妻の実家の母から「遊びに行きたい」と電話があった。土曜日の朝、喜んで妻と共に車で迎えに行った。母は車に乗る前に「あのな。まず見てもらいたいのがあるんだ」と大きな風呂敷包みを手にしながら玄関前の廊下に座った。風呂敷を広げるとかなり年代物の布を使って仕上げた座布団が出てきた。「これせ。パピーが家に遊びに来た時に敷く座布団にしようと思って作ったんだ。ナンただべ?」と目を細める。
母がそれこそ今の家に嫁いできた時に義母からいただいた着物の布だったとかで、親鸞聖人の教えの言葉が刺しゅうとして縫い込まれていた。「もう着物にも使えないし、捨てるのももったいないからパピーの座布団にしたんだ」と母は言う。その思いやりが嬉しかった。「ありがとう。母さん。今度、パピーを連れてきたらこの座布団に座らせてもらうよ」とお礼を言った。
そして車に乗せ、我が家へと向かった。もう80歳になる妻の母である。少しでも娘のそばにいて話をしていたいのだろう。家に入るとテーブルを挟んで向かい合うようにして「わたしも80歳になったし、考えてるんだ」と話し始めた。「この年まで健康で生きて来られたのも皆に支えられたおかげだと思ってるし、そのお礼をどんな形でしたらいいかと考えているんだ」と言う。その日はまだ具体的な計画は明かさなかったが、いずれ自分の家族と我々とを何らかの形で招いてご馳走でもしたいようだ。80歳になっても我が家の小犬のことを考えてくれたり、自分の体調をいつも心配してくれる妻の実家の母は自分にとって義母ではなく実母そのものだ。
その母が来た土曜日も翌日も、そして月曜日も天候は相変わらずの冬型で、激しく雪が降ったり、強風が吹いて停電となったりと春を前にして嵐の連続だった。朝、パピーとの散歩でも妻は「まるで12月か1月の風景みたい」とあきれた。そして「岩間さんが来る日は晴れてもらいたいね」と繰り返した。
アメリカから岩間郁夫さんが明日13日夕、大曲市に来ることになった。今度で5度目の大曲市入りである。今度の訪問は本紙を通じて知り合った方への弔問を兼ねての旅である。訪れるのは大曲市役所職員の斉藤千代繁さん宅である。斉藤さんは先月、奥さまを53歳で亡くした。突然の死である。その奥さまの死を岩間さんに伝えるべきかどうか迷ったが、これまで4度の大曲訪問のうち2回も斉藤さんは付き合ってくれている。それだけに奥さまの死は伝えておこうとメールを出した。斉藤さんのことを少し触れたい。
斉藤さんの奥さまの葬儀には行けなかったが、後で自宅に顔を出して香典と線香だけはあげさせてもらった。53歳の死だけに祭壇に飾られた遺影は余りにも若く、悲しげな笑顔の写真だった。斉藤さんは「運命とは残酷なものです。これから寂しくなります」と言って肩を落とした。その言葉に返す言葉が見つからなかった。「運命とは残酷なものだということを、妻を亡くして初めて教えられました」とも繰り返した。気の毒でならなかった。
斉藤さんとはそれほど親しくしていたわけではなかったが、4年前のある日、突然、記者室に飛び込んで「伊藤さん。これ受け取って下さい」と一万円札を手に自分に渡そうとした。その当時はまだ名前さえ分からなかった。教育委員会にいつもいるから、どこかの学校から派遣された教師だと思っていた。だから「先生。なんのお金なの」とビックリしたら「いや。伊藤さんのやっている秋田県南日々新聞を毎日、購読料も払わず見ているのはしのびない。そのお礼です」と言う。
その好意に胸がジーンと熱くなったが、受け取るわけにはいかず「先生。そんなことは気にしないで下さい。自分のインターネット新聞は購読料をもらいたくてやってるんじゃないし、ましてや意味もなく個人からお金を受け取るわけにはいきません」と断った。斉藤さんは「そうですか。なら、遠慮なくこの一万円は収めさせてもらいますが、伊藤さんのやっているインターネット新聞は私ら職員にとって頭の下がる思いですし、一市民としても誇りに思ってます。そして感謝してます」と斉藤さんはメガネの奥の目を光らせた。
それ以来、市の職員には自分のやっている新聞に感謝してくれる人もいるんだと張り合いがあったし、やりがいもあった。そのことが切っ掛けとなって、ちょこちょこ斉藤さんの机を訪ねては雑談にふけった。
そしてその年の6月。岩間さんが2度目の大曲訪問となった。誰か付き合ってくれる人はいないかと斉藤さんに声をかけたら「僕が付き合いますよ」と気さくに応じ、運転手まで買って出た。そして西仙北町の温泉「ユメリア」に一緒に泊まり、翌日は秋田市までと付き合った。当時、岩間さんが来ると知った秋田市の女性読者から「岩間さんが大曲市に来るのなら秋田市にも連れてきてもらえないか」との話しもあって、斉藤さんは自分の車なら大勢乗れるからと車を出して運転手まで買って出た。
そして3度目の訪問となった時も斉藤さんはお酒の席に付き合ってくれてその翌朝は自宅へと岩間さんを案内して接待した。奥さまとはその時に初めてお会いした。自分も斉藤さん宅におじゃまをし、コーヒーをご馳走になった。斉藤さん宅はまだ買い求めたばかりで、真新しく素敵なハウスだった。奥さまも、斉藤さんも新しい家に住めた喜びでいっぱいという表情だった。
そして昨年6月に岩間さんが4度目の大曲市訪問の時も斉藤さんは付き合ってくれることになっていたが、奥さまが入院することになったとかでお会いすることはなかった。斉藤さんの奥さまは若いころから心臓が弱く、入退院を繰り返していたとか。7年前にも心臓発作で死の危険をさまよったことがあるという。いずれ若くしてこの世を去った奥さまに供養を述べたいと岩間さんは大阪への出張の合間を縫って大曲市訪問の時間を取った。 そして岩間さんからは斉藤さんと奥さまが並んで撮った写真がメールで送られてきた。見ると本当にほほえましい幸せそうな奥さまの笑顔があり、その横に並んだ斉藤さんはどこか自慢そうに反り返っていた。とてもいい写真である。それをプリントして額に入れ、斉藤さんにプレゼントした。
「斉藤さん。この写真みて泣かないかな。泣かせてしまうような気がして却って気の毒かな」。画廊で額を選んだ妻はしきりにそのことを気にした。その斉藤さんは「いい写真ありがとう。また泣かされました」と言っては喜んだ。額装した写真はまだ当分、斉藤さんには悲しく涙の材料となるかもしれないが、残された人生の励みになればと思いたい。妻を亡くした夫の辛さ。他人事ではない。妻をせめて大事にしたい。そう思った。
とにかく明日は岩間さんを迎え、斉藤さんの奥さまへの供養を終えたら歓迎の夕食会を開きたい。アメリカではあんなにお世話になった岩間さんである。人と人とのつながりを大事にし、友情を大切にする岩間さんを心から迎えたい。