カレンダーをめくったら6月だった。もう6月かと思った。あの記念すべき元旦の朝からもう半年が過ぎたのである。今年の正月は妻の発案で秋田新幹線に乗って東京に向かい「明治神宮」に初詣し、日帰りをしてきた。その思い出の日からもう半年が過ぎたことになる。明治神宮では入口から神社本殿までの長い参道が人ごみで身動き取れないほど混雑し、背の低い妻は目の前の人の背中だけしか見えない歯がゆさに「神さまって遠いねー」と嘆いたものだった。気の毒になって、後ろから抱き上げて妻の目線を高くし「「ほら。見えたか。拝殿があすこにあるよ」。「ウーン。見えた。見えた。神さまが見えた」とあの日、妻は自分の腕の中ではしゃいだものだった。あれからもう半年、過ぎた。1月10日の寒い朝には柴犬の「アキ」が亡くなって、二人で泣いたものだった。あの辛い別れの朝からも半年、過ぎた。
雪と闘い、春が待ち遠しい1月だった。そして2月になり、3月が過ぎ、いつの間にか雪解けの季節を迎え、スイセンがあらゆる草花の先導役となって咲く4月を迎え、すべてが緑色に染まる5月の爽やかな季節も風のように通り過ぎてしまった。
「ああ。何て時間が早いんだ」。「もう少しユックリできないものか」。時の流れの早さにそうぼやいてはみたものの、時は待ってくれない。ただひたすら川を下る水のように流れていくだけだ。ならもう少し〃静心〃を持って、時々刻々を大事にしたいと思うのだが、記憶を刻む脳味噌の襞が日増しに埋もれていくのか、ゴムのように伸びて行くのか刻んだはずの思い出さえあっと言う間に忘却のかなただ。だからせめて感動することを楽しむことにした。
例えばカッコウの声に感動し、ピッピッ、ピチピチッと電線に止まってさえずるツバメやスズメの鳴き声にも喜び、足元からポコンと伸びた雑草にも感動しよう。夕方、小犬のパピーを連れて横手川の堤防を歩くと葦の原から「ギョギョシ、ギョギョシ」とオオヨシキリのさえずりが聞こえる。その〃ギョギョシ〃の声も、カッコウの牧歌的な鳴き声も、そしてツバメやスズメのさえずりも、〃静心〃を持ってすると自然が奏でる音楽を聴いているような感覚に陥る。
オオヨシキリは打楽器。カッコウやツバメ、スズメは木管や管楽器の音だ。川の流れる音はチェロやベースなどの弦楽器だろうか。こうして自然の音に耳を傾けながら堤防を歩くと、昔読んだロマン・ロランの小説「ジャン・クリストフ」を思い出す。クリストフはヴァイオリニストの父からその音楽的才能を見出され、幼いころから厳しいピアノのレッスンを受ける。酒飲みで身を崩した父だったが、クリストフにピアノを教え込むことでうまくいけば神童の父としてあがめられ、豊かな生活を送れるのではないかと身勝手なもくろみをする。このため父のピアノの教え方は幼いクリストフにとって拷問に近いものとなった。クリストフは音楽を憎み、ピアノを嫌った。
だが、もって生まれた音楽的才能はどうしようもない。ピアノの演奏力だけでなく、クリストフには作曲という才能も芽生えた。その天才的な才能を見出したのはクリストフの祖父であり、また行商人をしている叔父のゴットフリートだった。ジャン・クリストフの長い物語で今も印象に残っているのは叔父のゴットフリートの音楽への考え方だった。
ゴットフリートは幼いクリストフに「お前は偉い人になりたいために歌を作るのか。歌をこさえるために偉い人になりたいのか。お前はまるで自分のしっぽを追いかけて、ぐるぐる回る犬みたいだ」と叱る。ゴットフリートは音楽とは自分の名誉や出世、お金を稼ぐために作るものではないと言いたかったのだろう。
ゴットフリートはクリストフをある晩、月の輝く牧場へと連れ出し、神さまの音楽を聴かせる。それはカエルたちの鳴き声だったり、コオロギの鳴き声であり、木の枝を静かにそよがせる風の音だった。川の向こうから聴こえてくる鳥の鳴き声だった。
ゴットフリートはクリストフの作った音符を見て「お前は作曲のために作曲をした。えらい音楽家になるために、人に感心してもらうために、作曲をした。お前は傲慢だった。お前はうそをついた。音楽は慎ましくて、真実であることを望むのだ。そうでなかったら音楽なんかなんだろう。真実な本当のことを言うためにこそ、美しい歌をわしらに贈って下さる神さまに対する不信だ。冒とくだ」と激しい言葉で叱る。
ゴットフリートのこの言葉は音楽だけでなく、絵を描く芸術家にとっても、茶道に生きる者にとっても華道を心がける人にとっても、いや生きるものすべてにとって通じる貴重な言葉だし、忘れてならない名言ではないだろうか。遠い昔に読んだ「ジャン・クリストフ」だが、流れる雲を見つめ、カッコウやツバメ、そして葦原の中で鳴くオオヨシキリの鳴き声を聴いていて、ふとゴットフリートの言葉を思い出して、図書館にその言葉の確認のため走った。
堤防はオオバコやヒメジョオン、ギシギシ、スイバ、ハルジオン、スズメノカタビラ、タンポポ、そしてイタドリ、イヌムギなどの雑草が生い茂り、生きることを競い合っている。そうした雑草の中でふと心惹かれるのがマーガレットの白、アカツメクサの紫色の花だ。こうした雑草も精いっぱい生きているんだと思うと、いじらしいし、それぞれ個性があって可愛い。
小犬のパピーはこのごろ、右や左へと蛇行することを止め、堤防を真っ直ぐに歩くことを覚えた。堤防から川港親水公園を経て西山に沈む夕陽が美しい。雨の多い6月だが、一年の折り返し点だ。感動する心を大切にしよう。