小犬のパピーとの夕方の散歩を終えて自宅に向かおうとしていたら、自転車で追い越して行った二人の若い女性が我が家の前に自転車を止め、玄関前の「忘れな草」の群生を背景に交互に記念写真を撮っていた。「我が家を前に記念写真ですか。ありがとう。二人一緒の写真を撮ってあげますか」と声をかけたら、言葉のアクセントが違うが「ええ。お願いします」と笑顔の答えが返ってきた。二人は嬉しそうに「忘れな草」の咲いた玄関前の石畳の上に腰を下ろして記念写真に収まった。そして再び笑顔で「あ・り・が・と・う」とひと言ひと言区切るようにお礼を言った。そばでポカーンとしていた小犬のパピー。それを見つけては「ワー。可愛い」と声をかけ、再び自転車に乗って風のように二人は姿を消した。
ありがとう、可愛い。どうやら簡単なあいさつだけは交わせる中国から来た若い女性のようだった。おそらく近くの縫製工場で働いているのだろう。22〜3歳の年頃だと思った。日本で働けるのが楽しいといった、いかにも明るく爽やかな笑顔だった。中国は今、巨大な人口力を背景に世界の工場となろうとしているが、まだまだ海外に働きに出ている若い人たちも多いのだろう。
その中国から来た若い娘さんたちが、我が家の前庭に咲いた「忘れな草」を見つけ、記念写真の場として選んでくれたのを思うと嬉しかった。帰国したら家族に「こんな花が咲いていた」と自慢しながら写真を見せるのだろう。彼女たちの思い出の一こまとして記憶に残ると思うと一瞬の出会いだったが、会えて良かったと感謝した。
「忘れな草」の青い花、淡いピンク色の花はまだ咲き続けている。近くのガソリンスタンドでガソリンを入れていたら女性店員が「伊藤さんの庭、本当にきれいね」と誉めた。その女性店員も我が家の前を通りかかった時、「忘れな草」の群生を見て感動し、以来、車での帰宅時にはわざわざ遠回りして「忘れな草」の咲いた庭を見て帰っているという。このように「忘れな草」は我が家に小さな幸せを運んで来てくれた。誉められた妻は嬉しそうにその店員に「ありがとう」とお礼を言っていた。
我が家にはもう一つ、自慢の花がある。「都忘れ」である。こちらはしだれ桜やハナモモの木、ユキヤナギ、ナナカマド、ポプラなどの樹木の下になって、それこそ木陰に群れながらもひっそりと咲き出すのだが、紫色の小さな花びらの可憐さがとても好きだ。特に雨の日の「都忘れ」の姿を観るのがいい。雨に濡れてシットリと咲いているのを観ていると、耐え難い辛さを内に秘めながらもけなげにも笑顔を見せようとしている少女のようないじらしさを感じる。
「都忘れ」。この文学的な名前もいい。花の本によると「承久の乱」で都を追われ、佐渡へ流された順徳院天皇が都恋しさにウツウツとしていた時、この花を見つけ、都への思いを断ち切ったとの伝説から付けられた名前だと言う。可憐な美しさの中にもどこか悲しみを秘めているような花の弱々しさに心惹かれる。
休日はこの裏庭に回って草取りをしたり、散ったツツジの花をほうきで拾い集めている妻だが、「都忘れ」の花を見つめては「サクラに、忘れな草、都忘れ。今年は花が本当にきれいに咲いて」と笑顔を見せた。そう。今年は本当に花盛りだった。角館町で10数年前に買い求めたしだれ桜も今年は初めて満開の花を付けたし、ユキヤナギの白、レンギョウの黄色、それにハナモモの木に咲いた紅色の花も素敵だった。つい先だってまではナナカマドも驚くほどいっぱいの白い花を咲かせた。花にもその年によって出来、不出来があるのだろう。玄関前の「忘れな草」、裏庭の「都忘れ」を眺めながら、「今年は花が良かった」と喜んでいる。
それにしても22日の土曜日は小泉総理の北朝鮮訪問で気を揉ませた一日だった。結局は当初の目的だった拉致被害者家族8人の帰国はならず、曽我ひとみさんの夫を含めた家族3人は北に残ってしまった。夫であるジェンキンスさんは日本に帰ると米国に身柄を引き渡される可能性があり、来日したくないと拒否する気持ちは分かる。そして二人の娘も母の国に帰るわけにいかないと北に残ったのも父を思う気持ちからだろう。
今回の小泉総理の訪朝。成功したと言うべきか、失敗だったと言うべきかは分からないが、日本は食糧支援や北朝鮮の船舶に関する制裁法発動の見送りなど北にあらゆるカードを切ってしまったような感じだ。金正日のしたたかさだけが浮上し、拉致被害者家族会には虚しさと怒りだけが残った。帰国した蓮池薫さんの長男が小泉総理らを迎えてジュースで乾杯しようとした時、「総理と私たちが同じジュースを飲んでいいの」と聞いたとか。「日本はそういう国なんだ」と父の薫さんは説明したとの報道があった。将軍さまとも呼ばれている金正日。何の罪もない日本人を拉致し、長年にわたって多くの家族に悲しみを与えた国家的犯罪に怒りを覚えた。
同時に帰国した蓮池さん、地村さんたちの子どもたちが一日も早くこちらでの生活に慣れ、将来への生活に向けての基盤を築くことを祈りたい。そして曽我さんの夫とその子どもたちも何とか来日し、家族そろって生活できる日が来ることを祈りたい。
土曜日は大阪にいる妻の妹、そして昨年の十和田湖への旅で泊まった「十和田ホテル」から送られてきた花のタネをプランターに播く作業を手伝いながらも終始、気を揉んだ一日だった。いや今週いっぱい拉致被害者報道に目も耳も奪われた。どうかこれからも家族会の怒り、悲しみにも耳を傾け、粘り強く北との交渉に臨んでもらいたいと願う。都忘れを眺めながら、そう祈った。