青空を背に白い雲がゆったりと流れて行った。風も南から北へスーッと流れた。のんびりと露天風呂に体を委ね週末の土曜日の午後を楽しんだ。17日と18日の2日間、妻の実家の母の呼びかけで80歳を祝う集いの旅となり、岩手県鶯宿温泉にあるリゾートホテル「森の風」で過ごした。「私も80歳になった。この歳まで健康で過ごせたのもみんなのおかげだ」と妻の実家の母は言う。そして年金を貯めたお金の中から実家の家族全員と嫁いだ孫娘夫婦と自分たち夫婦、それに大阪の妹夫婦にも参加を呼びかけて母は鶯宿温泉への旅を企画した。大人11人、子ども4人の総勢15人が4台の車を連ねて旅立った。
大阪からは妻の妹だけが参加した。前日に大阪から飛行機で駆けつけた。そして17日朝、自分の車に妻とその母、大阪の妹との3人が乗った。二人の娘を相手にしてのドライブはよほど楽しかったのだろう。道々にスイセンを見つけては「おや。いいスイセンだこと」と喜び、サクラが咲いているのを目にしては「あら。サクラがもう咲いて」と歓声を挙げた。田沢湖町刺巻では満開のミズバショウも見学し、「おやおや。こんなに咲いているんだ」と感動していた。
ホテル「森の風」へはちょうどお昼に着いた。アメリカのラスベガスに行った時に泊まったホテルの外観とよく似た巨大な施設だった。しかも、「けんじワールド」というテーマパークを併設したリゾート施設だった。けんじワールドは波の出るプール、流れるプール、そしてウォータースライド、つまり水のボブスレー(そり競争)のスリルを楽しめるコーナーもあった。
カタログを取り寄せた妻は「水着を用意しなくちゃ」と前からはしゃいでいたが、その水着は実家の姪たちが昔、着用したのを借りた。妻の水着姿を見たのは初めてだった。結局、プールには実家の兄とその娘夫婦二組、それに子どもたちと自分たちの合わせて10人が入った。全長300メートルの流れるプールでは水中ウォーキングを楽しみ、波の出るプールでは波乗りを楽しんだ。激しい波だけに泳げない妻にとってそのプールは危険な面もあった。このため浮輪のレンタルを受け、プールに入った。浮輪に腰を入れ、押し寄せて来る波に乗った妻は少女のような無邪気さでよく笑った。本当に子どものような表情を何度も見せた。自分に全幅の信頼を置いて、波に乗り、泳ぐ自分の後を追ってきた。流れるプールに入ってもその浮輪に腰を入れ、水の流れに乗って楽しんだ。ウォータースライダーでは二人乗りの浮輪に乗ってスピードとスリルを楽しんだ。スリルというより猛烈なスピードで曲がりくねった水路を滑っていくのは恐怖でもあった。
それでも「怖い」と言わず「すごい。すごい」とはしゃいだ。妻がこんなにも少女のような笑顔を見せたのは久しぶりだなと思った。水は全ての人を幼児に戻らせる力を秘めているんだと思った。流れるプールを2回も歩き、波の出るプールでは顔中、笑顔にさせて波に乗って遊んだ。
プールに入らなかった実家の母と妹らは温泉に入った後、休憩室で寝そべって休んでいた。自分たちが帰ると「泳いできたか。面白かったか。そうか。エガッタな」と笑顔で迎え、「こうしてのんびりと過ごすのが一番だよ」と目を細めた。冷えきった体を温泉で温めたいと再び母たちと分かれ、浴場へと足を進めた。檜風呂、自然石を使った大浴場、寝風呂、そしてサウナと風呂のハシゴを楽しみ、最後には露天風呂に入って空を見上げた。白い雲がのんびりと流れ、香るような青い風がスーッ流れた。何て素敵な週末の午後なのだろうと思った。
風呂から上がって午後3時、全員そろってホテルへチェックインした。3部屋を予約してあって、部屋に落ち着いた後はホテル内を散策した。豪華なロビーはくつろぎの空間であり、結婚式を終えた多くの来客たちが思い思いの場所に席を取って地ビールを楽しんでいた。こちらもそのビールを取って夕食前のひとときを妻と過ごした。
そして午後6時からの母の80歳を祝う集いとなった。上座に座った妻の母は昔からちっとも変わらない穏やかな笑顔で「私もお陰さまで80歳になった。ここまで健康で長生きできたのもみんなのおかげだ」とお礼を述べた。母を祝う集いだと聞いたホテルからは赤ワインのプレゼントもあって、それで乾杯した。参加者全員がこのような家族思いの優しい母(祖母)を持てたことを喜び、誇りにした。喉を流れたワインは甘く、切ないほど美味しかった。
「和子さんを嫁さんとして迎えさせて下さい」。まだ23歳の時、妻の実家を訪ね両親を前にそう申し込んだ時、実家の父は「マサオさん。勤めている新聞社は小さいけど経営は安定しているか」と尋ねた。父としては娘の夫となる自分の経済力を第一に心配した。それは当然な事だろう。
給料は高くはなかったが、二人で働けば何とかなるめどはあり「ハイ」とだけ答えた。「せばエドモな」と父は厳しい顔を崩した。母は娘を信頼しきった顔で「和子が選んだのであれば問題ないべ」と穏やかな笑顔で結婚を認めた。我が家とは違った格式のある旧家だった。自分の父はそうした伝統のある家から嫁を迎えることを恐れ、心配し「マサオ。オメの勝手な思い過ごしではねべな」と何度も確認を求めた。その上で結納を交わす日は秋田の姉からも来てもらい妻の実家を訪ねた。
当時はまだ茅葺きの曲屋だった。奥座敷に通され、結納を交わすとお膳付きの料理が出された。父も母も姉も居住まいを正し、伝統と格式のある家の振る舞い酒と料理を口にしたが、終始緊張したままだった。あれからもう34年の歳月が流れた。その間、自分の父も母も亡くなり、妻の実家の父も亡くなった。そして妻の実家の母は80歳を迎えた。遊びに行くといつも優しい笑顔で自分たちを迎え、小犬のパピーのために座布団さえ作ってくれた。
子どもたち、孫、ひ孫まで合わせて15人の温泉への旅を企画し、プレゼントしてくれた実家の母。いつまでもいつまでも健康で長生きしてもらいたいと祈った。(留守中の2日間、小犬のパピーはドッグトレーナーとして活躍、本紙の著名人のコーナーでも紹介している横手市の小原友望(ともみ)さんにお世話になりました。パピーの散歩、そしてご飯も小原さんがやってくれました。お手数をかけました。ありがとう)。