でのことで、厳しい冬はガンとして動かない。それでも雪の晴れ間、風景にはいくぶん春の兆しが感じられるようになった。2月1日の日曜日。朝の散歩はいつもの通り仙南村へと遠出した。久しぶりに東山が長い稜線を見せ、横たわっていた。靄(もや)で東山は少し霞んでいたが、山肌が青いインクを水で溶かしたような薄いブルーになって見えた。先月までは凍りの刃のような冷たさを感じさせた山肌が、水彩画のような優しさに変わった。
節分。そして立春。まだ幼かったころ、父と母は季節季節の行事をとても大事にした。暮れが押し迫ると土間で餅つきをし、神仏に捧げる鏡餅とネズミをかたどった餅をていねいに作った。なぜネズミ形の餅を作ったのか。その意味は今も分からない。想像だが、十二支のトップがネズミという縁起の良さからか、それとも米びつのコメなど大切な食べ物をネズミに食われないよう、神さまと仏さまにネズミをかたどった餅を捧げ、祈ったものだろうか。
いやそうじゃないと言う人がいた。ネズミは何でも集める習癖を持っている。集めると言うのは縁起がいいから、正月はネズミの餅を飾ったものだと70代の方から教えを受けた。それも一つの理由かもしれない。いずれ、神仏に献上する餅を作ると今度はアンコがタップリ入った餅を母は自分たちに振る舞った。あのおいしさは今も忘れられない。
そして元旦の朝。父は「やせうま」と称した「お年玉」をくれた。なぜ「やせうま」と言ったのかも分からない。小さなご祝儀袋を手渡す時の父と母のニコニコした笑顔は今も覚えている。貰った小遣いはいくらぐらいだったかは記憶にない。ただ3つ上の兄と連れ立って橋を渡り、角間川町の菓子屋でグリコのおまけのオモチャが入ったお菓子とか、マンガを買ったような気がする。
2月。節分を迎えると父と母は豆と煮干し、そして昆布を炭火で燻(いぶ)り、升に入れた後、それを神だなに捧げた。パチッパチッと柏手(かしわで)を打つと厳かに神だなから升を下ろし、部屋から部屋へと回って「鬼は外!。福は家!」と豆をまいて鬼を追い出し、福を呼んだ。兄と大喜びで父の後を追い、豆拾いをした。炭火で黒く焦げた豆を拾ってカリカリと食べた。素朴な味がした。煮干しも何とも言えぬ味わいがあった。
この豆まきは妻が嫁いでからも続いた。妻は我が家の風習に大喜びし、子どものようにはしゃいだ。「福は家!。鬼は外!」と叫びながら豆をまく父の後を追って、部屋中に散らかった豆を妻も拾った。母も無邪気に喜ぶ妻の姿を見て「カズちゃん。カズちゃん」と呼んでは子どものように後を追った。
5月の節句を迎えると菖蒲の葉を結わえ、風呂に入れた。そして餅コメを笹の葉で巻いて蒸かしたのを、きな粉をまぶして食べたものだった。砂糖がタップリ入ったきな粉をまぶした笹モチのおいしさは今も忘れられない。兄と菖蒲湯に入って「なぜ、こんなの入れるの?」と聞いたら兄は「丈夫になるように祈ってやってくれているんだ」と言い、菖蒲を束ねたそれでお互いの背中を流しっこしたものだった。菖蒲の束で背中を流されるとヒリヒリした痛みが走った。風呂からは菖蒲の葉の独特の青臭さが漂った。しかし、その青臭さも、背中のヒリヒリした痛みも、なんともいえぬ幸せを感じさせた。
お盆のお墓参り。そしてお盆明け後の神社のお祭り。仏を祈り、神に手を合わせた。秋になると満月を迎えるため、ススキを月の見える窓辺に飾り、そしてお酒と料理をお月さまに献上し、一家の無事を祈った。冬に入ると正月を前に大掃除という行事もあった。家中の畳を上げ、父と母が畳をお互い交互に叩いてホコリを追い出し、神だなと仏壇もていねいに掃除した。手ぬぐいで?かむりした父と母。まだ小さかった自分は畳を上げてその裏表を交互に叩く父と母の姿を見てただ喜んだ。仏壇と神だなに飾っているロウソク立てなどの拭き掃除だけは手伝った。そして暮れには土間で餅をつき、鏡餅とネズミをかたどったもちを作り、自分たちのためにアンコのタップリ入った餅を振る舞った。一年中いろんな行事があった。常に神さまと仏さまを大事にしていた。
今、本紙では日本キリスト教団大曲教会の横井伸夫牧師のボランティア活動「フリースペース トウービー」に少しでも力になれたらとその活動を取り上げている。学校に行きたくても行けない子どもたち。人と交わりたくても人と会うのが怖くて閉じこもってしまった若者たち。横井牧師はそうした人とその家族のために、少しでも解決の機会を与えたいと「登校拒否文化医学研究所」(東京都大田区)の高橋良臣先生を大曲市に招いて「子どもの自立を考える集い」を開いている。
高橋先生はその都度、自分が研究した貴重な文献を持参し、集まった人たちに「登校拒否」や「不登校」の問題を語る。本紙ではその資料を横井牧師からいただき、高橋先生が読み上げたのをそのままワープロに打ち込んで紙面に掲載している。今回も1月27日から30日までに3回にわたって掲載した。高橋先生が書いてくる文献はかなりの長文だ。
それに目を通し、ワープロで打ち込む作業は正直、骨が折れる。時間も食う。しかし、目を通しながら思うのは登校拒否や不登校はごく普通の家庭でも生じるということだ。引きこもりも特別な家庭事情があってそうなるのではなく、ちょっとしたつまずきなどささいな事が原因で社会から逃避してしまっているのが分かる。
高橋先生は「最近は自分の子と話すのが苦痛だという親、緊張してしまうという親が多い」と指摘した。その原因は子どもを「怒らせないため」とか「ぐずらせないため」とか「勉強させるため」などから来るのだという。逆に子どもから言わせると「うちの親は親らしくない」とバカにされたり、「当てにならない」と見放されている。
高橋先生は「親として自信を失っている」と語り、子どもに遠慮し過ぎている、あるいは親として子への指導力の喪失を遠回しに指摘する。そして多くの親は子どものために食事の支度はするが、子どもと一緒に食事して、そこで対話するということもなくなったと強調する。
高橋先生の資料に目を通すと登校拒否や不登校、あるいは引きこもりの原因は複雑で一概に決めつけられないが、考えさせられる面が多い。ただ資料をワープロで打ち込みながら感じたのは、自分たちが幼いころに体験した季節季節の行事が家庭から消えたため、親子が自然に交流する機会が失われた点だ。
いや親子の交流はやっていると強調する方もいるだろう。その交流は親子でのスキーであったり、春になればドライブやディズニーランドの見学、そして夏は海水浴など多彩だと言いたいかもしれない。確かに自分の幼いころは海水浴もディズニーランドもスキーもなかった。それでも父と母とでやる餅つき、大掃除、節分の豆まき、秋になって満月を迎えるためススキを取りに行った時の楽しい思い出などは今も忘れられない。親子がもっと自然に交流していたような気がする。そうした自然な親と子の交流こそ大事ではないだろうか。
高橋先生の研究資料が、少しでも登校拒否・不登校の子を持つ親たち、そして引きこもりの少年や青年を抱えて悩んでいる家庭に役立つことを期待して、これからも機会を見つけては掲載したい。子どものことで悩み、辛い思いをされている家庭にも明るい春が訪れてくれるのを祈って。