こちら編集室「忘れな草が咲き出して」(5月14日)

 玄関前の小さな我が家の庭だが、季節は何て素敵な風景をこの庭に運んできたろうと感動している。「忘れな草」が一面に咲きだしたのだ。石の通路を挟んだ両側の苔がまるで青い宝石を散りばめたように「忘れな草」の花で埋まった。青い宝石に混じって、淡いピンク色の花も咲いている。「こんなにきれいになるなんて」と朝夕、玄関前の小さな庭を眺めては感動している。青空が広がった週末の土曜日は何度も表に出ては眺めた。

 眺めてはしゃがみ、じっくりと観ていると絵本にあった「白雪姫と7人の小人たち」の絵が浮かんだり、森の木々が踊ったり歌ったりするディズニーのアニメ映画が頭の中を走馬灯のように巡ったり、万華鏡の中に紛れ込んだような、不思議で幸せな気分になった。

 「あなた。この苔に生えてきたの、雑草じゃないから抜いたらだめよ」。先月、妻は何度も念を押した。「この草、みんな『忘れな草』なんだからね。今年は玄関前を『忘れな草』で飾るんだ」と強調していた。こちらはどう見てもそのポチョポチョと伸びた草は雑草にしか見えず「せっかくの苔が台無しになっちゃうよ」と愚痴ったが、妻は「いいの。ここを『忘れな草』の庭にするの」と譲らない。

 その忘れな草が本当に見事に咲いた。しかも、通路だけでなくモミジの木の下にもひと塊、そして石垣の上にも、また石垣の間の割れ目にも「忘れな草」は「私を忘れないで」と訴えるように咲きだした。さらに裏庭に通じる通路、そして裏庭に置いたプランターにまでその可憐で清楚な花が一面に咲いている。

 これは自慢してもいい。土曜日の朝、お向かいの奥さまが散歩に出かける前に我が家の「忘れな草」を見つけ「アラッ。キ・レ・イ」と言葉を一つひとつ区切るようにしては寄ってきて腰を下ろした。青い宝石を散りばめたようなその光景はひと目で誰をも感動させる。妻は得意気に「ネ。忘れな草の庭になったでしょう」とそれを眺めては笑顔だ。

 忘れな草。昨年、鉢植えのものを買い求め、開花が終わってからタネを一粒一粒、集めてはプランターに播き、さらに裏庭とその通路、玄関前の庭にと播いたと妻。中には播いたタネが再び風に運ばれたのか石垣の隙間とか意外な所にも咲いたと驚いている。

 昨年の今ごろだった。「あなた今日はいい所に連れていくね」と土曜日の朝の散歩時にいつもとは別のコースを取って遠出した。その行き着いた先も田んぼだけだったが、あぜ道が一面の「忘れな草」の群生だった。その光景をしゃがんで見つめ「ねー。こういう風に咲くのもいいでしょう」と言っていた。それ以来、我が家の庭も「忘れな草」でいっぱいにしたいと密かに願いを込め、タネを集め、播いていたのだろう。

 前にも書いたが「忘れな草」はヨーロッパが原産の帰化植物であり、この花に関する伝説がドイツにはある。それは恋人とドナウ川のほとりで語り合っていた青年が岸辺に咲く花を恋人のために取ろうとして足をすべらせ、激流に落ちてしまう。青年はつんだ花を恋人に投げ、「私を忘れないで」と叫んで激流の中に姿を消してしまった。

 その「忘れな草」が咲きだしたころの昨年、妻から「図書館から菅原洋一の『忘れな草をあなたに』が入ったCDを借りてきて」と頼まれていながら、とうとう「忘れたまま」となっていた。

 日曜日、図書館に本を借りる用事があって出かけることにしたら妻が「たまには私の運転する車に乗って」と、まだ初心者マークを付けたままの軽乗用車「ジーノ」のカギを手にした。自分専用の車を買ってもう5年にもなるのだが週一度、運転するかどうかの未熟者である。妻の運転する車に乗って図書館に走った。

 司馬遼太郎の本を借りようと探している間に妻は菅原洋一の「忘れな草をあなたに」が入ったCDを見つけ、それを借りる手続きをしていた。そして家に帰ると早速、そのCDをかけて曲を楽しんでいた。

 別れても 別れても 心の奥に
 いつまでも いつまでも
 憶えておいて ほしいから
 忘れな草を あなたに あなたに

 木下竜太郎作詞・江口浩司・作曲/森岡賢一郎編曲というこの歌は「忘れな草」の悲しい伝説そのものだと思った。静かに耳を傾けていた妻は、満足そうに「ふー。やっと聴けた」とため息をつき「あなた。私のこともパピーも、そして亡くなったアキも忘れないよね」とドキリとするような事を言って少し寂しい笑顔を見せた。「忘れな草」は文学的で美しい名前だ。同時に「忘れ」という言葉の響きの寂しさ、悲しさが胸を打った。

 広辞苑を開いたら「忘れ」を冠とした言葉がいっぱいある。「忘れ扇」「忘れ貝」「忘れ草」「忘れ咲き」「忘れ花」「忘れ霜」などだ。どこか寂しく悲しい。人は皆、昔から忘れたいものを持ち、それに苦しみ、悩んできたのだろう。

 万葉集に

 「忘れ草 垣(かき)もしみみに 植えたれど 醜(しこ)の醜草(しこぐさ) なお恋ひにけり」の歌がある。忘れ草を垣じゅうびっしり植えたが阿呆のあほくさ、やはり恋しいと歌った。忘れな草。忘れ草。「忘れ」という言葉は恋に似合う。