明け方の月は南の空に浮かんでいた。今にも消え入りそうな細い三日月だった。その月を眺め、「ああ。やはり春が来たな」と思う。空気は冷たいが、地表の雪はどんどん後退し、地面からはフキノトウが芽吹いている。小犬のパピーと共に玄関前で妻が出てくるのを待ちながら思った。やはり「いくつになっても女なんだ」と。まだ暗いうちの、しかも人と出会うのも滅多にないというのに妻は散歩用に着込んだ防寒着、マスク姿を鏡に映して自分のおしゃれ度を確認している。その仕草がいじらしく、ほろりとさせられる。
歩き出す。横手川の橋を渡り、真っ直ぐ東に向かって歩く。遠く闇に霞んだ東山は朝の底でようやく目覚めようとしていた。深い紫色の山肌が、夜明けが近づくと共に水色に染まって朝を迎えようとしている。
「あの山へ行けたら」。東山は車で向かったら直ぐなのに、妻と共に東に向かって歩き出すとなぜか「あの山へ行けたら」と山への憧憬の念が湧く。東山は幼いころから、心の救いを求めた憧れの風景だった。カール・ブッセの「山のあなたの空遠く」の詩を思い出す。その山の頂きの空は次第に茜色に染まり、そして真っ赤な大きな太陽が昇って朝のドラマが始まった。妻が「あなた。見て。みて!」と東山を指さした。夜明けの太陽が春を運んで、新しい朝を運んできた。
妻の実家の母は我が家に10日泊まって帰った。その間、日中は家から歩いて20分ほどの角間川温泉「角水」に毎日、通った。温泉につかり温泉客の人たちと休憩室でぶらりと横になりながら世間話をしているのが一番、楽しいと目を細める。毎日、毎日、「今日はせ。○○さんが来てナ」と出会った人のことを報告し、楽しかったと笑う。そのおっとりとした語り口が優しく、ホッとさせられる。80歳になった。健康で80歳を迎えられたのもみんなのおかげだと感謝する。
そして自分たち夫婦も含めて家族みんなを一泊の温泉旅行に招待することにしたと母はまた言い出した。その場所をどこにするかと日曜日には妻と熱心に打ち合わせしていた。「直ぐ近くだと詰まらないから、岩手県の鶯宿温泉なら何ただべ」と妻の母はいう。その気配りが嬉しい。行くのは4月か5月にしたいとも言う。二人に言われ、インターネットで宿泊したいと希望するホテルを調べた。便利な時代だなと思う。宿泊料はもちろん、浴場、部屋の中の様子、ロビー、宴会場、レストランなどホテルのありとあらゆる情報がホームページで手に入る。そのホテルにはプールもあり、さまざまな露天風呂もある。とても豪華な設備だ。
実家の母にそのホテルの宿泊料などを印刷して渡すと「うん。ここにしよう。ここならみんな喜んでくれるべ」と目を細める。自分たち二人に実家の家族を含めると大人数となる。「大丈夫だ。この日のために貯金しておいたから」と顔中をしわいっぱいにして笑った。
ある日の朝、出掛けにその母に小遣いをやりたいと思いついた。小犬のパピーのために座布団を作ってくれた母だ。実家に行って泊まるといつも自分の体調を心配し、手作りの料理を振る舞い、「酒っこうまいか」と側に座って優しい笑顔を見せてくれる。それくらいはしても当然だ。妻が洗面所に行っている隙を狙って「母さん。これ小遣いにして」と一万円を手渡そうとした。しかし母は「マサオさん。だめだ。泊めてもらっている上にそんなお金までもらって。これ以上、迷惑はかけられね」と強く拒んだ。「いいから取っておいて」と少し強引に手渡した。母は本当に困った顔をして、そのお金を受け取った。
その時、「これはもしかして義母の心を傷つけてしまったのではないか」と心底、思った。年金で暮らしていけるだけのお金は手に入るだけに「娘婿から小遣いをもらうような身にはなりたくない」とでも思っていたのではないかと心配した。だからあんなに困った顔をしたのではないか。
車を出し、表で妻を待っていた。妻に「母さん。何か言わなかったか」と聞いたら「うん。『マサオさんからこんなにたくさんのお金をもらってしまって』と言ってた。だからワタシ『いいんだ。いいんだ。マサオさんはこのごろ余裕ができたからそれで母さんに小遣いやりたかったんだと思うよ』。そう言っておいた」と妻は言う。「母さん。お金を渡そうとしたら困ったような顔をしたよ」と言っても「きっと嬉しかったのよ。ワタシからもお礼を言うわ。ありがとう」と頭を下げた。
いいことをしたのか。それとも義母のプライドを傷つけたのか。よく分からないが、初めて差し上げた妻の実家の母へのお小遣いはとても照れくさいものだった。後からなって思い出しては顔がポッポッとほてた。車を走らせてからも「本当にあれ、やって良かったのかな」と妻に二度、聞いた。「いいの。母さんはとても喜んでいたんだから」と妻は言う。
それほど余裕のある生活ではないが、とにかくケンニチの収入の中から母に小遣いをやれた。いいことをしたんだとその時、思うことにした。10日間、我が家に泊まって帰る朝、再び厳しく冷え込んで木々には樹氷の花が咲いた。母を乗せ、雄物川堤防上の道路を走った。樹氷で白くなった光景を眺めながら妻は「ハクチョウがいないかな」とつぶやいた。その白鳥たちは上空を飛び、川の中にも羽を休ませているのが見えた。
「あっ。母さん。ハクチョウだよ。ほら。ハクチョウが飛んでる!。見れ!観たか。母さん」「ウン。観た。みえたよ」。「観たか!。観えたか。良かったな。母さん」。妻と実家の母のハクチョウをめぐっての言葉のやり取りはまるで、幻想的な舞台の中に飛び込んだような世界だった。80歳になった母。その母のまぶたにハクチョウの美しい姿が焼き付き、生きた証(あかし)としての思い出になってもらいたいと妻は願っているのだろう。
「ハクチョウ観たか!。母さん」。車内に響いた妻のあどけない声。「観たよ」と答える実家の母のおっとりとした声。ほのぼのとした親と娘の素朴な言葉のやり取りが良かった。堤防から観た雄物川の白い「春の朝」がとても美しかった。